賢治 vs. 諭吉2014年08月20日 23時10分23秒

昨日の「なんでも鑑定団」に、賢治関係の品が出ていました。
友人に宛てた自筆はがき2通と、彼が自ら描いた地質図1枚。
地質図のほうは、大正5年に公刊された花巻周辺の地図上に、地質分布を淡彩で塗り分けたもので、欄外に賢治の筆跡で注が施されています。

番組によれば、鑑定を依頼されたのは盛岡在住の方で、市内の旧家解体の際に出た紙モノを一括して譲り受け、そこから発見されたそうです。はがきの宛名は、いずれも賢治と中学~高校で一緒だった原勝成ですから、同人もしくはその親族の家に伝来した品なのでしょう。

(盛岡高等農林時代の写真。前列左から3人目が賢治、4人目が原勝成。出典:筑摩書房、『写真集 宮澤賢治の世界』より)

はがきの日付は大正7~8年で、賢治23歳のときのものです。
大正7年3月に盛岡高等農林を卒業した彼は、引き続き研究生として学校に残り、関豊太郎教授の下、稗貫郡(現・花巻市)の土性調査に従事し、その成果は大正11年に公刊されました。問題の品はこのとき(大正7年)の下図と推定されます。

(『岩手県稗貫郡主要部地質及土性略図』(大正11年)。出典:同上)

さて、その鑑定やいかに…?

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鑑定に当たった、神田の扶桑書房店主、東原武文氏の値踏みによれば、葉書が2枚で200万円、地質図は150万円、〆て350万円ナリ。


以下は、東原氏のコメント抜粋。

「〔…〕賢治のはがき・書簡はだいたい500通くらい残されているので特に珍しいというわけではないが、旧友に宛てた手紙ということで良い評価となる。地質図(150万円)も賢治自筆の本物で、特徴のある字が二つある。〔…〕何よりもいいのは花巻の地図だということ。賢治が生まれた川口町も記載されている。これはおそらく大正7年ぐらいに書かれたものだと思われるが、稗貫郡土壌報告書の土台になったものではないか。これに類するものは他に一枚「稗貫郡西部山地の地質図」があるくらいで、花巻に関するものは依頼品しかないかもしれない。非常に希少性が高い。第一級の資料といえる。」

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さてさて、ここで何とコメントすべきか。

その珍品ぶりに驚いてもいいし、新資料の出現を大いに喜んでもいいし、あるいは、農民救済を目指した賢治の志と、その遺品が現在思わぬ高値で取引されていることの対比に、憤りや滑稽味を覚えることも出来ます。まあ、ここではあまり皮肉をこめず、素直に「モノの価値とは何だろうか?」と自問するぐらいが無難かもしれません。

自分も含め、多くの人にとって、150万なんてハナから論外でしょうが、でも、もし棚ぼたで150万円が労せず手に入ったら、そのお金でこの地質図を買うでしょうか?買わないとしたら、それはなぜか?

私の場合、たとえ150万が自由になっても、たぶん買わない気がします。
それは、この地質図を手に入れたときの満足度と、他の使い方をしたときの満足度を比較すると、後者の満足度の方が大きいと思えるからです。では、満足度は何によって決まるのか?

さっき風呂の中で考えてみたんですが、これがよく分からないですね。
きっと人の数だけ答はあるのでしょう。でも、同じ私という人間でも、昨日の満足と今日の満足とは既に違うし、そもそも満足に形はありませんから、いかにも捉えどころがありません。

現実の社会は、「交換」という行為に注目して、粗っぽく価値を順序付けていますが、でもそれで全て解決がつくわけでもなさそうです。