変わる歳末風景 ― 2024年12月30日 10時39分58秒
今年は郵便代の値上げのせいで、年賀状じまいをされた方も多いと思います。
私もご多分に漏れず、今年は賀状を書くのをやめてしまいました。「年賀状じまいの挨拶」すらさぼったので、かなり義理を欠くことになりますが、まあ自分は“その筋”の関係者でもないし、それほど義理を重んじることもなかろう…と達観することにしました。
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(Prosit Neujahr ! 新年おめでとう!)
20世紀初めにドイツで刷られた古絵葉書。
空で行きずりの挨拶を交わす三日月と彗星、それを望遠鏡で見上げるスノーマン親子を、クロモリトグラフで仕上げたかわいい作品です。
消印を見ると、1909年12月31日に、ドイツ東部の田舎町ゲリングスヴァルデで投函されたものと分かります。
この種のカードは今も大量に残されていて、紙モノマーケットで一大勢力を誇っています。上のカードは日本の年賀状と同趣旨の、もっぱら新年の挨拶用ですが、クリスマスカードと一体化しているものも多く、この辺は国によっても多少習慣が異なるのでしょう。
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ときに、ふと気になったのが、昨今のクリスマスカード事情です。
ひょっとして日本の年賀状離れと同様のことが、海の向こうでも起こっているのかなあ…と考えつつ検索すると、ただちに関連記事がいくつも出てきます。
たとえば、下はWEB版「The Citizen」誌に、同誌のシニア・レポーターであるPaul Owere 氏が寄せた記事で、つい先日、今年の12月25日に掲載されたものです。
(クリスマスカードの凋落:テクノロジーはいかに祝日の伝統を衰退させたか)
かつて年末の風物詩であったカードのやりとり。
12月の声を聞くと、そそくさとカードを準備し、一通一通メッセージを書き、投函したあと、お返しのカードが届くのが待たれたあの時間―。しかし、デジタル時代の到来とともに、少しずつ変化が生じました。メールが、インスタントメッセージが、そしてSNSが、人々の意識と行動を最初はゆっくりと、やがて急速に変えたのです。
Owere氏は述べます。
「人々がカードの必要性を疑問視し始めるまで、そう時間はかからなかった。単に祝日仕様の電子カードを送信したり、インスタグラムでお祝いのミームを共有したりするだけで済むのに、なぜカードを購入する費用、時間のかかる手書きのメッセージ、郵便代を気にする必要があるのか。
〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。
デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」
〔…〕多くの点で、テクノロジーは、ホリデーシーズン中に大切な人と有意義な形でつながるという、クリスマスカードの本来の目的に取って代わったようだ。
デジタルメッセージを送ると、より速く、より効率的で、多くの場合、より気楽に感じられるようになり、紙のカードを受け取ることで得られる期待感や親密さが失われた。封筒を開いて心のこもったメッセージを見つけ、マントルピースや冷蔵庫にカードを飾るという魔法は、薄れ始めたのだ。」
日本の状況と不気味なほど似ています。
別に日本人とアメリカ人が話し合って決めたわけでもないのに、まったく同じ現象が同時に進んでいるというのは、結局、ヒトは類似の環境に置かれれば、国家・民族・宗教の違いを超えて、自ずと類似の行動をとるからでしょう。
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ただ、Owere氏も述べるように、クリスマスカード(や年賀状)の習慣がすたれ、送ることが稀になればなるほど、そこに一層明瞭な意味が生じるのもまた確かです。自分が出さずにいてなんですが、それらは温かい思いやりや、個人的親密さの表現として、たぶんロングテールで生き残るんじゃないでしょうか。
コメント
_ S.U ― 2024年12月30日 15時16分15秒
_ 玉青 ― 2024年12月31日 11時39分32秒
>一往復に2年
あはは、あります、あります。でも大抵年賀状を書く季節以外は、こちらも先方もやりとりの内容を忘れているので、あまり痛痒を感じずに済んでいた気がします。もしこれが喫緊の内容だったら、昔も電話で用を足していたはずですが、そういうことは滅多になくて、まあ年賀状のやりとりぐらいがちょうどよいコミュニケーションツールであり、そういう関係性だったのでしょう。それはそれでまた善きかな…という気もしますが、私にとってはそれも既に過去のこととなってしまいました。。。
あはは、あります、あります。でも大抵年賀状を書く季節以外は、こちらも先方もやりとりの内容を忘れているので、あまり痛痒を感じずに済んでいた気がします。もしこれが喫緊の内容だったら、昔も電話で用を足していたはずですが、そういうことは滅多になくて、まあ年賀状のやりとりぐらいがちょうどよいコミュニケーションツールであり、そういう関係性だったのでしょう。それはそれでまた善きかな…という気もしますが、私にとってはそれも既に過去のこととなってしまいました。。。
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次におカネとデザイン選別の手間でしょうか。欧米のクリスマスカードというのは、お店に行って気に入ったのを選ぶのですね。これは、趣味のある人はともかく、なかなか誰でも喜んでできるというものではないように思います。粋のない見方かもしれませんが、しぶしぶ付き合っている人のほうが多数派だったかもです。特に、相手によって違う感じのカードを選ぶものなら、私には相当の苦痛になると思います。