石の物語を聴く2019年06月01日 07時22分36秒

「時計荘」の島津さんから、催事のご案内をいただきました。本日より開催です。


■時計荘×東京サイエンス 「鉱物夜市」
○会期 2019年6月1日(土)~6月30日(日)
      10:00~22:00
○場所 三省堂書店池袋本店4階 Naturalis Historia
      東京都豊島区南池袋1-28-1

思えば島津さんとの交流もずいぶん長くなりました。私はその創作活動の初期から現在まで、ずっと仰ぎ見てきたことになります。

もちろん、私自身は鉱物結晶を使って何かを創作することはなくて、ただ並べて楽しむぐらいのものですが、でも、そうした創作の背後にある観念や、心の動きには少なからず興味があります。

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改めて思うに、島津さんの創作活動は、きわめてユニークなものでありつつ、決して孤立した存在ではなく、むしろ長い文化史的伝統の中に位置づけることができるように思います。

石の表情の向こうに別の世界を垣間見る、あるいは石を使って別の世界を創出するというのは、東洋ではずいぶん昔から行われてきたことです。たとえば、伝統的な水石趣味や、さらにその一分科である盆石趣味などは、石を中心に据えて、箱庭的な心の風景を作るという点で、島津さんの鉱物ジオラマときわめて近い関係にあるものでしょう。

たしかに、盆石趣味はいかにも“侘び寂び”で、幻想的な島津さんの作品世界とは、ずいぶん異なる感じがします。でも、石の向こうに別の世界を覗き見るというのは、東洋に限らず、ヴンダーカンマーでおなじみの風景石もそうですし、シュティフターの連作『石さまざま』(1853)なども、まさに「石で物語を紡ぐ」という点で、その根は共通しています。

古来、石は人のイマジネーションを強く刺激し、ストーリーを喚起する力を有しているのだ、そうした石と人とのかかわりの長い歴史の一コマに、島津さんの作品もまたあるのだ…というのが、今私がぼんやり考えていることです。

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ときに、私自身は、鉱物標本をただ並べて楽しむだけだ…と書きました。
でも、こうして並べて楽しむ行為も、実はそれによって自分だけの「石物語」を描こうとする試みに他ならないんじゃないかなあ…と、ふと思いました。

稲垣足穂の小説『水晶物語』には、昔ながらの弄石趣味を激しく嫌悪すると同時に、理科室に置かれた鉱物棚に魅了され、尋常ならざる努力によって、それを自ら再現しようとする少年(足穂の分身)が登場します。そこでは床の間チックな石道楽と、科学の香り高い鉱物趣味が対比され、足穂少年の嗜好の在り様をうかがうことができます。でも、一歩ひいて眺めると、両者の距離はそれほど大きいわけではありません。石道楽が一種の文学的営為ならば、足穂少年の試みも、理科室趣味という名の文学的営為に他ならないからです。少なくとも、私の場合はそう呼ばれる資格が十分あります。

しかし、そうした営みを、「本当の鉱物学」に比して、一段低いものと見ることはできないでしょう。というよりも、プロフェッショナルな鉱物研究にしても、そこにはなにがしか文学的色合いがあるのではないか…と、私は大いに疑っています。

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「石というのはそういうものなのだ。それが石の魅力なのだ」と、言ってしまえばそれまでですが、その秘密の一端は、鉱物は動物や植物と違って、細かく分割しても、その相同性が完全に保たれるという特質にあるのかもしれません。

鉱物というのは、たとえ微晶であっても、堂々たる巨晶と同じ表情をしています。いや、表情ばかりでなく、それは実際に同じものと言ってもいいでしょう。メキシコにある巨大水晶の洞窟の奇観、あれは確かにすごいですが、でも指先ほどの水晶の群晶であっても、結晶の性質そのものは、何も変わりがありません。鉱物はまさに「一にして全」なのです、

(ウィキペディア「クリスタルの洞窟」の項より)

(差し渡し35mmの目くるめく結晶世界)

鉱物は、ごく小さな標本であっても、その向こうにある広大な世界をたやすく想像できるし、それだけ一層、細部に宿る神の息遣いを感じさせてくれます。

島津さんの作品の魅力――ミニチュアの人や建物とともに配された鉱物標本の味わい――も、そこに発している部分がおそらくあるでしょう。

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石の魅力は語れば語るほど出てくるので、こんな不得要領な片言隻句で何かを言った気になってはいけませんが、一枚のハガキに触発されて、個人的に思ったことを書きつけました。

石は物語を聴く2019年06月02日 07時45分18秒

人が石の物語に耳を澄ます一方、石の方も人の物語に耳を澄ませています。
そして石はそっと聞き取った物語を、再び人に語って聞かせてくれるのです。

これは比喩的な意味ではありません。実際、そうやって人と石が盛んにやりとりをしていた時期があります。


鉱石ラジオで用いられた、検波用鉱石各種(1920年代、アメリカ)。

空中をゆく電波は、アンテナによって微弱な高周波電流となりますが、それを物語として聞き取るには、さらに検波器を通してやる必要があります(それによって、高周波電流の中に埋もれている、音声に対応した低周波成分を取り出すのです)。



缶のデザインがなかなかいいですね。
この3~4cmの小さなブリキ缶の中に、さらに小さな鉱石が入っていて、当時の人はその表面を熱心にさぐり針で探りながら、検波に励んでいたわけです。


これは紙箱入り。中の鉱石は本当に小さくて、小指の爪の半分ほどです。


こちらのマイティ・アトム印のワイヤレスクリスタルは、ピンセット付き。
扱いに便利なのと、手の脂がつくのを嫌ったのでしょう。

商用販売された検波用鉱石の正体は、たいてい方鉛鉱で、上のもそうですが、小林健二氏の『ぼくらの鉱石ラジオ』(筑摩書房)によれば、検波に使える(整流作用を持つ)鉱物はほかにもいろいろあって、黄鉄鉱、紅亜鉛鉱、斑銅鉱、黄銅鉱、輝水鉛鉱、磁硫鉄鉱…etc.さまざまな名前が挙がっています。

どうやらこの惑星では、いろんな鉱物が、あちこちで聞き耳を立てているみたいです。中には宇宙からの声に気付いた石もあるでしょう。

さらに石の物語を追って2019年06月04日 20時42分26秒

「石の物語」ということから、A.E.フェルスマン『石の思い出』を連想し、再読していました。

(堀秀道・訳、草思社、2005)

この本のことは、ずいぶん前に取り上げた気がするのですが、探しても該当記事が見つかりません。どうやら、私の脳内だけの紹介にとどまっていたようです。そんなわけで、改めてフェルスマンの登場です。

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ずばり、これは良い本です。
こういうものを本と呼び、こういう体験こそ読書というのでしょう。もちろん、これはその人の感覚に合う/合わないにもよりますが、私の個人的要因を差し引いてもなお、これは良い本といって差し支えないです。

これがどういう種類の本か、それは冒頭の「著者のことば」に最もよく表れています。

 「興味深い小説を読むときのように、“先に終わりを見てから一気に読みくだす”――このようにはこの本をお読みにならないでください。
 仕事をしながら、新聞を読みながら、ラジオの音楽を聴きながら、電話や仕事の話の合間に、この本をお読みにならないでください。
 そのかわり、ちょっとひと休みしたいとき、目新しい興味を得たいとき、一般に知られていない珍しい分野に浸りたいとき、このようなときに、ぜひ読んでいただきたい。
 『石の思い出』は、ある人生の歴史であり、自然へ寄せた風変わりな愛情の記録であり、五十年もの長い時間をかけて探りつづけた自然の秘密でもあります。〔…〕」

この本は暇のあるときに、のんびり読むのがふさわしいです。でも、「暇つぶし」に読まれるべきではなく、心で味わわれるべき本です。

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アレキサンドル・エフゲニェビッチ・フェルスマンは、1883年にペテルブルグで生まれ、人生の前半を帝政ロシアで、後半を革命後のソビエト連邦で送った鉱物学者です。亡くなったのは1945年、第二次大戦終結の直前で、この『石の思い出』は、まさにその没年に出ています。 <6月6日訂正: 邦訳が底本にしたのは1945年版ですが、『石の思い出』自体は、1940年初版の由>

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一連の物語は、老学者が炉辺で物思いにふけるシーンから始まります。
外はしんしんと降る雪――。老学者はその気配にじっと耳を澄ませます。

そこに湧き上がる思い出の数々。
そこから展開するエピソードの主人公は、フェルスマン自身のこともあるし、彼が他の誰かから聞いた話の再録の場合もありますが、いずれも過去のある時点で、フェルスマンがじかに接した思い出の数々です。

岩石と鉱物は、この碩学の人生を常に彩ってきました。
北の果てに住む老女から聞いた「サアーミ人の血で赤く染まった石」の伝説。愉快な鉱物採集の旅が、突如暗転した人間の心の闇。イタリアのエルバ島で極上のピンクトルマリンが採れなくなった理由を悲しげに語る古老の顔。天青石の瞳を持つ女性を詠った革命詩人…。温暖な黒海沿岸で、雪で覆われた北のコラ半島で、さらに遠い異国で、フェルスマンは多くの石の思い出とともに日々を送ってきました。

彼の透徹した観察眼は、大地にも人間にも向けられ、そのペンが描き出す美しい自然と、奥行きのある心理描写は、この本を実に豊かなものにしています。

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この本に深い味わいを与えているのは、すぐれた訳文の手柄でもあります。
訳者の堀秀道氏(1934-2019)については、今さら言うまでもないでしょうが、在野で長く活躍し、日本の鉱物趣味の普及発展に大きな力のあった方です。惜しくも今年の1月に亡くなられました。

堀氏は、フェルスマンのこの本を、すでに20歳のときに初訳されています(理論社、1956)。それを50年後に再訳されたのは、多くの読者の声に応えるためもありましたが、堀氏自身、この書に深い愛着があったからでしょう。

旧訳と新訳の間で、当然ことばの彫琢も加わっているでしょうし、堀氏自身の人生経験も重なることで、この本の味わいをいっそう深めています。

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かつてこの本に強い感銘を受けた私は、フェルスマンに会いに行こうと思い立ち…といって別にロシア旅行を企画したわけではなくて、例によってディスプレイの前に陣取って、いろいろいじましい画策を始めたのですが、それはまた次回。

(この項つづく)

フェルスマンに会う2019年06月06日 07時02分37秒

フェルスマンに会うために私がしたこと。それは、彼の生前に出た、彼の本を手にすることです。「なあんだ」と思われるかもしれませんが、私はそうすることで、彼の肉声に触れ、その体温をじかに感じられるような気がしたのです。

そこで見つけたのが、Занимательная Минералогия(おもしろい鉱物学)』という大判の本です(1937、モスクワ)。


…といって、体温はともかく、肉声の方はなかなか難しいです。
題名からして、このキリル文字をラテン文字に置き換えると、「Zanimatel'naya Mineralogiya」となると、Googleは教えてくれますが、「ミネラロギヤ」はともかく、最初の単語は何度読み上げてもらっても聞き取れないし、ましてや発音できません。


そんな次第なので、せっかくのフェルスマン博士の本も、ときどき挟まっているカラー図版を楽しみに「めくる」ことしかできず、きっと滋味あふれることが書かれているのだろうなあ…と想像するばかりです。でも、これはたとえ本物のフェルスマンに会うことができても、彼の母国語を理解できないので、同じことでしょう。


   ★

この本のことは、『石の思い出』にも出てきます。

その最終章(「第19章 石にたずさわる人々」)で、フェルスマンは自著に対する少年少女の感想を並べ、これからも多くの素晴らしい人々が、鉱物学の発展に力を尽くしてくれるだろうと期待しつつ、筆をおいています。(以下、〔…〕は引用者による略。引用にあたって漢数字をアラビア数字に改めました。)

 「私の書いた『おもしろい鉱物学』に応えて、大勢の若い方々から手紙をいただいた。たくさんの若い鉱物ファンが我が国に生まれているのである。それらの手紙は純真率直で、自然と国に対する深い信頼をもって書かれている。〔…〕

 「ぼくは小さいときから石が好きでした。いつも石を家へ運び込むので怒られたことが何回もありました。」(12歳の少年が大きな文字で書いたもの、1934年)
〔…〕
 「ぼくは化学と鉱物が前から好きでした。もう64個の鉱物標本を集めました。ぼくはもう13歳です。自分の実験室を持っています。結晶をつくることもできます。学校(7年制)を終えて、すぐ科学アカデミーへ入ることはできますか」(1931年)
 「本をありがとうございました。私たちはお父さんの部屋から持ってきて、自分たちの部屋へ置きました」(8歳と10歳の女生徒)
〔…〕
 「ぼくは小さいときからよく家から外に出て、小鳥や動物や植物を観察していました。コレクション用に標本を集めました。そのころから6年たちました。ぼくは少年サークルを2つつくりました。そして天山山脈に登山し、岩の中から野生のネギや有用植物を採集しました。その山の中で、ぼくは石に興味をもつようになりました。大地の秘密を解き、大地の富を開拓しようと決心しました」(7年生)
〔…〕
 「私は19歳の娘です。鉱山大学の地質・探鉱学部へ入学することが以前からの念願でした。ところが、女はこの仕事に向かないし、仕事のじゃまになると男の人たちはいいます。これはほんとうでしょうか、どうぞ教えてください。現場の職員になることを希望しています」(1929年)

 このような手紙がまだたくさんきている。私は一言も付け加えていないし、間違いを直してもいない。飾り気のない文章と若い魂の息吹を保とうと思ったからだ。」
(邦訳pp.193-195)

   ★

まぶしい感想が続きますが、ここまで書いたところで、その差し出しが1937年以前であることに気づきました。

「あれ?」と思って、英語版やロシア語版のウィキペディアで、フェルスマンの項目を見たら、『おもしろい鉱物学』は1928年に初版が出て、1935年に改訂版が出ていること、さらに30か国以上で翻訳・出版されていると書かれていました。したがって、手元にあるのは、改訂版の、さらに後に出た版になります。改めて本書が評判を呼んだベストセラーであることが分かります。


手元の本は、扉にべたべたスタンプが押されていて、図書館除籍本のようですが、この本をかつて多くの少年少女が手にしたのか…と思うと、フェルスマンの引用した彼らの声が、いっそう生き生きと感じられます。

   ★

ここでさらに、「30か国以上で翻訳・出版」と聞いて、「もしや…」と思い調べたら、果たして『おもしろい鉱物学』は、邦訳も出ていることが分かりました。

訳者は同じく堀秀道氏です。1956年に出た『石の思いで』(初訳時は『…思い』ではなく『…思い』)から11年後の1967年に、同じ版元(理論社)から出ています。これで「体温」ばかりでなく、「肉声」の方も、その内容を無事聞き取れることになり、めでたしめでたし。

ただ、この邦訳『おもしろい鉱物学』は、絶版久しい相当な稀書らしく、古書検索サイトでも見つかりませんでした。やむなく近くの図書館で借りてきましたが、ついでに『石の思いで』の旧版も借りることができたので、これはこれでラッキーな経験です。

(邦訳『おもしろい鉱物学』の底本は1959年版。この本がフェルスマンの死後も盛んに版を重ねていたことが分かります。)

   ★

こんな風に話を広げていくと、なかなか読書の楽しみは尽きません。
これもブログの記事を一本書こうと思ったからこそなので、やっぱり書くことは大事です。

フェルスマンの大地へ2019年06月07日 06時41分05秒

昨日のフェルスマンの原著を買ったのは8年前のことですが、フェルスマンへの傾倒は、その後もずっと伏在していました。


去年の6月、ソ連生まれの岩石・鉱物標本セットを見つけたとき、それがただちに甦り、これでフェルスマンの古い友人たち――彼が目にし、手にした石たち――に、ようやく会えると思ったのです。

(『おもしろい鉱物学』原著付図。広大なソ連の主要鉱産地)

標本自体は1960年代のものらしいので、フェルスマンよりも後の時代のものです。
箱もプラスチック製の安手な感じですが、そこに居並ぶ石たちは、たしかにフェルスマンの故国の住人たちです。


律儀に整形された、30種類の石たち。


標本に付属する内容一覧は、当然ロシア語で、一瞬くじけそうになりますが、ここが踏ん張りどころ。これを無理にでも読み下さなければ、フェルスマンの故国への扉は開きません。その頑張りの成果が以下。

■内容目録 鉱物・岩石30種標本
1 苦灰石中の天然硫黄/トルクメニスタン、ガウルダク〔マグダンリー〕
2 黄銅鉱を伴う斑銅鉱/南ウラル、ガイ
3 閃亜鉛鉱/カザフスタン、ジャイレム
4 並玉髄(コモン・カルセドニー)/カザフスタン、ジャンブール
5 斜方晶チタン石(sphene prismatic crystal)/コラ半島
6 雄黄(orpiment)/キルギスタン、アイダルケン
7 アマゾナイト/コラ半島
8 金雲母/コラ半島
9 ラズライト(青金石)/パミール、ランジュヴァルダラ(? Lanjvardara)
10 ばら輝石/ウラル、クルガノヴォ
11 榴輝岩(エクロジャイト)中の苦礬柘榴石(くばんざくろいし)/南ウラル、シュビノ
2 蛇紋石/ウラル、バジェノボ
13 青色方解石/バイカル、スリュジャンカ
14 アイスランドスパー(氷州石)/エヴェンキア〔中央シベリア〕
15 石膏(劈開模様あり)/トルクメニスタン、ガウルダク〔マグダンリー〕
16 透石膏/ウラル、クングル
17 粒状燐灰石/コラ半島、ヒビヌイ山脈
18 菱苦土鉱/ウラル、サトカ
19 蛍石/裏バイカル地方
0 アマゾナイト花崗岩/カザフスタン、マイクル(? Maikul)
21 黒曜石/アルメニア
22 貝殻石灰岩/マンギスタウ半島〔カザフスタン〕
23 ピンクマーブル/バイカル、スリュジャンカ
24 蛇灰岩(オフィカルサイト)/ウラル、サトカ
25 砂金石(アベンチュリン)/ウラル、タガナイ
26 赤色珪岩(ラズベリー・クォーツァイト)/カレリア、ショクシャ
27 リスウェナイト(Listwanite)/ウラル、ベレゾフスキー
28 碧玉/ウラル、オルスク
29 ウルタイト(urtite)※※/〔コラ半島〕ヒビヌイ山脈
30 魚卵状(oölitic)ボーキサイト/カザフスタン、アルカルイク

   ★

当然、誤読・誤解・誤訳もあるでしょう。それでも、ウラル、カザフスタン、コラ半島…etc.の文字の向こうに、『石の思い出』の世界が、鮮やかによみがえります。


ここには少壮のフェルスマンが、選鉱台上を黒い帯となって流れるのを見つめた、アルタイ山地の閃亜鉛鉱(第1章)もあれば、


勇敢なソビエトの地質学者が、苦闘の末に見つけた、パミール高地のラピスラズリ(第13章)もあり、


古い石膏細工の村で、職人たちが手にしたクングルの透石膏(第4章)があるかと思えば、


北のコラ半島で鉄道新駅の名前の由来となった、同地の燐灰石(第15章)もあります。


そして、世界有数の模様と色彩でフェルスマンを幻惑した、オルスクの碧玉(第12章)も…。

   ★

嗚呼、フェルスマン博士よ―。
極東の島には、今もこうして博士のことを敬慕する人間が、たしかに少年の瞳は失ってしまったけれど、それでも石の物語に耳を澄まそうとしている人間がいるのですよ…と手紙を送りたい気分です。


以上が、私の“『石の思い出』の思い出”です。

(この項おわり)


【註】
Listwanite(リスウェナイト)はオフィオライト中の変質した苦鉄質岩を表す用語であ り、〔…〕ウラル地方の金鉱床地帯やソビエト国内のその他の金鉱徴地において主としてロ シアの地質学者の間で使用されてきた」 (→LINK

※※Urite  主として霞石(岩石の約85%)と強磁性鉱物(エジリン輝石、エジリン-普通輝石、およびソーダ-鉄角閃石)から成る粗粒の火成岩。 その名はロシアのコラ半島にあるLujaur-Urtに由来し、不飽和閃長岩の一種である。」 (→LINK

水晶山を越えた先に2019年06月08日 15時16分50秒

ここ一週間は、石の話題が続きました。
最初は時計荘さんのイベントの話題からで、その際、メキシコの巨大水晶の洞窟と小さな水晶の群晶の写真を並べました。




あの洞窟をゆく探検家に、小さな水晶山に分け入ってもらうと、こんな感じになります。


私はこういう空想をするのがわりと好きで、写真の切り貼りこそしませんが、心の中ではしょっちゅうそういう像を思い浮かべます。そして、そこからボンヤリと、それに続く物語を展開させたりします。

(Water Droplet. (C) fir0002 flagstaffotos [at] gmail.com)

あるいは一滴の水玉のうちに、宇宙の生成消滅を思い浮かべてみたり。


何だか幼い気もしますけれど、そういう空想をする人は、わりと多いでしょうし、これは間違いなく人間の自由さの表れでもあります。人間は――少なくともその精神は――空間と時間の枠を超えて、同時に複数の場所に存在できるし、複数の経験をすることができるのです。

…というようなことを、余命が乏しくなってくると、しきりに考えます。

金色の天文時計2019年06月10日 07時00分47秒

今日は時の記念日
これは我が国で初めて漏刻(ろうこく、水時計)が使用されたという、天智天皇の故事に由来する日本限定の記念日ですが、ここでは金色まばゆい異国の時計に登場してもらいましょう。

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昨日、つれづれにYouTubeを見ていて、下の動画に行き当たりました。


An Astronomical Table Clock, Augsburg, Circa 1600, on Auction in London

これは、サザビーズ(ロンドン)の2013年6月オークションに登場した、卓上天文時計の宣伝用動画です。ドイツのアウグスブルクで1600年頃に作られたもので、巧みな金属加工技術と、優秀な時計製作術が合体した、まさに逸品中の逸品。

評価額は12万ポンド~18万ポンドと出ていて、今日のレートで換算すると、1,700万円~2,500万円。モノも驚きですが、世の中にはこういうものをポンと買う人がいるんだなあ…というのがまた驚きです。

検索したら、この品はサザビーズのサイトに、その詳細が載っていました。


A gilt-metal quarter striking astronomical table clock, Augsburg, circa 1600

それによると、実際の落札価格は、評価額のちょうど真ん中、15万8,500ポンドでした。同じく日本円に換算して2,184万円也。やっぱりいいお値段ですね。

でも考えてみれば、億ではなくて2,000万円というのは、いくぶん微妙な数字です。普通の勤労者でも、小っちゃなマンションを買うつもりで、バーンと張りこんだら、買えないことはない額。しかもですよ、マンションはいずれ減価償却で、無価値になってしまいますが、この古時計はそんな心配はないのですから、はるかにお得です。

…という風に考えてみたらどうでしょう?
まあ私も含め、先立つものがなければどうしようもないですが、「長屋の花見」よろしく、とりあえず気分だけでもパーッと景気よく行くのはタダですから、梅雨のジメジメをしばし忘れて、夢を膨らませるのもいいんじゃないでしょうか。

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そういえば、金融庁が「老後に備えて2,000万円貯蓄せよ」と言って、批判を浴びました。今や私の脳裏には、アウグスブルクの金時計が一家に一台、国中にずらっと並ぶ光景が思い浮かびますが、確かにそこまでしないと国民の生活が覚束ないというのは、相当危機的な状況です。

国の破綻を告げる漏刻の水は、今も刻一刻したたり続けています。

「それなのに今の政府は…」と、私なら続けたいですが、それに対する反論も当然あるでしょう。いずれにしても、この苦い現実は、各人がそれぞれの立場で、よくよく考えねばなりません。

銀色の天空時計2019年06月11日 07時09分47秒

我が家に豪華な金の時計はありませんが、ちょっと素敵な銀の時計ならあります。


銀といっても素材はピューターです。それと天文時計としての機能はないので、仮に「天空時計」と呼んでみました。東西冷戦下の西ドイツ製で、1970年代頃のもののようです。

さして古くもないし、もちろん2,000万円もしませんが(2,000円よりは高かったですが、2万円よりは安かったです)、白銀に輝くこの時計は、その美しいデザインに心惹かれるものがあります。


銀の空には銀の月輪と地輪が巡って時を告げ、


日輪はといえば、背面で銀の炎をあげて燃え盛り、

(正面向って左にオリオン、右におおぐま・こぐま)

側面には銀の星が浮かび、星座を形づくり、


そして、その下を銀の鳥が一心に飛び続けています。
どうです、なかなか素敵でしょう?

   ★

以下、余談。

その鳥の列なりが天空を一周して、彼らは永遠に空を飛び続けているのだ…と気づいたとき、私は言葉にならぬ思いにとらわれました。その言葉にならぬ思いをあえて言葉にすれば、「いのちの哀しさ」といったようなことです。

おそらく、これは時計のデザイナーの意図から外れた、個人的感傷に過ぎないのでしょうけれど、そのときの私に、ズシンとくるイメージを喚起しました。

理由も目的もないまま、ひたむきに時間と空間の中で循環を続ける生命―。
自分もその片鱗に過ぎないとはいえ、なんだか無性に切ない気がします。
ひょっとして、手塚治虫が『火の鳥』で描きたかったのは、こういう思いだったのかもしれません(違うかもしれません)。

水の惑星2019年06月12日 18時57分14秒

梅雨本番です。
ありふれた光景ですが、紫陽花が雨に濡れている風情なんかは、やっぱり好いですね。

考えてみれば、雲が空を走り、大量の水が空から落ちてくるなんて、ずいぶん不思議な現象です。私はその景色を、これまで幾度目にしたのでしょうか?

調べてみると、年間降水日数は、関東や中部だとだいたい100日前後です。この中には雪の日も含まれ、また1ミリ未満の降水日は勘定に入ってませんが、まあ大雑把に言って、私はこれまでの人生で、5千回か6千回の雨を目撃した計算です。多いようでもあり、少ないようでもあり。

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透明なガラスに描かれた青い地図がさわやかな幻灯スライド。
黒枠に金の星のワンポイントも洒落ています。
ピッツバーグのスティエレン光学社(Stieren Optical Co.)が、20世紀初頭に売り出したもの。


これが何かというのは、裏面のラベルに書かれています。
「Land and Water Hemisphere」、すなわち「陸半球と水半球」

地球の陸地は、巨大なユーラシア大陸がある分、明らかに南半球より北半球に偏在していますが、地球儀をいろいろな角度から眺めると、さらに陸地の割合の多い半球と少ない半球に分割できることに気付きます。それがすなわち陸半球と水半球です。


満々と水をたたえた水半球。
そして、精いっぱい陸地を取り込んだ陸半球でも、較べてみると、やっぱり海洋面積のほうが、陸地の面積よりも広いのだそうです。この星は何といっても水の惑星です。空から絶え間なく水が降ってくるのも、ある意味当然なのでしょう。


一面にあふれる青い光。


時には梅雨がうっとうしく感じられる折もありますが、水の惑星の住人として、今年はこの涼しげな水の色を眺めながら、せいぜい水に親しもうと思います。

空をつるぎが飛ぶ日2019年06月16日 17時24分59秒

今日は一日中涼しい風が吹いていました。
風の音以外何も聞こえない、とても静かな休日で、畳に寝転んで青い空を見ていると、憂き世のことなど忘れてしまいます。しかし、たとえ現実から目をそらしても、その苛烈さが無くなるわけではありません。

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今日も青い幻灯スライドです。

(ロンドン・ニュートン社製、19世紀末)

隅に見える手描きの文字は…


「Comet Sword over Jerusalem (エルサレム上空の彗星の剣)」。

西暦66年1月、エルサレム上空に巨大な剣(つるぎ)の形をした彗星が出現し、人々に何か恐るべき事態が近いことを告げているようでした。


果たしてこの年、ローマ帝国の支配下にあったユダヤ属州の民は、帝国に対して反乱を起こし、ローマ軍との大規模戦争へと発展しました。しかし、ユダヤの民の奮戦も空しく、西暦70年には、ローマ軍によってエルサレムが制圧され、かつてヘロデ王が築いた壮大な第二神殿も、破壊焼亡の憂き目を見たのです。これこそが後世「流浪の民」と呼ばれた、ユダヤ民族の長い苦難の歴史の始まりでした。

なお、後世の学者はこの66年の大彗星を、ハレー彗星と推測しています。

   ★

さて、時は移って西暦2019年の日本。

かつて一時の繁栄を誇った国も、急速に衰運の道をたどり、漠たる不安が社会の隅々にまで広がっています。いずれ天意が象(かたち)となって、大空に出現せぬものでもあるまい…と、昼となく、夜となく、油断なく空を見守る日々が続きます。