松橘月図硯箱2024年09月17日 20時19分27秒

今宵は旧暦の八月十五夜、中秋の明月です。

今さらですが、満月は太陽と正反対の位置にあるので、太陽が西に沈むのと、満月が東から顔を出すのは、ほぼ同時になります。今宵もちょうどそれで、今日の夕日は美しい茜色でしたが、お月様も負けじと薄桃色にお化粧をして、しかも建物の隙間に浮かぶ姿があまりにも巨大だったので、びっくりしました。まずは見事な名月といってよいでしょう。

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今日はお月見にふさわしく、風流な品を載せます。


古い蒔絵の硯箱。
先日も蟹と琴の硯箱を話題にしましたが、こちらは家蔵の品なので、モノの良し悪しはともかく、私にとっては一層愛着が深いです。


こんな風にコントラストをつけると、いかにも趣があるように見えますが、図柄を検討するには不向きなので、以下、購入時の商品写真を流用させていただきます(漆器は反射がきつくて、うまく写真に撮れませんでした)。


こちらが蓋の表で、


こちらが蓋の裏のデザインです。

ご覧のようにモチーフは表裏とも共通で、「松に橘」図です。
問題は、そこに描き加えられた天体で、裏はもちろん月ですが、


表は太陽なのか、月なのか判然としません。


太陽ならば「日輪と月輪」が、月ならば「満月と半月」が対で描かれた絵柄ということになりますが、これはどちらもあり得るので、にわかに判断が難しいです。でも、ここでは後者を推しておきます。なぜか?といえば、この絵柄全体の意味を考えると、その方が理解しやすいからです。

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「松竹梅」のはいうまでもなく嘉樹の筆頭として長寿のシンボルであり、もまた常世の国に生える「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」として、古来、不老不死のイメージで語られてきました。

そこにです。月は永遠に満ち欠けを繰り返すがゆえに、これまた再生と不死のシンボルであり、不老不死の仙薬を持って月に逃れた嫦娥(じょうが)伝説や、切られてもすぐに再生する月桂のエピソードもそこに重ねて観念されてきました。

要するに、松・橘・月は不老不死のイメージでつながっており、これは全体として長寿を願う吉祥図になっています。そのイメージを貫徹するために、蒔絵師は月の満ち欠けを満月と半月で描き分けたのではないか…というのが、私の推測です。(これが日輪と月輪だと、その点でちょっと不完全な描写になる気がします。)

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先日の「蟹と琴と月」はひどく難解でしたが、この「松と橘と月」のシンボリズムはごくシンプルで、心安く眺めることができます。いささか親馬鹿めきますが、月を眺める気分は、すべからくこうあってほしいものです。

コメント

_ S.U ― 2024年09月18日 06時42分01秒

今回は、「共通するメタファー」でうまく説明できますね。

してみると、月、蟹、琴も「再生」のメタファーかもしれないと思います。

 蟹は、脱皮をし、その時脚が取れていてもまた生えてくるといいます。アニミズムに属することになるでしょうが、あるところには大いにありそうです。

 琴は、直ちにはわかりませんが、木で出来ている(「枯野」伝説では廃船を燃やした廃材を利用した)、音楽を何度でも生み出す、おもに女性が演奏する(出産のイメージ)ということで、関係があってもいいのではないでしょうか。

_ 玉青 ― 2024年09月18日 08時18分04秒

先日の宿題をようやく果たすことができて、ホッとしています。
で、こういう三題噺的な図柄が存在することは、上の硯箱の例から確かだと思うんですが、同じ伝で「蟹・琴・月」を解釈できるかとなると、にわかにうべないがたいものを感じます。これはどこまでそのメタファーが一般化しているか、すなわち文芸的伝統に則っているかによるところが大きいと思いますが、「松・橘・月」に比べて、「蟹・琴・月」は相当苦しい気がして、「共通するメタファー」という解釈フレームそのものの検討が必要ではなかろうか…と、S.Uさんを刺激しつつ、さらなる考究をお待ちしています。

_ S.U ― 2024年09月18日 10時06分39秒

>文芸的伝統に則っているか
 そうですね。なんにしても「琴」に明確なイメージがなく苦しいです。「枯野」伝説自体は、エピソードに天皇が関係することと記紀に掲載されていることから、再生がメインテーマであることはまちがいないと思うので、いちおう諸説の一つに入れておいてください。

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