夜空の大四辺形(2)2024年06月03日 18時43分41秒

草下英明氏の回想録『星日記』(草思社、1984)に、草下氏と抱影、それに村山定男の3氏が写っている写真が載っています。あれは元々カラー写真で、「色の着いている抱影」というのは、AIによる自動着色以外珍しいんじゃないでしょうか。


あるいは、石田五郎氏が自著『野尻抱影―聞書“星の文人伝”』(リブロポート、1989)の中で引用された、抱影が草下氏に宛てた葉書。これは抱影が宮沢賢治を評したきわめて興味深い内容ですが、その現物は以下のようなものです。


なぜ私の手元にそれがあるか?もちろん元からあったわけではありません。

これらの品は、ごく最近、藤井常義氏から私に託されたものです。藤井氏は池袋のサンシャイン・プラネタリウムの館長を務められた方ですが、プラネタリアンとしての振り出しは渋谷の五島プラネタリウムでした。そして時期は違えど、草下氏も草創期の五島プラネタリウムに在籍していたことから接点が生まれ、以後、公私にわたって親炙されました。

そうした縁から草下氏の没後、氏の手元に残された星に関する草稿・メモ・書簡類を藤井氏が引き継がれ、さらに今後のことを慮った藤井氏が、私にそれを一括して託された…というのが事の経緯です。

この資料の山に分け入ることは、ブログで駄弁を弄するようなお気楽気分では済まない仕事なので、私にとって一種の決意を要する出来事でした。「浅学菲才」というのは、こういうときのためにある言葉で、本来なら控えるべき場面だったと思いますが、しかし浅学だろうが菲才だろうが、その向こうに広がる世界を覗いてみたいという気持ちが勝ったのです。

いずれにしても、これはすぐに結果が出せるものではないので、ここはじっくり腰を据えて臨むことにします。

(この項、間欠的につづく)

コメント

_ S.U ― 2024年06月04日 05時36分48秒

宮澤賢治を世に(特に天文ファンタジー(科学哲学?)文学界)に出した人として草下英明氏を捉えるとして、その頃の草下氏は世間的にはどういう肩書き・触れ込みで有名だったのだろうかという疑問が浮かびました。1960年代以降は、彼は、当時の形式的な職業名では「科学評論家・科学教育研究者」で名高かったと思いますが、賢治についてはどういう影響力で広めていたかということです。抱影の弟子? 文学趣味人? ・・・ これは、今日すぐは結論めいたものを導かず、御ブログのご議論や今後のコメントをいただいてから再度考えて見たいと思います。また、関連して、賢治が天文ファンタジー・科学哲学として世に捉えられるようになったのはいつ頃か、というのも独立した問題であります。

 上はおいといて、野尻抱影のカラー写真で思い出したことがありました。前にも書いたことがあるかもしれませんが、私は抱影の生前に見た彼の姿のスチール写真としてははっきりとした記憶は何もありませんが、1970年代中ほどに、ともにインタビューで、カラーテレビに出たものと朝日新聞の週末版の文化欄に登場したものを見たような記憶があります。後者の記憶はカラーのイメージですが当時の朝日の当該欄がカラー写真だったかはあやしいです。前者のテレビのほうもはっきりとした記憶ではなく、本当に放送されたのなら今でもアーカイブとして紹介される価値があるものと思いますが、NHKのビデオテープは上書きされて案外残っていないそうですね。

_ パリの暇人 ― 2024年06月04日 06時06分19秒

私事で恐縮ですが、草下英明、懐かしい名前です。ちょうど今から50年前、私が18歳のとき、氏の著作 "美しき月ものがたり" にサインを頂いたことがありました。サインの脇には、"月を愛し人を愛す"なる一文も頂きました。
そのしばらくあと、東京の西恵比寿のご自宅のマンションにお伺いし、小さな小さな仕事場(書斎)で、野尻抱影著"三つ星の頃"とか、氏が自費出版された"宮澤賢治と星"などを拝見することが出来、嬉しかったです。
後日、日本の知人から、草下先生が植物人間になってしまわれたよと言う連絡をパリで受け、えらく吃驚したことを覚えています。
草下先生は、大の天文古書愛好者で、天文ガイド誌に連載されていた、天文古書に纏わる先生の記事で、天文古書の知識を沢山得ることが出来、感謝しています。また、私のような生意気な子供にも、嫌がらずにお相手してくださった事もありがたく思っています。
まさに、光陰矢の如しです。

_ manami.shi ― 2024年06月04日 09時54分07秒

玉青さま、こんにちわ。

草下英明氏については、戦後~1960年頃に限定ですが、草下氏のもっておられた情報にはとても興味があります。草下氏の著述には示唆されるべきものがありました。
草下氏は文学の中に記されている星名調査から、その道に入って行かれたのでしょうか。その辺も気になるところです。
草下氏の宮沢賢治についての初稿は「農民芸術」に載ったものでしょうが、その反響がそもそもどうだったのかも、興味があります。

S.Uさま、御無沙汰しております。
私の宮沢賢治関係調査は藤原嘉藤治氏で終わっており、その後の進展
はありません。

_ 玉青 ― 2024年06月04日 18時16分56秒

〇パリの暇人さま
(システムのバグか、同文コメントが4通届いておりましたので、最後のものを残して前3通は非表示にさせていただきました。)

そんな素敵な思い出がおありなのですね!
天文古書云々といいますと、パリの暇人さんが若年にして例の本をまとめられたのも、草下氏の影響があってのことかと推察しますが、先人の醇風が漸々と後進に及び、それがまた後の世代に伝えられ…という形で文化が連綿と継承されてきたことがよくわかるお話ですね。考えてみれば草下氏が『星日記』を上梓されたのが60歳で、そのはるか後ろを歩んでいた私がいまやその齢になったわけですから、まこと光陰矢の如し。私も草下氏のことを後進に伝える立場となりましたが、それが上手くいくかどうか、ぜひ今後も折に触れてご教示をいただければと思います。

○S.Uさま

>どういう肩書き・触れ込みで有名だったのだろうか

草下氏の顔と名前が世間に知られるようになったのは、昭和34年にTV界に飛び込み、フリーの科学ジャーナリストとしてTVやラジオに出演されるようになってからだと思いますが、それ以前、昭和23年から31年までは科学雑誌編集者として、31年から34年までは五島プラネタリウム解説員として活躍されていた頃から、その筋では有名人だったと思います。この時代に培った天文界・科学界の人脈こそ、その後の草下氏の影響力の源泉と想像しますが、この辺の実相は仰る通り追々考えていくことにしましょう。

「色の着いた野尻抱影」に続き、「動く野尻抱影」もぜひ見てみたいですね。
音声記録はいかにもありそうですが、残念ながら映像も録音もまだネットには上がってないようです。でも、きっとどこかから出てくるでしょう。楽しみです。

○manami.shiさま

その節はありがとうございました。
S.Uさんへのお返事にも書きましたが、草下氏が20代~30代前半の頃、まだ世間的には無名といっていい時期の活動こそ、草下氏にとっての血肉であり下地でしたから、その実態を知ることはとても大切なことだと思います。今回、こういう貴重な上にも貴重な機会が得られ、賢治との関わりをはじめ、当時の草下氏の問題意識に迫ることができたらと念じています。

_ S.U ― 2024年06月04日 19時27分19秒

〇玉青様
 草下英明氏は、やはりTVで名を売ったのですね。読み返すと稲垣足穂も「銀河鉄道頌」で草下を真っ先に「TVマン」と紹介していました。足穂らしからぬ紹介ですが、世間ではそう見なしているという気持ちだったのでしょう。なお、足穂が草下に「銀河鉄道の夜」を読まされたのはTV以前のことで昭和23年頃のことのようです。その頃の草下氏はまだ無名で、仙波重利のコネはあったかもしれませんが、これは草下個人が足穂文学の一ファンとして訪問したわけですよね。
 となると、賢治を天文ファンタジーの点で認識していたのは、TV放送前はごく少数の人たちだけであって、一般にそういう認識になったのはそれよりかなり後ということになりますでしょうか。はっきりいって、銀河鉄道にそういう視点で対応するようになったのは、1960年代の宇宙開発ブームのころなのでしょうか。

○manami.shi様
 ご無沙汰しております。その節はありがとうございました。賢治本人の読書歴というのはたいへん気になるところですが(私の場合、特に足穂の作品についてですが)、それがわからないにしても、賢治の友人が読んで伝えていた可能性のある情報も同様の参考になると期待します。

_ S.U ― 2024年06月05日 09時35分53秒

○manami.shi様
すみません。関連の別件について追加です。草場修の件について、私どもの同好会誌の最新号に論考を掲載いたしました。1カ月以上経つので、すでにご高覧をいただいているかもしれませんが、お知らせを抜かっておりました。お詫びとお礼かたがた、ここにご連絡申し上げます。

_ 玉青 ― 2024年06月07日 05時37分25秒

「銀河鉄道の夜」の受容史というのは、既に誰か試みてるんでしょうかね。「銀河鉄道の夜」に関する論考を歴史的に俯瞰した研究史レビューとか、メディアでの「銀河鉄道の夜」の取り上げ方の史的変遷とか、そういう分析があったらぜひ読んでみたいです。まあ、これは天文趣味史の一テーマでもあるので、他力本願ではいけないのですが、本気でやるとなると、これは相当大変な仕事になるでしょうね(やっぱり誰かにやってほしいです・笑)。

_ S.U ― 2024年06月07日 05時45分53秒

これは、(基本的には玉青さんに)よろしくお願いしたいと存じます。

(基本的には)コアの年代は、草下英明の本の出版(昭和28年)から、僭越ながら我らが西中筋天文同好会の会誌の創刊(昭和47年)までの足かけ20年に過ぎないでしょうから、何とかなりませんでしょうか。

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