1899年の彗星騒動(後編) ― 2025年10月05日 09時06分11秒
検索すると、さっそく次のような記事が見つかりました。
1899年の彗星騒動は、米ウィスコンシン州マニトワックの町の理髪師が、「10月13日、彗星が地球にぶつかって、俺たちゃ木っ端みじんだぞ!」と、事あるごとに吹聴したおかげで、アメリカの一角でもパニックを引き起こしましたが、そこに「いや、衝突は10月13日ではなく、11月13日だ」と主張する、Rudolph Falf 教授という人が登場します。
「However, another man, an astronomy professor, Rudolph Falf, believed the true date was Nov. 13, 1899. He professed that “We all go up in smoke on November 13th, when the comet Temple hits the Earth.”」
ただし、ここでは”テンペル”ではなく”テンプル”彗星となっていて、何となく誤伝混じりっぽい感じがします。果せるかな、Falf 教授の名は実際には Falb であり、彗星の方は、19世紀に核が分裂して消滅したビエラ彗星(Biela’s Comet)が正解らしく、英語版Wikipediaには、既に関連の記述がありました。
■Rudolf Falb
■Biela's Comet
(該当記述はこちら、「注16」が付いた一文です。原典として挙がっているのは、Fyfe, Herbert C. (1900). "How Will the World End?". Pearson's Magazine. 10 (55): 85–94.)
★
(Rudolf Falb、1838-1903)
それにしてもファルプの伝を見ると、彼はなかなか興味深い人です。
粉屋の息子に生まれた彼は、修道院に入り、いったんカトリックの司祭になったものの、その後プロテスタントに改宗。この辺もちょっと不思議な感じがしますが、貴族の家庭教師をして小金をためた彼は、改めて大学に入りなおして、物理学や天文学、地質学を学びます。
かといって、彼はそのまま学界に入ることもなく、その才はもっぱらポピュラー・サイエンスの分野で発揮されました。特に彼の唱えた「月・太陽洪水説」(The lunisolar flood theory)――地震の主因は天体が地球に及ぼす潮汐力であり、月と太陽の相対的位置関係から、地震の発生を予知できるとする説――は、当時かなり人気を博した由。
さらに1883年から88年にかけて、インカ文明に関する著書を出版し、南米先住民の言語こそ「人類の原初言語」であり、それをセム語族と関連付けて新たな論争を巻き起こした…とWikipediaは説きます。この辺は、いかにも奇説めいた感じです。
そして「晩年」の項。
「脊髄麻痺性の疾患に次第に侵されながら、ファルプは1888年以降も「Critical Day」〔地震発生の要注意日〕のカレンダーの出版や、洪水神話や氷河期論を含むさらに奇抜さを増す著作の出版を続けた。その後15年間、妻と5人の子供と共に、ますます厳しい経済状況の中、彼はベルリン、故郷のオプダッハ、ライプツィヒを転々とし、最終的に再びベルリンに戻った。ルドルフ・ファルプは1903年、65歳でベルリンで没した。」
少なからず鬼気迫るものを感じます。ファルプはまさに一代の奇人です。
1899年の彗星衝突説は、この苦しい時期に唱えたもので、もちろん学界からはまともに相手にされなかったでしょうが、それでもアメリカの理髪師や、同じく脊椎カリエスで病に臥せっていた日本の俳人の心胆を寒からしめる程度の効果は発揮したわけです。
(この項、別の話題に転じつつ続く)
コメント
_ S.U ― 2025年10月08日 07時36分16秒
この1900年ごろは、「地球に彗星が衝突する」可能性の「危機を煽る」のが流行った時代ではなかったかと思います。しかし、天文学の発達史上は、ルヴェリエ・アダムズの海王星の予言・発見よりあとですから、彗星の楕円軌道の摂動計算が出来る人でないとそんな予想ができないことは学問上はあきらかです。さらに、テンペル・タットル彗星もビエラ彗星も1899年に地球に近づくのは正しかったですが、実際には長らく観測されていませんので、そういう計算は必須です。それにも関わらず、なんで、そういう怪しげな奇説が出てくる余地があったのか、ポピュラー・サイエンス業界の認識不足だけでは説明できない理由があるように思います。
_ 玉青 ― 2025年10月10日 14時58分05秒
思うに、ああいう奇説が流行るのは、人々の無意識にひそむ不安が「終末思想」と共鳴するせいでしょう。
特に1899年は、1999年のノストラダムスと同様、<世紀末>ということで、特に不安が煽られやすかったのかもしれません。
では、1910年のハレー彗星はどうかといえば、当時は前代にはなかった強力な武器の出現と、列強の覇権争いを背景に、世界戦争の恐怖が人々の潜在意識によどんでいましたから、それが世界の終わりを説く説と共鳴したのだと想像します。
彗星騒動はそこに科学的外皮がかぶっているのが特徴で、それがもっともらしさを高める役割を果たしていましたが、ただノストラダムスや、マヤの暦や、今年7月の津波騒動を見れば明らかなように、その根拠が「科学的」であること、たとえば予測が正確であることは、奇説流布の必要条件ではないように思います。
それ以上に、先行する「集合的不安」の多少が、奇説の流行を説明するより大きなファクターではなかろうか…というのが私見です。
(ただし、「科学」の放つ社会的オーラが、19世紀後半と現在とで大きく異なることには、留意が必要かもしれません。当時は科学的であることに、より大きな意味があったことでしょう。)
特に1899年は、1999年のノストラダムスと同様、<世紀末>ということで、特に不安が煽られやすかったのかもしれません。
では、1910年のハレー彗星はどうかといえば、当時は前代にはなかった強力な武器の出現と、列強の覇権争いを背景に、世界戦争の恐怖が人々の潜在意識によどんでいましたから、それが世界の終わりを説く説と共鳴したのだと想像します。
彗星騒動はそこに科学的外皮がかぶっているのが特徴で、それがもっともらしさを高める役割を果たしていましたが、ただノストラダムスや、マヤの暦や、今年7月の津波騒動を見れば明らかなように、その根拠が「科学的」であること、たとえば予測が正確であることは、奇説流布の必要条件ではないように思います。
それ以上に、先行する「集合的不安」の多少が、奇説の流行を説明するより大きなファクターではなかろうか…というのが私見です。
(ただし、「科学」の放つ社会的オーラが、19世紀後半と現在とで大きく異なることには、留意が必要かもしれません。当時は科学的であることに、より大きな意味があったことでしょう。)
_ S.U ― 2025年10月11日 08時49分58秒
社会文化的というか、そういう集団感覚の背景ですね。そういう文化的には、19世紀末は、案外長かったのかもしれません。第一次世界大戦、ロシア革命、大恐慌、ナチスの台頭まで一連の続きかもかもしれません。
科学史のほうからみると、精密科学の成果というのは、19世紀の海王星の発見はまだ「例外的特異点」であって、20世紀前半はもとより1980年代くらいまでは「旧思想」つまりいわゆる「SIRIUS」的な(「ムー」的とまでは言いませんが)感覚的な科学ごころにあったと思います。野尻抱影の天文解説を読んでいた、我々が子どもの頃までは旧時代だったのかもしれません。
1990年代以降は、精密科学が量が質を超えるパラダイムに入って、現代ではそれが通用しなくなっているとみます(科学史の範囲内の話ですが)。
科学史のほうからみると、精密科学の成果というのは、19世紀の海王星の発見はまだ「例外的特異点」であって、20世紀前半はもとより1980年代くらいまでは「旧思想」つまりいわゆる「SIRIUS」的な(「ムー」的とまでは言いませんが)感覚的な科学ごころにあったと思います。野尻抱影の天文解説を読んでいた、我々が子どもの頃までは旧時代だったのかもしれません。
1990年代以降は、精密科学が量が質を超えるパラダイムに入って、現代ではそれが通用しなくなっているとみます(科学史の範囲内の話ですが)。
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