「日時計」とケプラーの第二法則 ― 2024年12月14日 11時04分58秒
今週は身辺が沸騰して、どうにも身動きができませんでした。
しかもひどいことに、来週もそれは続くのです。
まあ、他人の苦労話はつまらないもので、私も他の人が「大変だ」と言うのを聞くと、「そんなもの、シベリア抑留の苦労に比べれば、苦労のうちには入らん」とうそぶいたりするのですが、しかし自分の身にそれがふりかかるとやっぱり心が乱れて、救いを求める声を上げたくなります。
主よ、我に仇(あだ)する者のいかに蔓延(はびこ)れるや
我にさからひて起こり立つ者多し
主よ、願はくは起きたまへ
わが神よ、われを救ひたまへ
なんぢ曩(さき)にわがすべての仇の頬骨(つらぼね)をうち
悪しき者の歯を折りたまへ (詩編第三篇より抜粋)
我にさからひて起こり立つ者多し
主よ、願はくは起きたまへ
わが神よ、われを救ひたまへ
なんぢ曩(さき)にわがすべての仇の頬骨(つらぼね)をうち
悪しき者の歯を折りたまへ (詩編第三篇より抜粋)
しばらくは神の袂にすがり、頑張るしかありません。
そんな日々の中で、今日はやっと一日のんびりできます。
★
さて、コメタリウムの話を唐突にしたのですが、あれは直前に読んだネット記事からの連想が働いていました。
■Meridian Line of Basilica di San Petronio/Bologna, Italy
イタリア、ボローニャ/サン・ ペトロニオ聖堂の子午線
イタリア、ボローニャ/サン・ ペトロニオ聖堂の子午線
記事によると、このボローニャ最大の教会の床には、67メートルに及ぶ長々とした線が引かれており、それを作ったのは、当時イタリアのボローニャ大学で天文学を講じたジョヴァンニ・ドメニコ・カッシーニ(Giovanni Domenico Cassini、1625-1712)で、1655年のことだそうです。カッシーニは、その後パリ天文台に転じて、子孫は代々天文学者として活躍しましたが、ジョバンニ(フランス名はJean-Dominique Cassini)はその初代で、土星の環の「カッシーニの間隙」の発見者として知られます。
で、この線が正確に南北を指す「子午線 meridian line」と呼ばれるのはいいとして、記事はこれを「日時計 sundial」とも呼んでいます。「え?子午線が日時計?」と思いながら先を読むと、下のように書かれていました。
「左の通路の上にある 4 番目の天井の小さな穴から、毎日正午ごろに太陽の像が下の子午線に投影されます。太陽の像の位置は年間を通じて変化し、冬は教会の北端近くに、夏は教会の南側近くに現れます。
この子午線を使って、カッシーニは太陽の位置と相対的な大きさを測定することができました。これらの測定により、彼は太陽の周りを回る地球の軌道が楕円形であると判断しました。さらに、彼は地球の動きが太陽に近いときには速く、遠いときには遅くなることを実証し、太陽系の物体の軌道を説明する3つの法則の1つである ケプラーの第二法則の初めての観測的証拠を提供しました。
現在、この子午線は英語で「日時計」と呼ばれることが多く、教会内で人気の名所となっています。大理石の床に刻まれた目印は、一年のさまざまな日や月における太陽の予想位置を示しており、さらに太陽が通過する星座や、春分・夏至・冬至の太陽の位置を示す目印もあります。訪れるのに最も人気の高い時間は正午近くで、人々は太陽の姿が現れるのを待ちながら集まります。」
この子午線を使って、カッシーニは太陽の位置と相対的な大きさを測定することができました。これらの測定により、彼は太陽の周りを回る地球の軌道が楕円形であると判断しました。さらに、彼は地球の動きが太陽に近いときには速く、遠いときには遅くなることを実証し、太陽系の物体の軌道を説明する3つの法則の1つである ケプラーの第二法則の初めての観測的証拠を提供しました。
現在、この子午線は英語で「日時計」と呼ばれることが多く、教会内で人気の名所となっています。大理石の床に刻まれた目印は、一年のさまざまな日や月における太陽の予想位置を示しており、さらに太陽が通過する星座や、春分・夏至・冬至の太陽の位置を示す目印もあります。訪れるのに最も人気の高い時間は正午近くで、人々は太陽の姿が現れるのを待ちながら集まります。」
なるほど、「日時計」といっても、時刻を知るためのものではなくて、南中時の太陽位置の季節変化を知るための装置ということですね。そして、それを厳密に測定すれば、太陽の年周運動の不等性、およびケプラーの第二法則が地球でも成り立つことが実証されるわけです。(その意味では「ひどけい」よりも「ひごよみ」のほうがしっくりきますが、それもひっくるめて、英語では「sundial」と呼ぶのでしょう。それに、<地方時+視太陽時による正午決定装置>という意味では、やっぱり「ひどけい」なのかもしれません。)
★
ただ、上の説明を聞かされても、今一つ具体的な姿がイメージできませんでした。
でも、あれこれ検索しているうちに、これと類似の装置がパリにもあることを知りました。
それはパリの「サン・シュルピス教会」の日時計で、英語版wikipediaにその説明があります。
(上記ページより)
これを読んで、ようやくボローニャの件も得心がいきました。
ちなみに、このサン・シュルピスの子午線は、映画「ダ・ヴィンチ・コード」で「ローズライン」、すなわちイギリスのグリニッジと「国際本初子午線」の座を争ったパリを通る子午線の一部として登場し、何か謎めいた古代の秘儀の伝統を引くものみたいな説明がありましたが、これは仮構で、この子午線はローズラインとは無関係だし、かつて異教の寺院がここにあった事実もないと、教会内には掲示されている由。
コメント
_ パリの暇人 ― 2024年12月15日 08時37分05秒
アメリカの著名な科学史家であるHeilbron氏のユニークな著作 "The Sun in the Church" (1999, Harvard University Press) に、教会内に印されている子午線についての詳しい説明があります。17世紀のヨーロッパに於いて、いくつかの大教会が最も大事な太陽観測所であったようで、キリスト教にとって何よりも大切な復活祭の日を間違いなく決定するのに、教会に設置された巨大な"正午計"が有用であったようです。稀にですが、携帯日時計なみに小さい真鍮製の古い"正午計"が骨董品屋で売られていることがあります。
_ 玉青 ― 2024年12月15日 11時54分45秒
興味深い本をご紹介いただき、ありがとうございます。
私はまったく知らずにおりましたが、発刊当時、相当評判になった本のようですね。
早速購入バスケットに入れました。
ときに「正午計」の名を聞いて思い出したのですが、以前日本生れの「正午計」について書いたことがあります。
https://mononoke.asablo.jp/blog/2015/02/21/7576621
名称は同じですが、海外の正午計も同工のものでしょうか?
私はまったく知らずにおりましたが、発刊当時、相当評判になった本のようですね。
早速購入バスケットに入れました。
ときに「正午計」の名を聞いて思い出したのですが、以前日本生れの「正午計」について書いたことがあります。
https://mononoke.asablo.jp/blog/2015/02/21/7576621
名称は同じですが、海外の正午計も同工のものでしょうか?
_ パリの暇人 ― 2024年12月16日 03時17分33秒
数年前に見かけたフランス製の正午計は、18世紀初期に作られた、長方形 (12 x 8 x 0.5 cm 程) の真鍮製で、Jacques le Maire (サイン)、Parisと入っていました。方位磁石は付いておらず、日時計の目盛りも、装飾も無しといった極めてシンプルなもので、小さなグノモンには太陽光が通る小孔があいており、その下部に直線 (子午線) が1本刻まれていました。壁などに垂直に固定して使うのでしょうが、普通の人が手にとっても、おそらく、用途不明で終わるのではないかと思います。
_ 玉青 ― 2024年12月16日 06時13分06秒
ご教示ありがとうございます。日本生れの明治の正午計は、いかにも日時計然としたものでしたが、フランス製のそれは、まさにサン・シュルピスやボローニャの小型版といった感じですね。
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