オジギソウとギリシャ神話2022年11月20日 15時06分58秒


(オジギソウ Mimosa pudica. ウィキペディアより)

オジギソウが葉を閉じるのは、虫の食害を逃れるためだ…という研究成果を、先日ニュースで見ましたが、これに関連して、中日新聞の一面コラム「中日春秋」に、次のような文章が載っていました(11月19日)。

 「オジギソウは学校の教材でおなじみ。触るとお辞儀をするように葉を閉じる▼含羞草とも書くのは、恥じらっているように見えるからか。原産地はブラジル。天保年間に日本に伝わった▼ギリシャ神話にも登場。『花とギリシア神話』(白幡節子著)によると、美しい娘である妖精ケフィサは牧羊などを司る神パンに好かれ追い掛けられるが、その情熱に恐れをなし逃げ続けた。とらえられそうになった時に貞操の女神アルテミスに「助けて」と祈り、オジギソウに姿を変え逃れた。なるほど、恥じらいの草である▼この植物が葉を閉じるのは昆虫に葉を食べられるのを防ぐためであることを、埼玉大と基礎生物学研究所(愛知県)のグループが証明したという〔…中略…〕▼神話はこの植物を「感受性がとても強く、罪を犯した者がそばを通るだけで、まるで自分が触れられ、汚されたかのように葉を閉じる」と描く。現実は近くを通るだけでは閉じないが、触れた虫の脚を封じるとはたくましい。自然界は、恥じらうだけでは生きられぬらしい。」

これを読んで、息子が言いました。
「ブラジル原産なのに、なぜギリシャ神話に登場するのか?」と。これは息子のお手柄で、なるほど、そういわれれば確かに変です。史前帰化植物というのもあるので、最初はそれかと思いましたが、さすがに大西洋を越えるのは難しいでしょう。

   ★

上のコラムに出てくる『花とギリシア神話』(八坂書房、1992)の「あとがき」を見ると、同書の参考書として、ブルフィンチ著『ギリシア・ローマ神話』、オウィディウスの『変身物語』、呉茂一著『ギリシア神話』など5冊が挙がっていますが、オジギソウの逸話は、そこに見つけられませんでした(探し方が悪いだけかもしれませんが)。それに「ケフィサ」という妖精の名が、『ギリシア神話事典』の類を、いくらひっくり返しても出てこないのが不審です。

「うーむ」と腕組みをしつつ、ちょっと表面をなでただけで、以下推測でものを言います。
最初に結論を言っておくと、これはやっぱり変な話で、どこかでアヤシイ話が混入している気配が濃厚です。

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この話の大本は、たぶんですが、Charles M. Skinnnerという人の『Myths and legends of flowers, trees, fruites, and plants in all ages and all climes』(1911)ではないかと思います。この本はさいわい邦訳が出ているので(垂水雄二・福屋正修(訳)『花の神話と伝説』、八坂書房、1985)、そこから該当記述を抜き書きしてみます。

オジギソウ(Mimosa)
 〔…〕ギリシアの伝説では、オジギソウはケフィサという乙女であったが、パンがあまりにも烈しい情熱を傾けたために、恐くなってパンから逃げた。後を追ったパンがケフィサを腕に抱きしめようとしたまさにそのとき、助けを求める願いは他の神々に聞き届けられ、ケフィサはオジギソウに化身した。古い俗信では、この草の感受性はとてつもなく過敏で、罪を犯した乙女がそばを通るだけで、まるで自分が触られたように葉を閉じると言われた。」 
(1999年新装版、p.203)

『花とギリシア神話』との類似は明らかでしょう。

スキナーの原文は、Googleブックスで読めますが、ケフィサのスペルは「Cephisa」で、これと「mimosa」で検索すると、同旨のエピソードを紹介する英文の記述がいくつか出てきます。でも、やっぱり出典を欠くものばかりで、スキナーをさかのぼる文献は見つかりませんでした。これら一連の記述は、スキナーが元ネタになっていると想像します。

では、スキナー自身は、この話をどこから引っ張ってきたのか?
『花の神話と伝説』の「訳者あとがき」には、その辺の事情がこう書かれています(太字は引用者)。

「著者スキナーについて各種の人名辞典などを調べてみたが、みあたらず、わずかにアメリカの“General Catalog of Congress Library”で以下のような情報を知りえただけである。生まれは一八五二年、没年は一九〇七年、ブルックリンあたりで活躍したジャーナリストであったらしく、多数の著作がある。〔…〕

 本書は、欧米の植物の伝説に関する書物には必ずといっていいほど引かれる古典である。〔…〕ただ惜しむらくは、少なからぬ誤植や事実関係の誤りがあることで、この点は、原著に出典及び文献が一切付されていないことと、晦渋な文体とが相まって、翻訳上おおいに悩まされた。聖書やギリシア・ローマ神話に関しては、手近に利用できる資料もあるので何とか見当をつけることができたが、民間伝承のたぐいに関しては検証は困難をきわめ、ついに真偽を確認できないまま原著を信頼するほかなかった個所もいくつかある。」

どうも、かなり注意して利用しないといけない本のようです。
ケフィサとオジギソウの件も、そんなわけで出典は不明です。そもそも、そこに確たる典拠があるのかどうか、何か民間伝承に類するもの ―― それも近世以降に成立した話 ―― を引っ張ってきたのではないかという疑念がぬぐえません。というか、論理的に考えれば、必然的にそのはずです。何せ下に記すように、古代ギリシャにはオジギソウと呼ばれる植物も、その名(Mimosa)もなかったのですから。

   ★

ちなみに、「ケフィサ」という名前で検索するとすぐに出てくるのは、道端で寝ていたキューピッドの弓を奪って恋人を射た女性の逸話で、これも真正の古典というよりは、1725年にモンテスキューが書いた散文詩(彼の創作エピソード?)が典拠らしく、結局、妖精(ニンフ)のケフィサについては、現時点では不明のままです。

■(参考ページ) カナダ・ナショナル・ギャラリー所蔵、
 ピエール=アンリ・ド・ヴァレンシエンヌ作
 「キューピッドの弓を射るケフィサ」(1797)解説

  ★

冒頭のブラジル原産の話に戻って、スキナーの話で最も首をひねるのは、ギリシャ神話にオジギソウ(ミモザ)が登場している点そのものです。

「ミモザ」というと、日本だとあの黄色い花をつけるミモザ(標準和名はフサアカシア。マメ科)のことですが、これは誤用だそうで、本当のミモザは、同じマメ科でも「オジギソウ」のことだそうです。つまり、狭くとれば種としてのオジギソウ(Mimosa pudica)のことだし、広くとればオジギソウを含む「オジギソウ属」のことです(オジギソウ属は約590の種を含む大所帯の由)。

(“ミモザ”=フサアカシア Acacia dealbata. ウィキペディアより)

そして、オジギソウ属の植物は、新大陸ばかりでなく旧大陸の原産種もあるものの、ギリシャ周辺には分布していません。ヨーロッパ全体や小アジアまで範囲を広げても同様です。存在しない植物が、神話に登場するはずがありません

(オジギソウ属の分布域。緑は原産地、紫は人為的伝播による拡大地。出典:英国・王立キュー植物園の「Plants of the World Online」、「オジギソウ属」解説ページ

また下の語源解説を見ると、「ミモザ」という名前は、語根にギリシャ語の「ミモス(道化師)」を含むものの、植物の名前としては18世紀に誕生した新参者で、これまたギリシャ神話やローマ神話に出てくるはずのない言葉です。

■“mimosa”:Online Etymology Dictionary

上記リンク先の内容を、参考訳しておきます。

ミモザ(mimosa)【名詞】
マメ科の低木の属名。ラテン語のmimusに由来する近代ラテン語(1619年)「mime」から1731年に造語された〔※引用者注:属名の考案者はリンネ〕。mime【名詞】参照 +-osa【形容詞接尾辞、-osusの女性形】。通常のオジギソウ(Sensitive Plant)を含むいくつかの種が、触れると葉を折り畳み、動物の行動を模倣しているように見えることから、その名がある。ミモザの花のような黄色の色名としても使われる(初出1909)。その名のアルコール飲料(初出1977)は、その黄色がかった色からそう呼ばれる。

<ミモザを参照している項目>
マイム(mime)【名詞】
「身振りで演じる道化師」(1600年頃)【ジョンソン英語辞典】。フランス語のmime「まねごとをする役者」(16世紀)、および直接ラテン語のmimus(語源不詳のギリシャ語mimos「模倣者、まねごと、役者、パントマイム、道化師」に由来)から。芝居を指す用例としては、1932 年に「パントマイム(a pantomime)」の形で、またそれ以前(1640 年代)は古典に関する文脈で使われた。イタリアに住んだギリシャ人やローマ人による古代のマイムは、実際の出来事や人物の滑稽な模倣からなる、通常下品な、セリフのある戯曲的パフォーマンスだった。

  ★

例によってくだくだしくなりましたが、こんなことでも書いておけば、いつか何かの参考になるかと思って贅言しました。

コメント

_ S.U ― 2022年11月21日 08時37分41秒

これは、「オジギソウ」の謎ですね。私も、子どもの頃、学校でオジギソウで遊んで感動し、親に種を買ってもらって自宅でも育てました。これがブラジル原産だったことは知りませんでした。というか意外でした。というのは、樹木でネムノキというのがあって、これは葉っぱも花も大ぶりですがよく似ています。ネムノキは残念ながら触っても葉を閉じませんが、夜になると閉じます。合歓木と書きますので、これは古くから中国にあったのだと思います。オジギソウではなくて、感性の強めのネムノキが昔のユーラシア大陸のどこかにあった可能性はないでしょうか。

 気になるのは、ネムノキのほうが大陸の文明としては古いのに、生物分類学では、ネムノキ亜科名がMimosoideaeで、これはオジギソウの属名と共通で、ネムノキの属名種名は違う(Albizia julibrissin)ということです。新しい植物名が古い樹木を上位から乗っ取ったということになるのでしょうか。亜科名がついたのは比較的最近で歴史事情に沿っていないのかもしれません。

 さらに、もう1点、「ミモザ」は、みなみじゅうじ座β星(1等星)の異名です。当然、その語源が天文学史的に議論されています。日本語版ウィキペディアでは「みなみじゅうじ座ベータ星」では、オジギソウに由来すると書かれていますが、これが大航海時代あるいはルネサンス以前の命名なら、玉青さんのご指摘同様、怪しいことになります。英語版Wikipediaでは、"Mimosa(star)"はActor (役者)起源とも書かれています。南天の星名なので、今では沖縄かハワイの緯度でないと見えませんが、2000年前なら、歳差の影響で、中近東や北アフリカで見えた計算になります。南十字星は、ローマ帝国時代にすでに知られていましたが、十字架や恒星の固有名の名前と結びついた時代はもっとあとらしくはっきりしないようです。
 この星のスペクトル型はB1 なので青い星だそうです。星の名前なら道化役者よりもギリシャ神話の花の精のほうが似合いそうに思います。クルスの4星の1つなので、パントマイムはいかがなものでしょうか。星名(しかもいまはIAU公認名)としても起源が謎になっているようです。私は整理ができていませんが、謎が星にもあるようなので、アウフヘーベンして解いてくださるようお願いします。

_ 玉青 ― 2022年11月21日 20時36分57秒

>ネムノキ

学名は分類学の進展とともに興廃が激しいですから、いろいろ辻褄の合わないことも起きてきますね。ひょっとしてwikipediaの「Mimosoideae」のリファレンスをたどれば、「ネムノキ亜科(直訳すればオジギソウモドキ亜科ですね)」とオジギソウの込み入った歴史も分かるのかもしれませんが、いかにも面倒臭そうです。

ときに空のオジギソウの話題をふっていただき、ありがとうございました。
ここから天文ネタに行くとは思っていませんでした。
みなみじゅうじ座β星の固有名とオジギソウの結びつきは確かに不思議ですね。

上の記事に書いたのと同じ理由で、古代(あるいは中世)にさかのぼる名前とはとても思えませんし、アラビア名が伝わってないのも、古来の伝承が(仮にあったとしても)途絶えている証拠のように感じられます。私の直感は、南十字がヨーロッパ人に再認識され、それが重視された大航海時代のネーミングであることを告げているんですが、それでもオジギソウ説はいかにも苦しいので、ここはスペイン語の「Mi moza」(my girl)が語源だという新説を唱えたいです。船乗りのロマンと信仰心と航海の安全を祈る心がないまぜになって、十字架と聖母マリアの連想も働いて、こんな呼び名が生まれたのだ…という、これはたった今生まれたばかりの奇説ですが、なかなかもっともらしくないですか?(自画自賛)

_ S.U ― 2022年11月22日 09時01分21秒

>スペイン語の「Mi moza」
 これは、道化役者やら根拠不明瞭な花の名前より気が利いていますし、説得力も上ですね。
 私も少し調べてみましたが、みなみじゅうじ座β星の「ミモザ」にしても、すぐ隣のほぼ同赤緯のケンタウルス座β星「ハダール」にしても、日本の古めの教科書的な本である、山本一清や野尻抱影の星座解説本、それから我々が子どもの時に読んだ天文入門資料には出ていなかったと思います。(反例があればお知らせくださればありがたいです)。ということは、たぶん、古くに天文の大家が認定したものではなく、比較的最近(おそらく19世紀後半に世界がグローバル化して以降)、欧米圏の無名の研究者によってローカルに休眠していたこれらの名が発掘され世界に普及したのではないかと推定します。そうでなければ、このように少なくとも20世紀中葉以降は難なく広まりIAU公認にまでなっている1等星の名の由来、初出が簡単に見つからないということは考えにくいです。他の可能性もあるかもしれませんが、これが可能性が高そうに思います。
 そういう意味で、スペインとかアラビアが出所というのは「休眠」にふさわしいのではないかと思います。それにしても、近年の(19~20世紀であっても)初出文献はあるべきですね。星座や星表や事典なら簡単に見つかりそうですが、初出はその手の文献ではないのかもしれません。

_ 玉青 ― 2022年11月23日 17時35分58秒

「ミモザ」の本当の由来は不明にしろ、そもそも文献上の初出はいつなんでしょうね?
例のアレンの『Star Names』(1899)に出てこない時点で、おそらく20世紀以降に登場したことはほぼ確実だと思うんですが、今のところ不明というほかありません。

Googleブックスだと、19世紀はヒットなし、20世紀でも1963年が初出と、相当その登場は遅いです。この1963年の出版物というのは、米陸軍省が編纂した1963年版の『陸軍天体暦(Army Ephemeris)』で、同書所収の星名リストに、「Mimosa, Beta (β) Crucis」(あるいは「Beta (β) Crucis, Mimosa,」)として2か所、何の説明もなしに出てきます。ずいぶん変わった出典だなあと思って、これはひょっとして南方に進駐した軍隊用語が出所か?…とも想像したんですが、確証はありません。
https://www.google.co.jp/books/edition/Army_Ephemeris/g6QDJ086TOIC?hl=ja&gbpv=0

念のため、軍人さん向けという点で当たりをつけて、それぞれ1942年と1943年に出た下の星座早見盤を確認してみましたが、ミモザの名はなく空振りでした。
http://mononoke.asablo.jp/blog/2018/01/21/8773581
http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/05/11/7308082

_ じゃんく王 ― 2022年11月23日 23時23分40秒

11月15日NHKEテレで「植物に学ぶ生存戦略7」に取り上げられていた植物がちょうど「オジギソウ」でした。玉青さんはこんな番組はご覧にならないでしょうか?ワタシは大好きです。

_ S.U ― 2022年11月24日 06時43分18秒

これは、お調べをありがとうございます。
 米国にも野尻抱影みたいな人がいて、「兵用」の星名の調達の相談に乗ったのでしょうか。でも、アルファベット順の名前の表だけでは、必ずしもそうはならないでしょうね。ケンタウルス座β星「ハダール」(たぶんアラビア語)もここにあるし、みなみじゅうじ座α星は安易な略称アクルックスのままになっていることから、米軍が固有名を探す多少の努力をしたのは事実にしても、アメリカ人が命名したわけではないように思います。ただ、ここから世界に広まり、結果的にIAU公認となった可能性はあると思います。IAUが米軍以上の第一根拠を求めないかという問題はありますが。

 20世紀以降でヨーロッパではないとすると、南十字が楽に見える環太平洋諸国(東南アジア、オセアニア、中南米)で命名されたローカル名の可能性を考えるほうが合理的かもしれません。戦線が拡大してきたように思います。

_ 玉青 ― 2022年11月26日 09時03分10秒

○じゃんく王さま

この番組は見逃しました。
でも番組紹介を見たら、これはなかなか面白そうですね。最近、NHK内外の政治的圧力によって、有為な人材がEテレに飛ばされた結果、番組の質が向上したとの風説もありますが、まあEテレは昔から実験的な番組が多いので、これは単なる風説かもしれません。

○S.Uさま

>戦線が拡大

うーむ、これはだんだん大変なことになってきましたねえ。まことにミモザ畏るべし。
弱卒ぶりを発揮してお恥ずかしい限りですが、当分見通しが立ちそうもないので、私はこの辺で退却することにします。―― いや、こういうのは「転進」というのでしたね(笑)。態勢を立て直してから、再度攻勢に転じたいと思います。が、本当に転じるかどうかは定かではありません。

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