フォントネル 『世界の複数性についての対話』 (2)2009年03月09日 12時47分17秒


自分が今いるこの部屋を、私は戯れに「ひとり驚異の部屋」と称し、その中で自足した日々送っていたのですが、昨日、この部屋を、そのようなものとして初めて訪問されたお客様がありました。

これまで薄い繭の内部に籠もって、延々と暗い文章を紡いできた自分としては、この来訪によって、そこに裂け目が入り、内部の空虚な世界と外部のリアル世界が初めてつながったような、非常に新鮮な感覚を味わったのでした。

世界というのは、いろいろな在り様を示すものでしょうが、多様でありつつも、相互につながっている。そう、誰かが言ったように、地平線のかなたには、また別の地平線が広がり、尽きることがない…。

  ★

さて、「多世界論」の衝撃というのも、まさにこれに比すべきものかもしれません。(←ちょっと強引な話題展開)

多世界論というのは、要するに「宇宙人はいる」という考えです。
このフォントネルの本の中では、二人の男女が星空の下、幾夜にもわたって他の星に住む住人について語らいを続けます。

「他の惑星は地球と同様の存在であり、等しく太陽の周りを回っている。地球上に生命がこれほど遍在している以上、他の惑星にいないと考える理由はない。そして恒星はそれぞれが太陽であり、惑星たちを従えており、その遠い惑星世界にも生命は満ち溢れているはずだ。」

最初はコペルニクスの地動説すら知らなかった侯爵夫人も、最後の方では、哲学者の「私」の説明にすっかり得心し、多世界論に宗旨替えします。(彼女はそれを他の人にも自信満々に訴えますが、取り合ってもらえず、悄然として「私」に憤懣をぶちまけます。)

この「私」は、非常に言葉巧みな男で、皆さんも本を片手に、この男と仮想問答を試みていただくと良いと思うのですが、普通に読むと“いかにも”と納得させられるものがあります。身近なところでは、月世界に生命はあるのかないのか。もしも21世紀の今も月探査機が飛んでいない世界を想像すると、その世界では多分いまだに決着が付いていない問題でしょうね。

いろいろ考えてみると、太陽系を超えた恒星宇宙や、さらに遠方の深宇宙については、フォントネルの議論が依然まったく有効だと認めないわけにはいきません。生命科学がいかに進歩しようとも、「結局は見てみないとわからない」としか言いようがないことに、改めて気づかされます。

「サロンを席巻した空前のベストセラー…ロケット無用の宇宙の旅へ」
邦訳の帯の惹句ですが、皆さんもぜひサロン的会話の妙と、人間の想像力の飛翔ぶりを楽しんでみてください。面白い本です。訳文も非常にこなれていて読みやすいです。

(上の大きな画像は、邦訳の巻末付録、「複数世界論の系譜」。これは人々が宇宙に寄せる思いの系譜であり、また広義の天文趣味の系譜とも言えるでしょう。人間は不可避的に天界に地上を投影してしまうものなのか…。)

コメント

_ S.U ― 2009年03月09日 20時49分33秒

デカルト以来のこういう「ロマンはあるが検証困難な理論」は、20世紀以降の物理学に引き継がれ、時代とともに死に絶えそうになりながらギリギリのところでまた復活して、現代までつながっているように思います。

 「複数世界」という名称がまたインパクトがありますね。系譜の延長上にくるのかどうかはわかりませんが、20世紀以降の似たような名称の理論は、ちょっと思い出すだけでも「朝永の超多時間理論」、「エヴェレットの多世界解釈」、「マルチユニバース理論」、「余剰次元」... どれもぜんぜん違う内容の理論ですが、この世界にぱっかりと思いもよらない豊富な世界が口を開けているかもしれないという畏れには共通するものがあるように思います。

_ 玉青 ― 2009年03月10日 22時45分48秒

数学の匂いが漂ってくると、それだけで異世界への畏れを感じる口なのですが(笑)、それはさておき、どうも人間は常に異界を夢想するもののようですね。

省みると、物理学理論によるものも含め、人間の知の系譜はまさに異界憧憬の歴史とすら思えてきます。検証可能性という便利な道具を封じてまでも、それを求めずにはおられない、人間の性を感じます。いったいこれはどういうわけなのか…大いに考えてみる価値がありそうです。

(たぶん、人間は本来的に「心」という大きな異界を抱え込んだ存在であることが関係していると思うのですが、まとまった答は思いつきません。)

_ S.U ― 2009年03月11日 19時32分58秒

まっったく、何なんでしょうね。 現実世界を冷徹に見る物理学理論まで異界憧憬に陥っているのかもしれません。人間の心の異界は宇宙より深いのか...
 そうではなくて、フォントネルも天才物理学者たちも、現実世界と異界との境界ギリギリのこちら側に真実が潜んでいると見抜いたのかもしれません。また、彼らはさらに偉くて、何百年後かには自説が実証可能になる、と考えてこんな理論を公表したのかも。デカルトの充満説は20世紀の場の量子論によって初めて肯定的に解決された、ともいえるでしょう。
 とにかく、突拍子もない理論を唱える人の考えていることは見当もつきません。

_ 玉青 ― 2009年03月12日 00時12分42秒

人間が厄介なのは、異界が確かなものと定まり、一種のリアリティを獲得すると、また新たな異界を探し始めて、永遠に満足しないところかもしれませんね。

辺境に潜む真実を追って、未来永劫、知の荒野をさまよい続けること。それがリンゴをかじって楽園を追われた人類の定めなのでしょう。

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