実験の時間(9)…少年は物理学、では少女は?2012年09月13日 22時17分35秒

少女しか登場しない理科実験室とは?

私が「あるいは…」と疑っているのが、「植物学」のそれです。
Botanical laboratory(植物学実験室)というのは、日本の中等以下の教育機関では、昔も今も単独で存在しなかったように思いますが、イギリスにはそういう部屋があって、少女たちがさかんに顕微鏡を覗いたりしていました。

たとえば、下はイングランド西部、ブリストルの「セント・ジョージ中学校」の植物学実験室。標本棚や、植物学の掛図に囲まれて、女の子たちが顕微鏡観察の真っ最中です。


このSt, George’s Secondary School という校名、現在ネットで検索しても、スッと出てきません。ひょっとしたら、すでに廃校になっているのかも。ただし、Flickr に投稿されている同名の学校の絵葉書には、男子の体操風景が写っているので(↓)、古くから共学校だった可能性があります。となると、植物学実験室に女子しか写っていないことには、いっそう大きな意味がありそうです。

さらに類例。↓は、ロンドン西部のハマースミスに立つ、「ゴドルフィン・アンド・ラティマー女子校」の植物学実験室です。ここはもともと男子校でしたが、1905年に女子校に転じた学校です。


女生徒達は、それぞれ植物を手にして、いそいそとスケッチに励んでいます。窓辺の少女の、何となく思わしげな表情がいいですね。

   ★

19世紀の博物学と、そこで女性が果たした役割については、たとえばリン・バーバー著『博物学の黄金時代』(国書刊行会)の<第9章 婦人部屋の博物学者>でくわしく述べられています。

しかし、その後、女子教育制度が発展する中で、学校カリキュラムの中に理系科目がどのような順序で取り入れられていったのか? 果たして植物学はその先駆けだったのか? もしそうだとすれば、その背景には何があったのか?
…いろいろ気にはなりますが、正直、まだよく分かりません。

まあ、「男子は電気や機械を、女子は‘お花’を相手にしておればよい」というのは、ステロタイプな性役割論として、なんとなくありがちという気はしますけれど、実際どうだったんでしょうね。詳しい方のご教示をお待ちします。


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 明日から3日間出張に出るので、その間記事はお休みです。

コメント

_ S.U ― 2012年09月14日 07時42分58秒

>男子は電気や機械~ステレオタイプ
 観念的なステレオタイプもあったでしょうが、実際の職場環境の影響を受けているのではないかと思います。進路となる訓練所や工場などで、男子と女子の従業員への設備が同じように用意されていなかったということがあるのではないでしょうか。たとえば、寮、トイレ、更衣室などです。必ずしもステレオタイプからではなく、男子か女子の一方だけを集めることによって、職場が効率化できるというのが第一であったと想像します。

 植物について、女性中心の訓練所や園芸場があったのかはまったく知りません。たとえば洋裁を業とする人は、イギリスではおもに男性、日本ではおもに女性でした。イギリスの例は他に知りませんが、日本では、製糸工場は女性の職場の花形でした。

_ 玉青 ― 2012年09月16日 18時01分32秒

なるほど、職業教育上の要請から、という説ですね。
この点を考えるために、改めてイギリス教育史について検索したら、以下のような概説を見つけました。

http://kohoken.s5.pf-x.net/cgi-bin/folio.cgi?index=bun&query=/lib/khk121a1.htm

これによると、20世紀初頭のイギリス(イングランド)は旧態依然たる階級社会で、「グラマー・スクールを中心とする中等段階の教育と、労働者階級のための初等教育はまったく分離されていた」とあります。そして、中等教育を万人に開くということが、その後のイギリスの教育制度改革の要ともなったようです。

今回、絵葉書に登場した学校の多くは、男女ともにグラマースクール相当の学校ですから、上の文脈でいうと、在籍したのはミドルクラス以上の子弟なのでしょう。したがって、卒後の進路として、工場等で働くことは想定されていなかったように思います。

理系科目の履修状況に男女差があったとすれば、職業教育的な意味合いよりも、当時―ヴィクトリア朝的価値観を引きずっていた時代―にあって、「男子の教養」「女子の教養」として、それぞれ何がふさわしいと考えられたか、その直接的な反映ではなかろうかと、今のところ想像しています。

_ S.U ― 2012年09月16日 20時00分52秒

お調べありがとうございました。この人たちは、一般の労働者になる人達ではないのですね。
 20世紀初頭という時点が微妙なのですが、それでも、上級技術者や現場監督長のような人は、上流階級から出たということはないでしょうか。20世紀なら指揮をする人は中等教育が要請されることも考えられると思います。こういう人達がどういう教育を受けたかも興味ありますが、学校の実験課題の男女別とは無関係の問題かもしれません。

_ 玉青 ― 2012年09月17日 08時18分07秒

>上級技術者や現場監督長のような人

さらに調べてみたら、現代イギリスの階級と職業について概説した下のページを見つけました。
http://www.waseda.jp/sem-muranolt01/KE/KE0103.htm
イギリスの階級制度は、インドのカースト制並みに根深いらしく、今でもかなり露骨にあるようですね(その実際が旅行者には分かりにくいですが)。で、現状がこうであるとすれば、20世紀初頭においても、たぶん似たようなものだったんじゃないかなあ…と想像します。

職業と階級との関係という点では、
○専門職(法廷弁護士、判事、医師、大学教授・研究者、建築家)…アッパーミドルクラス、
○中間職(国会議員、事業経営者、会社重役、農場主、新聞記者、教師、警部)…ミドルミドルクラス、
○非筋肉労働の熟練職(不動産業者、製図工、写真家、銀行事務員、秘書、警官)…ロウアーミドルクラス、
○筋肉労働の熟練職(電気技師、バス運転手、コック、大工、家具職人、配管工)…ワーキングクラス

というような対応があると書かれていました。そして中流階級と呼ばれる中でも、教育に関しては、ミドルミドルとロウアーミドルとの間に格差があるらしく、

「八八年のイギリスの大学進学者七万九千人のうち、69.1%はいまだに大学教授、弁護士、医師、科学者、イギリス国教会の教区牧師、国会議員、大企業の重役、管理職など、中層中流階級以上といわれる職業の家庭の子弟で占められている。これに対して、銀行事務員、レストラン経営者、コックなどの熟練職の子供は約23%、農場労働者、ビール醸造人など半熟練職の子供は約6%となっており、土木作業員、港湾労働者など非熟練職の親を持つ家庭の出身者は1%をわずかに上まわっているにすぎない。」

と書かれていました。全体に占める各階層の人口比を考えると、大学進学率の階層差はさらに大きいのでしょう。

(※ネット上には、「イギリスの大学進学率は6割で、日本よりも高い」という記述もあって、「え?話が矛盾するぞ?」と思いましたが、どうやら、上の「大学」は学位授与権のある狭義の大学のみを指しているようです。高等教育カレッジや継続教育カレッジ、また1988年時点では大学とは別にポリテクニークがありましたが、そうした実学志向の高等教育機関をすべて合算すると、進学率は6割になるということのようです。)

えーと、何の話をしてましたかね。(笑)
そうそう、理系科目の履修状況の男女差の話でしたね。
で、改めて思ったのですが、仮に私が想像するような男女差がそこにあったとしても、まさかその根拠として「男子は電気や機械を、女子は‘お花’を相手にしておればよい」と露骨に主張するはずはないので、「それぞれ将来の生活に役立つものを学びましょう」というような理由がそこで語られていた可能性はありそうです。

  +

さて、話が長くなったついでにご報告を。
8月29日の記事のコメント欄で挙げた、『高橋景保一件―幕府天文方書物奉行』を読了しました。で、ご依頼のあった「ゲルテル・一般地理誌」についてですが、遺憾なことにまったく出ていませんでした。そもそもこの小説は、景保による樺太の地図作りの話ばかり取り上げており、天文暦学の話題をほぼ完全にスルーしています。作者の興味関心がたまたまそこだったのでしょうが、かなり偏頗な作品だと評価しています。

_ S.U ― 2012年09月17日 14時33分26秒

お調べありがとうございます。イギリスの階級制度はなかなか根深いようですね。技師の総監督のような人がどの階級なのか、いまひとつわかりませんが、設計に責任を持って施工を指導するのであれば、ミドルミドルクラスでしょうか。たぶん、軍においては技術将校のようなものがあって、ちゃんと機能したのではないかと思いますが、20世紀の民間技術界においては、この教育実態では世界に太刀打ちするのは厳しかったと思います。

 『高橋景保一件』のお調べもありがとうございます。世間では、景保は地理学界の人ということになっているのかもしれません。シーボルト事件のほうが有名ですから、この人が天王星観測を指揮したのかなどと詮索しているのは我々くらいでしょう。この本「ゲルテル」も、地理分野のために購入されたものだと思いますが、本文第1章冒頭2ページめに、「Uranus 別名 Herschel 別名 ジョージ星...」  と出てくるので、これを早々に読んでいてくれると話が通じやすいのですがね。

_ 玉青 ― 2012年09月18日 06時27分23秒

>この人が天王星観測を指揮したのかなどと詮索しているのは我々くらい

「我々」のお仲間に加えていただき光栄です。
この秋の読書の成果によって、近世天文学史の知識も増したので、S.Uさんの諸論考を改めて再読しようと思っています。それにつけても(いきなり私信めいた内容で恐縮ですが)、日本ハーシェル協会の活動の方が沈黙しており、まったく慙愧に堪えません。今の本業の状況だと、ブログと協会の同時運営はなかなか難しいのですが、そうも言ってられないので、せいぜい頑張りたいと思います。(と言いつつ、最近は頑張りが利かなくなってきました。気力・体力がどうも。。。)

_ S.U ― 2012年09月18日 07時09分14秒

>諸論考を改めて
 ありがとうございます。こちらこそ光栄です。また、ご指摘をいただければ、改善や発展に向かえるものと思います。

 日本ハーシェル協会のほうは、あまりお役には立たないでしょうが、また私なりの考えを私信でお送りしたいと思います(これから考えるのですから、気長にお待ち下さい)。

_ 玉青 ― 2012年09月19日 06時02分46秒

ありがとうございます。
どうぞ合力よろしくお願いいたします。

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