賢治先生、よい旅を! ― 2023年09月27日 18時49分24秒
――賢治先生!
おや、あなたは?
――はじめまして。先生がボクのことをご存知ないのは当然です。ボクは先生没後のファンなんです。
ああ、そうなんですね。
――このたびは没後90周年、おめでとうございます。
ありがとう…というのも妙な気分ですが、もうそんなになりますか。
――ええ。何せ先生が亡くなられた後に生まれたボクの父が、先年老衰で亡くなったぐらいですから。
なるほど。でもそんなに長い間、私のことを覚えていてくれる人がいて嬉しいです。
――ボクだけじゃありません。本当に多くの人が先生のことを思ってるんです。
それをうかがうと、私がなかなか彼岸に出立する決心が付かなかったのも道理ですね。
――先生のお袖を引いたみたいで申し訳ありません。でもお会いできてよかった。そういえば、お彼岸の時期には間に合いませんでしたが、先生の旅のお供にと思って、こんなものを見つけました。
おや、これは?
――盛岡高等農林特製のクールミルク…先生はこの品をご記憶じゃありませんか?ぜひ母校の味を味わっていただければと思ったんですが。
これはありがとう。懐かしいですね。ただ、これは私の在学中の品じゃありません。もう少し後に出たものでしょう。
――それはちょっぴり残念です。でも、お口にされたことは?
ええ、飲んだことがあるのは確かです。でも味の記憶がちょっと曖昧で…。
――何だか微妙な感じですね。
(旧・盛岡高等農林学校 門番所。ウィキペディアより)
そもそも、あなたはこれをどんな飲み物だと思われますか?
――なんでしょう、コンデンスミルクみたいなものですか?
見た目はたしかにそんな感じですが、でも味はもっと酸っぱいです。大正8年…というと1919年ですが、私が高等農林を卒業して、そのまま研究生として学校に残っていた時分に、例のカルピスが発売されて、盛岡でもかなり評判になりました。それから8年後、昭和2年には森永から「コーラス」という類似品まで出て、これまた結構売れたんです。ちょうどその頃でしょう、カルピスやコーラスの人気にあやかって、盛岡高等農林の畜産実験室がその「まがい物」を商品化したのは。
――3倍に薄めて飲むというのは、なるほどカルピスっぽいですね。
当時としては、教育機関がこんな商売に手を染めるのは異例のことですから、卒業生の間でも相当話題になって、私のところにもひと瓶送ってきました。だから私も確かに口にしたはずなんですが、味の方はカルピスの記憶とごっちゃになってしまって…。まあ、印象に残らないほどの味だった、ということかもしれませんね(笑)。
――すみません、どうも旅のお供には、ふさわしくなかったようで。
いやいや、そんなことはありません。味にしたって別に不味かった記憶もないんですから、ふつうに美味しかったにはちがいないんです。それに懐かしさという点では、カルピスなんかよりも数倍上ですから、この世の思い出として、彼岸への道中でのどを潤すには恰好の品です。本当にありがとう。
――そう言っていただき、ホッとしました。では、どうぞ道中お気をつけて。
ええ、また気が向けばこちらにお邪魔することもあるでしょう。それまであなたもどうぞお元気で。この手向けの品はありがたく頂戴します。では!
――賢治先生、よい旅を!
【注】 上記のことは、1枚のラベルから想像をふくらませて書いたので、事実とまったく異なるかもしれません。そもそも、これがカルピスの「パチモン」として作られたというのは私の憶測にすぎません。でも何となくそんな気がしています。
月に祈る ― 2023年09月29日 11時14分36秒
今日は旧暦の8月15日、中秋の名月です。
幸いお天気も好いので、明るい月を眺められそうです。
上はお月見の古絵葉書(石版手彩色)。おそらく大正時代、1920年前後のもの。
月を待つ若い母親と二人の幼い兄弟。
キャプションが英語なので、これは日本風俗を紹介する外国人向けの品らしく、そのまんま実景というよりは、少し演出が入っているかもしれません。それでも100年前の八月十五夜に流れていた穏やかな空気を思い起こすには十分です。
冒頭、「AUGUST」が「AUAUST」になっているのはご愛嬌。続けて読むと、「8月15日の夜に月を観ることは古来の習慣である。そして15個の団子とさまざまな果物を月前に供える」といったことが書かれています。
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この写真が穏やかであればあるほど、その後の苛烈な時代を、彼らがどう生きたか気になります。だいぶ時間軸がねじれている気もしますが、「どうか皆、無事であれかし…」と、今宵の月に向かって祈りたいと思います。
太陽を射る ― 2023年09月30日 13時25分13秒
昨晩は月が美しく眺められました。
盗っ人と天文マニアを除いて、月明かりが一般に歓迎されるのは、それが涼やかな光だから…という理由も大きいでしょう。彼岸を過ぎてなおも灼けつく太陽を見ていると、一層その感を強くします。
平安末期に編まれた漢詩アンソロジーに『本朝無題詩』というのがあります。
無題詩というぐらいですから、すべて題名のない詩ばかりですが、便宜上テーマ別に類纂されていて、その卷三には「八月十五夜翫月(はちがつじゅうごやに つきをめづ)」の詩が集められています。そこに、「一千餘里冷光幽(いっせんより れいこうかすかなり)」の一句を見出して、はたと膝を打ちました。作者は不明ですが、青みを帯びた月の光が、どこまでも海のように広がっている様を詠んだものとして、実に美しい一句です。
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さて、中国の古代神話に、羿(げい)という弓の名人が登場します。
羿は太陽を射落としたことで有名です。伝説によれば、かつて天には10個の太陽が存在し、最初は1個ずつ順番に世界を照らしていたのが、あるとき秩序に乱れを生じ、10個の太陽が同時に空に輝くようになりました。途端に地上は灼熱の世界と化し、耐え難い状況となったため、皇帝の命を受けた羿が10個の太陽のうち9つを射落とし、世界は事なきを得た…という話です。
今年の猛暑の最中、空を見上げては「今の世に羿はおらぬものか…」と思ったりもしました。でも、残り1個のかけがえのない太陽ですから、迂闊にそんなわけにもいきません。せいぜいおもちゃで、太陽を射る羿の気分でも味わうか…と思い出したのが、下のドイツ製の玩具です。これは以前も登場済みですが【LINK】、そのときは購入時の商品写真でお茶を濁したので、今回は撮り下ろしの写真で再度紹介します。
戸棚から出してきたら思いのほか大きくて、箱の横幅は約43.5cmあります。
箱の中には、射的の的と的を机に固定する金具、それに弓矢のセットが入っています。
ゴム製の吸盤がついた矢をつがえ、竹製の弓をきりきりと引き絞り…
見事太陽(左)に当たると、的がくるっと上下に回転して、裏面に隠れていた月が顔を出す(右)という仕組み。まあ、他愛ないといえば他愛ないし、ちゃちいといえばちゃちいゲームですが、それが表現するものはなかなか気宇壮大です。
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なお、以前の記事では、この品を大雑把に1950~60年代のものと書きましたが、今回改めて箱を見たら、下のようなラベルが貼られているのを見つけました。
製造元は東ドイツの「BEKA」で、「EVP 7.90 MDM」というのは、「小売販売価格7.90ドイツ中央銀行マルク」の意味だそうです。この「MDM」という通貨単位が使われたのは、1964~67年のごく短い時期なので、この品も1960年代半ばのものということになります。
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