へびつかい些談(5)2025年01月05日 08時43分32秒

へびつかい座とアスクレピオスの結びつきが当初は弱かったとすれば、「じゃあ、あの蛇遣いのそもそもの出自は何だろう?」というのは当然気になるところです。普通に考えると、ギリシャの星座体系の母体であるバビロニアの星座に、その元があったのでは…とは誰しも思うところでしょう。

それを実際に跡付けたのが、『Babylonian Starlore』(2008)を著したGavin Whiteで、彼によるバビロニア星座の復元案が下図です。


左手のさそり座の北、図では向かって右に「Sitting Gods(坐せる神々)」「Standing Gods(立てる神々)」がいて、これが現在のへびつかい座とヘルクレス座の付近に当たります。

私はWhiteの原著は見ていなくて、同書を紹介している近藤二郎氏の『星座神話の起源―古代メソポタミアの星座』(誠文堂新光社、2010)を通じて間接的に知るのみですが、近藤氏の解説によると、以下のような次第だそうです。

 「『ムル・アピン』粘土板文書の星表の「エンリルの道」の21番目と22番目には、「Ekur(エクル)の立てる神々」と「Ekur(エクル)の座す神々」と並んで記されています。この神々とは、元来はヘビの神々を表すものです。イラク中部のエラムとの境界付近に位置したデール(Der)市では、ニラフ(Nirah)というヘビの神が崇拝されていました。ニラフ神は、ニップル市にあったエンリル神殿では、中バビロニア時代(前16世紀初~前1030年ごろ)まで崇拝されていました。このエンリル神殿は、「山の家」の意味を持つエクル(E-kur)という名でよばれていました。つまり「エクルの立てる神々」のエクルは、ニップルにあったエンリル神殿を表していたのです。」
(近藤上掲書pp.93-94。引用に当たって漢数字を算用数字に改めました)

(同p.93掲載の図。キャプションには「図3-11 ヘビの神々。足の先がヘビになっている。アッカド時代の円筒印章の部分。(ブラックとグリーン著、Gods, Demons and Symbols of Ancient Mesopotamia, Austin, 1992)」とあります)

   ★

へびつかい座にも前史があり、メソポタミアの蛇身の神がそこに隠れている…。もちろん、これまた仮説にすぎないとはいえ、こう鮮やかに説かれると、なるほどと頷かざるを得ません。

星座ロマンはギリシャ神話で打ち止めではなく、その向こうにさらなる悠遠の歴史があり、それらをひっくるめて「星座ロマン」なのだと思います。

(この項おわり)

コメント

_ S.U ― 2025年01月05日 11時42分27秒

長編、お疲れ様でした。最初から再読させていただいても読み落としがあるかもしれませんが、これは、蛇と医学とのオリジナルな結びつきはないということなのでしょうか。医学薬学の学会やカレッジの紋章で蛇が出てきて、あれはアスクレピオスの飼っている蛇なのでしょうが、あれが再生のシンボルとか種々の薬効の由縁でそこに登場してくるのではなく、たまたま星座の場所として結びついているだけなのでしょうか?

 子どもの時、身近で爺さんたちがマムシで酒に漬けたり、蛇の衣を野良仕事の傷の手当て用に採集しているのを見てきましたので、おっさんが蛇を持っているとそれだけで薬用! というのが私の刷り込みになっております。

_ 玉青 ― 2025年01月05日 14時26分09秒

以下、素人の無駄口ですが…

ヘビを神聖な生き物と見る観念は世界中にあると思いますが、その中核は「再生」のイメージで、そこから「不老不死」とも結び付くし、医療との結びつきも生まれるのでしょう。(あと東アジアでは水を司るものという性格もありますね。日本では水神にもなるし、龍と習合する傾向も強いです。)

ですから、へびつかい座との関係はさておき、アスクレピオスが蛇をお供にしているのはごくごく自然なことで、彼が手にする「アスクレピオスの杖」も古くからのもので、今も医療関係者がそれをシンボルにすることは何の問題もありません(アスクレピオスの杖自体は、特に星座とは関係ありません。)

余談ながら、蛇はアスクレピオス信仰において、単なるシンボル以上のものがあったようで、英語版wikipediaの「アスクレピオスの杖」の項を読むと、ギリシャ時代のアスクレピオス神殿には治療の儀式用の蛇が人為的に放たれ、あたかも奈良に行けば鹿がいるように、うようよその辺を這い回っていたみたいです。

https://en.wikipedia.org/wiki/Rod_of_Asclepius

上記のメソポタミアの蛇神の基本性格は分かりませんが、仮に医神の性格がそこにあったとすれば、へびつかい座には元々メディカルなイメージが伴なっていたことになるんですが、ただそこに医神アスクレピオスが居座るようになったのは、記事で書いたようにかなり後のことと思えるので、上の仮定が正しいとしても、その共通性は偶然に近いものでしょう。ギリシャの人は、長いこと「医」とは無関係なイメージをへびつかい座に投影していたようですし、要はへびつかい座におけるギリシャとバビロニアの共通項は、あくまでも「蛇」であり、「医」ではなかった…ということかと思います。

_ S.U ― 2025年01月05日 16時21分58秒

なるほど、事実は、ずっとヘビはいるべきところにいたのですね。「事実は小説より奇なり」と申しますが、偶然と必然の間の事実は、歴史学の理屈より複雑だということで、そういうものだと思って得心することにします。

 重ねてすみませんが、私にはさらに疑問の点があって、「ぎょしゃ座」が山羊を抱いているのもわかりません。山羊を抱いていると車の運転はしにくかろうに、山羊を育てても車を引かせるわけにも行かないだろうし、趣味で山羊を飼っているにしても、そんなにずっと抱かずとも、家の近くにつないでおくかはなしておくかすれば立派に育つものと思いますので、こちらは、へびつかい座以上の謎です。
 この星座は、ギリシャ神話でも中国でも戦車を表していたそうで、それも関連があったのか気になっています。ヤギ年はありませんが、もし、機会がありましたら、ご究明よろしくお願いいたします。

_ 玉青 ― 2025年01月06日 06時19分43秒

そうですね、羊と山羊は江戸時代以前の日本人にはまったく区別できてなかったですし、中国の人もあまり区別してなかった気配があるので、再来年あたり、おひつじ座をちょっと脇に置いて、山羊を話題にしてもいいかもしれませんね。まあ、お返事は2年後…ということで、先日の年賀状のやりとりみたいになりますが(笑)。

_ S.U ― 2025年01月06日 10時55分48秒

2年後なら御の字ですね。確率的には11年後ということもありえたわけですから。何はともあれ、よろしくお願いいたします。

_ Bay Flam ― 2025年01月31日 13時35分25秒

近代の星座絵つき星図を見ると、ヤギを抱いたお爺さんが描かれていますが、おそらく両者に直接の関係はないものと思われます。現在と違って、昔は星座の重複が認められていました。アンドロメダー座とぺーガソス座、牡牛座と馭者座は一つの星だけですが重複しています。他にも、牡牛座とヒアデス並びにプレアデス、蟹座とロバ(と飼い葉桶)のような例があります。ここも馭者座と山羊(たち)座が重複していました。なお、黄道12星座に日本で「山羊座」と呼んでいる星座がありますが、あれはヨーロッパでは Capricorn、「山羊の角をもつもの座」です。

_ 玉青 ― 2025年01月31日 15時58分00秒

ご教示ありがとうございます。となると、あのヤギとお爺さんは、お互いに「え?あんた誰?」と思いながら、ああやってひしと抱き合っていることになりますね。お互い迷惑だろうと思いますが、プトレマイオスの権威には逆らい難い…といったところでしょうか。

Xでのへびつかい座に関するご教示もありがとうございました。やはり世の中にはお詳しい方がいらっしゃるものですね。まあ私のはニワカ以前の落書きみたいなものですので、その辺はどうぞお目こぼしください。

_ S.U ― 2025年01月31日 21時39分54秒

Bay Flam様、ありがとうございます。
そういえば、私は何かの本で(野尻抱影?)、ぎょしゃ座の小さな二等辺三角形εζηを「子ヤギ」と呼ぶということを知っていました。これが独立した星座だったということなのでしょうか。「カペラ」もヤギですから、子ヤギの親かなにかだったのでしょうか。これまで、私が見た文献では「ヤギ座」という表現は記憶がないので、ぎょしゃ座とやぎ座が無関係で重なっているのという発想は起こりませんでした。こういうのは、名前の知識があるだけではダメで、歴史の時系列まで知っていないといけないのですね。

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