迫りくる大怪星2017年09月17日 07時58分01秒

これもシュナイダー氏の蒐集と重なりますが、1910年のハレー彗星騒動の絵葉書を探していたら、こんな1枚が目に留まりました。


巨大な彗星を前に、地上は大混乱。


大火球のような彗星を目にして、逃げ出す者、銃で応戦する者、絶望的な表情で抱き合う者。街中が阿鼻叫喚の渦です。
(しかし中には、気球で後を追ったり、冷静にカメラを構える者も…)


慌てた旦那さんは、たらいに隠れて顔面蒼白。
奥さんや娘さんも、てんでに戸棚や樽に飛び込もうとしています。


寝所の夫婦は、何とか傘で災厄をしのごうという算段。


Weltuntergang ―― 「最後の審判の日」。
今まさに、恐るべき災厄が地球に迫っていました…

   ★

というふうに一瞬思ったものの、ちょっと日付が合いません。
上のキャプションは「地球に向かう彗星。1899年11月14日」となっています。
あのハレー彗星騒動よりも10年以上前です。

日付けを見て、「ははーん」と思った方も多いでしょうが、これはハレー彗星ではなくて、もう一つの天体ショー、「しし座流星群」の場面を描いたものでした。

「しし群」は、ほぼ33年周期で出現し、76年周期のハレー彗星よりも、人々の生きた記憶に残りやすい出来事です (たいていの人は、生涯に2回ないし3回、それを目撃する機会を与えられています)。この1899年は、1833年の歴史的大流星雨のあと、1866年にも相当の流星群が見られたのを受けて訪れた、天文ファンにとっては、絶好の観測機会。

ただ、それを絵葉書作者が「彗星 Komet」と呼んだのは、市井の人々の意識において、流星と彗星が、いずれも空を飛ぶ星として常に混同されがちだった…という事実を裏付けるものとして、興味深いです。

   ★

しかし、それにしても当夜のウィーン(版元はウィーンの会社です)は、実際こんな有り様だったのか?その答は、葉書の裏面にありました。


葉書の投函日は1899年11月11日。
そう、すべては実際に流星群が出現する前に想像で画かれた絵だったのです。
流星とは似ても似つかない怪星も、実景を見たことのない者が描いたからに他なりません。

それでも、11月14日という日付けを正確に予言できたのは、天文学者がそれを計算したからです。そして、学者たちは流星群の当日も、それが「天体ショー」以上のものではないことを、冷静に告げていたはずです。(既に1866年には、「しし群」の起源が、テンペル・タットル彗星であることも判明しており、絵葉書の「彗星」の呼称は、それに影響された可能性もあります。)

したがって、この絵葉書は、世紀の天体ショーを前にして、版元がジャーナリスティックな煽りを利かせて作ったものであり、きっと作り手も買い手も、それを大いに面白がっていたんじゃないでしょうか。

   ★

1910年のハレー彗星のときも、人々の狼狽ぶりを面白おかしく描いた絵葉書が大量に作られましたが、そちらについても、かなり割り引いて解釈する必要があると思います。(本当に恐怖のどん底にあったら、絵葉書を作ったり、買ったりする余裕はないはずです。)

なお、1899年は「しし群」の外れ年で、ウィーンっ子たちはさぞガッカリしたことでしょう(逆の意味で狼狽したかもしれません)。

   ★

台風の中、今日から小旅行に出るので、記事の方はしばらくお休みします。

コメント

_ S.U ― 2017年09月17日 08時37分25秒

天文現象の観覧→大騒ぎの歴史は面白いですね。
 私の情勢分析というか近未来予想ですが、もう現代人は今後、大彗星で馬鹿騒ぎすることはないのではないかと思います。理由は、まずは彗星の頭部や尾は基本的に淡いので都会地ではよく見えないこと、おおむね天の川やアンドロメダ銀河を肉眼で見ようという程度の体勢でないと見えません。次に、アイソン彗星など、何十年に1回と言うほど明るくなると専門家に言われたのに明るくならず、これを彗星というのは特に明るいと言っても実は暗いものだという誤解を与えたふしがあります。最後に、地球にぶつかるのは小惑星であって彗星ではない、彗星など近づいても気にしない、ということでしょうか。彗星で騒ぐ理由はなくなったと思います。

 いっぽう、流星のほうは若い人のあいだで株が上がりつつあります。夜、外を見上げる人が減ったので、流星など今までほとんど見た記憶のない人が増えているのですが、それだけに希少価値が上がり、流星群の夜などに少し頑張って、2、3個見えると、一生ぶんの希少体験をしたような気になり、しかも意外に明るくスピード感もあるので満足されるようです。また、満足したあとも、花火大会のようにいくつ見ても見飽きないという側面があります。流星群の魅力は今後口コミで広がっていくものと思います。

_ S.U ― 2017年09月17日 10時15分36秒

思いついたことがあったので、もう一つコメントさせて下さい。
 しし座流星群は、この一つ前の1866年の出現時に、母彗星テンペル・タットル彗星との関連が指摘され、これは、そのすぐ前の1862年のペルセウス座流星群とその母彗星スウィフト・タットル彗星との関連発見(これが「流星群母彗星理論」の発見)に続く2番目の例でした。

 そこで気づいたのは、1899年のしし座流星群は、「彗星の回帰とともに流星雨の出現が予想された史上初の機会」ということになることです。(スウィフト・タットル彗星の周期が約120年で、しし座流星雨の33年周期であることは既知でした) そういうことで、彗星と流星の混同があったにせよ、その混同には当時の先端科学的知識の影響下にあった可能性があると思います。

 実際には、残念ながら1899年のテンペル・タットル彗星の回帰は近日点通過が地球から見て太陽の向こう側で起こり、世界のどこでも検出されませんでしたし、11月の流星雨出現予想時にも、当時の技術では検出できないほどたいへん暗かったと考えられます。

 なお3番目の出現例はジャコビニ流星雨(1926)でした。ご周知の内容しかないと思いますが、上のURLに、このへんの歴史の整理がありますので、ご興味があればご参照ください。

_ S.U ― 2017年09月17日 10時38分08秒

上記の点については、玉青さんがすでに括弧内にご指摘済みでしたね。見逃していて失礼いたしました。私はその可能性を支持したい(本当かどうかはわからないが気持ちとして)、ということでご容赦ください。
 それにしても、大騒ぎの絵ですね。故意に混同したわけでもないと思いますが・・・

_ 玉青 ― 2017年09月20日 13時21分32秒

詳細な情報をありがとうございます。

>彗星と流星の混同

まあ、当時の先端的な天文学の知識に接していたら、そもそもこんな珍妙な絵(これは流星でもないし、彗星でもないですよね)は描かないと思うので、Kometの件はやっぱり作者の無知によるんじゃないかなあ…と、個人的には思います。でもその無知のおかげで、天文趣味史上いっそう興味深い史料となったわけですから、これぞ怪我の功名でしょう。

>流星群の魅力

天文シーンにおける、彗星の凋落と流星の台頭は、たしかにありそうな話ですね。流星群の観測はグループでやるのも楽しそうだし、いろいろ若い人にアピールする要素が多そうです。何せこの空の明るさですから、「パッと見て分かる」天体ショーとして、流星人気は今後ますます高まることでしょう。

_ S.U ― 2017年09月20日 22時25分59秒

>無知のおかげ
 無知には違いないのですが・・・  私の説では、

 天文学者が、「33年ぶりに彗星が帰ってくることにより、偉大な流星雨が降ってくる」 と発表したのを、「33年ぶりに流星雨が帰ってくることにより、偉大な彗星が降ってくる」と、聞き間違えるか早合点して、彗星の絵を書いてしまったとまあこういうわけです。

_ 玉青 ― 2017年09月21日 06時03分34秒

これはしたり。
なるほど、一知半解といやつですね。(^J^)

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