友情は太陽のごとく不動なり ― 2021年03月14日 07時16分07秒
キリストや聖人たちの遺骸、あるいはゆかりの品である「聖遺物」(relics)。
聖地巡礼が盛んになると、巡礼の証として、ありがたい聖遺物の授与を求める善男善女が増えて、それが少なからず教会経済を潤したので、各地の教会では、ゆかりの聖人の遺物を積極的に授与するようになりました。もちろんそこで下付されるのは、聖杯や聖槍のような伝説の世界に属する品ではなしに、もっと庶民的な品です。いわば西洋版の「御朱印」や「御守り札」のような存在。
主に18世紀以降の品と思いますが、そうした聖遺物を収めた聖遺物箱(reliquary)が、現在はアンティークショップの店頭で売り買いされています。(フランス語読みして「ルリケール」とも呼ばれます。)
私にとっては縁遠い品ですが、わけあって1つ入手しました。
直径38mmのペンダントサイズの金属容器に納められた、麦粒ほどの聖遺物。表面はガラス蓋で覆われています。
これはエスコラピオス修道会を創設した、聖ヨセフ・カラサンス(Joseph Calasanz、1557 –1648)の聖遺物です。といっても遺骨などではなくて、陶質の何か、たぶん彼が普段使いした食器か、墓石のかけらではないかと思います。
(聖ヨセフ・カラサンス、英語版Wikipediaより)
裏面は正真正銘であることを意味するのか、蝋で封じられています。
オランダの業者曰く、ベルギーの修道院に由来するもの…という説明でした。この紋章を手がかりに調べれば、その出所が分かるのかもしれませんが、現時点では詳細不明です。
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カラサンスは実に偉い人です。
スペイン生まれの聖職者として、ローマで救貧活動に取り組み、さらに孤児や貧しい子供たちのために無料の学校を建て、教育者として無私の奉仕を続けました。
そしてカラサンスは、ガリレオ・ガリレイの無二の親友でもありました。
カラサンスは科学教育を重視し、ガリレオの不遇な時代にも彼を擁護し、援助を惜しみませんでした。もちろん、それはカトリックの指導層の意に反することでしたから、カラサンス自身も1642年、異端審問にかけられたのです。
彼の名誉が回復されたのは、その死後のことで、没後100年の1748年にカトリックの福者となり、さらに1767年に聖人として列聖されました。したがって、上の聖遺物もそれ以降のものということになります。おそらく1800年前後に、信者に授与されたものではないでしょうか。
太陽の輝きに包まれたカラサンスの「何か」。
その「何か」ははっきりしませんけれど、もしガリレオが自分の肖像とカラサンスにちなむ品が並んでいるのを目にしたら、きっと嬉しい気分になるでしょうし、その冷たいむくろに、いっとき温かいものが通うように思うことでしょう。
(…と、知ったかぶりして書きましたが、もちろん私はカラサンスに詳しいわけではありません。でも、その偉さはwikipediaの斜め読みからも分かる気がします。)
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