鳥啼き泪涸れ果てぬ ― 2025年01月10日 17時22分56秒
今週から仕事始め。
それと同時に鳥インフルエンザが猛威をふるい、身辺もバタバタです。
白い防疫服に身を包み、若武者に後れをとるまいと現場に赴きましたが、はかばかしい働きもせず、星空の下でいたずらに白い息を吐くばかりでした。やはり老いたる身には過酷な環境です。
殺処分の非情なることは言うまでもありません。
それでも、そこになにがしかの意味があればこそ、いくら鶏を屠っても、あとからあとから患畜が発生して、感染拡大が止まらないとなると、なんだか自分のやっていることに意味があるのかないのか、だんだん不条理な心持ちになってきます。もちろん、全部の鶏を「処分」してしまえば、それ以上の感染拡大はないわけですが、それでは意味がありません。
むしろ殺処分をやめて、斃れる個体は斃れるにまかせ、結果的に生き残った個体を「ウイルス耐性のある個体」として、継代飼養した方がよいのではないか…?
獣医学的に正しい理解かどうかはわかりませんが、そんな考えも頭をかすめます。
★
破滅に瀕した世界を描く、楳図かずお氏の『14歳(フォーティーン)』。
あそこに鶏肉工場で生まれた、チキン・ジョージという鶏頭人身の天才科学者が登場します。いかにも異常なキャラクターですが、鶏とヒトの関係が極限まで歪んだ先に、彼は立っているのでしょう。
★
殺処分の現場では、大地を離れた鶏たちの命が、幾筋も煙のように連なって空へと昇っていく様が、心の目にぼんやりと見えました。今宵は私も線香を一本焚くことにします。
コメント
_ S.U ― 2025年01月11日 10時56分59秒
_ 玉青 ― 2025年01月11日 12時41分34秒
最近はアニマル・ウェルフェアが主張されるようになりましたが、それにしても現在の養鶏場が「鶏卵工場」、「鶏肉工場」の様相を呈しているのは、否定できないと思います。
上の記事の中で、「斃れる個体は斃れるにまかせ、結果的に生き残った個体を「ウイルス耐性のある個体」として、継代飼養した方がよいのではないか」と書きましたけれど、この主張は、当該ニワトリ集団に遺伝的多様性がないと意味がないので、現実にはほとんど期待できないかな…と書いた後で思いました。
いずれにしても、要はシステムの在り様として、極端に<不自然=不安定>なんだと思います。どこかで無理をしているから、その無理が積もって、これまた不自然な形で問題が噴出するのでしょう。そして現代の養鶏場の不自然さは、現代の人間社会の不自然さの似姿でもあって、形こそ違え、我々の社会もやっぱり不自然な形で問題が折々噴出しているように見えます。
…なんだか評論家みたいな書きぶりになりましたが、まあ当たらずといえども遠からずでしょう。これこそ今回ニワトリたちが教えてくれたことでもあります。
思うに、世の中には大の虫もいれば小の虫もおり、さらには中の虫や、特大の虫や、極小の虫もいて、その全体はいわゆる複雑系でしょうから、小の虫を殺せば本当に大の虫が生きるかどうかは、なかなか予測困難かもしれませんね。
上の記事の中で、「斃れる個体は斃れるにまかせ、結果的に生き残った個体を「ウイルス耐性のある個体」として、継代飼養した方がよいのではないか」と書きましたけれど、この主張は、当該ニワトリ集団に遺伝的多様性がないと意味がないので、現実にはほとんど期待できないかな…と書いた後で思いました。
いずれにしても、要はシステムの在り様として、極端に<不自然=不安定>なんだと思います。どこかで無理をしているから、その無理が積もって、これまた不自然な形で問題が噴出するのでしょう。そして現代の養鶏場の不自然さは、現代の人間社会の不自然さの似姿でもあって、形こそ違え、我々の社会もやっぱり不自然な形で問題が折々噴出しているように見えます。
…なんだか評論家みたいな書きぶりになりましたが、まあ当たらずといえども遠からずでしょう。これこそ今回ニワトリたちが教えてくれたことでもあります。
思うに、世の中には大の虫もいれば小の虫もおり、さらには中の虫や、特大の虫や、極小の虫もいて、その全体はいわゆる複雑系でしょうから、小の虫を殺せば本当に大の虫が生きるかどうかは、なかなか予測困難かもしれませんね。
_ S.U ― 2025年01月12日 06時10分04秒
確かに、遺伝子の安定性や不自然さという意味では、F1種子の問題もあるし、国産の食料も危なくなってきましたね。
遺伝子や薬物の独占販売は、当面は飢える人が出ないように、ということで小の虫を殺しているつもりでしょうが、いずれいつかは大の虫を殺すことになると思います。
遺伝子や薬物の独占販売は、当面は飢える人が出ないように、ということで小の虫を殺しているつもりでしょうが、いずれいつかは大の虫を殺すことになると思います。
_ 玉青 ― 2025年01月12日 12時52分45秒
そういえば、4年前に「一殺多生」という言葉をめぐって記事を書いたのを思い出しました。あれから4年が経ち、またトランプ政権か…と冴えない気分です。
https://mononoke.asablo.jp/blog/2020/01/04/9198121
https://mononoke.asablo.jp/blog/2020/01/04/9198121
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「生かすために殺す」「大の虫、小の虫」云々と言いますが、こういうことばはしっくりきません。小の虫を殺したところで、大の虫が生きるとは限らず、そんな根性では結局は大の虫も殺してしまうことが往々にしてあるからです。しかし、それでも、卵や鶏肉はいまや国民の貴重なタンパク源で健康を維持するのに役立っていると思いますので、常時安全な供給を維持するには仕方ないのでしょう(今や鶏肉は国産の廃鶏ではなくもっぱら若鶏か中国産かも・・・不明)。
とにかく、小の虫を殺せば大の虫が生きるという、汎科学的で統括的な論証がほしいものと思います。