ガリレオ・メダルに見る星霜200年2021年03月13日 12時39分15秒

200年という歳月を、どう感じるでしょうか?
もちろん地球や宇宙のスケールでいえば一瞬ですが、普通の生活の中で考えると、200年という時間の長さは、どれぐらい重みを持つものなのか?

200年前の1821年は、日本でいうと文政4年。幕末の動乱はまだだいぶ先です。
小林一茶や相撲取りの雷電が存命中で、勝海舟や西郷隆盛は生まれてもいませんでした。

私と父方の曽祖父はほぼ100歳違いになります。これは私ばかりでなく、平均的な年代差でしょう。つまり200年前といえば、ひいお爺さんのひいお爺さんが、今の私と同じ年格好だった時分です。やっぱりずいぶん昔ですが、かといって遥かな遠い過去とも思えません。その頃の文物は、村のお堂とか、路傍のお地蔵さんとか、まだ身近にたくさん残っています。

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唐突にそんなことを思ったのは、以下のメダルを目にしたからです。

(直径は4cm)

ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)の肖像を鋳込んだ記念メダルで、鋳造されたのは1818年、今から約200年前です。

(メダルの裏面)

200年前の人が、そのまた200年前の人であるガリレオを偲んで作ったメダル。
微妙に遠く、微妙に近い200年前を中間点とすることで、ガリレオの体温が何となく伝わってくるような気がします。まあ、これは私だけの特殊な感じ方かもしれませんが、ガリレオは私の「ひいお爺さんの、ひいお爺さんの、ひいお爺さんの、ひいお爺さん」の世代の人であり、たしかにほぼ400歳年上だなあ…というのは、新たな気づきでした。

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このメダルは、検索するとオックスフォードの科学史博物館にも収蔵されていて、これは一寸した自慢です。そのモノとしての素性について、参考として以下のページから書き抜いておきます。

Medals of the Series Numismatica Universalis Virorum Illustrium

このメダルは、「世界の著名人シリーズ」の1つとして、フランスで発行されたもので、発行を手掛けたのはアメデ・デュラン(Amedee Durand、1789-1873)。彼は彫刻家として、自らメダル彫刻を手掛けた人ですが、それだけでなく他の彫刻家も起用して、メダルの発行を手広く行いました。ガリレオ・メダルの場合、原型を制作したのはレイモンド・ゲイヤード(Raymond Gayrard、1777-1858)(※)です。

「世界の著名人シリーズ」は1817年からスタートして、ほぼ1820年代いっぱい発行が続きましたが、一部は1840年代にかかっています。その間、メダルの発行権をフランスの国家造幣局が独占したため、デュランが鋳型を造幣局に預けて委託発行していた時期もあり(ガリレオ・メダルがそうです)、鋳型を取り返してミュンヘンで発行した時期もあり、再度フランスでの委託発行となった時期もあり…と、結構メダルの製造史も込み入っているようです。


(※)…とネットには出てきますが、「レイモン・ゲイヤール」の方がより正確かも。ちなみにこのゲイヤードは父親の方で、彫刻家としては、同名の息子の方が有名らしいです。

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