透かし見る空…透過式星図(2) ― 2020年09月24日 06時50分58秒
さて、前回挙げたリドパス氏の記述に沿って、透過式星図の例を発行年代順に見ていきます。まず登場するのは、Franz Niklaus König の『Atlas céleste』(1826)。
最初にお断りしておくと、この星図はオリジナル資料が手元にありません。以下、ネット情報を切り貼りして、概要だけ整理しておきます。
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フランツ・ニクラウス・ケーニッヒの名前で検索すると、すぐに一人の人物がヒットします。私は知りませんでしたが、日本語版ウィキペディアにも出てくるので、それなりに有名な人なのでしょう。
「フランツ・ニクラウス・ケーニッヒ(Franz Niklaus König、1765年4月6日-1832年3月27日)は、スイスのベルン出身の肖像画・風俗画家。
ティベリウス、マークォート・ヴォッヒャー、ジークムント・フロイデンバーガー、バルタザール・アントン・ドゥンカーらとともに研鑽し、伝統衣装や田舎の風俗、風景を描いて名を上げていった。」
ティベリウス、マークォート・ヴォッヒャー、ジークムント・フロイデンバーガー、バルタザール・アントン・ドゥンカーらとともに研鑽し、伝統衣装や田舎の風俗、風景を描いて名を上げていった。」
…とあって、何せこんな↓絵を描く人ですから、これはさすがに同名異人だろうと思いました。
(ウィキペディアの当該ページより)
でも、その先を読んでいくと、やっぱりご当人だったのです。
天文学とは無縁のケーニッヒが、星図帳を編むきっかけとなったキーワードは「透かし絵(独 Transparentgemälde/英 transparent paintings)」です。
上の記事は、ケーニッヒの透かし絵について、「ゲーテの時代ポータル」という、ドイツのまとめサイトにリンクを張っています。その内容をかいつまんで適当訳すると、
「ランプシェードに絵を描いているうちに、ケーニッヒはあるアイデアを思い付いた。より大きな紙面に水彩で絵を描き、それを枠に張って、背後から光で照らしたらどうだろう?透かし絵は、月明りや日の出どきに眺めてもいいし、背後を灯火で照らす「からくり絵」にも向く。彼の透かし絵は大評判となり、ケーニッヒは1815年、ベルンに「透かし絵の部屋」をオープンするとともに、スイス、ドイツ、フランスの各地で興行を行った。そして、ワイマールではゲーテもそれを目にして、大いに興味を持ち、それについて文章を発表した。」
…という次第で、日本でいえば一種の灯籠絵なのでしょうが、この工夫がヨーロッパの人に大いに受けたようです。
ここに星図の話は出てきませんが、ウィキペディアの記事は「1826年刊のケーニッヒによる星図」にリンクが張られていて(以下のベルン大学図書館の地図コレクションを紹介するページです)、問題の作品がケーニッヒの手になるものであることは確かです。
そこには星座図26枚+南北天球図各1枚、計28枚の図版が載っており、いずれも黒地に白く星座絵が描かれています。でも、これだと画像が小さくて、どこがどのように透かし絵になっているのか、よく分かりません。さらに探してみると、下のページにより詳細な情報が載っていました。
その解説によると、ケーニッヒ星図は、上述のとおり全28枚。カードの大きさは27.6 ×21.8 cmで石版刷り。カードの周囲は、同じく石版で文字を入れた紙テープで巻かれています。説明文はフランス語。ちなみに、星座絵のデザインは、フラムスティード星図(フォルタン版)に倣って、それを黒白反転させたものです。
この星図、一見ただの黒白星図に見えますが、どこが透過式かというと、星の所にやっぱり小穴が開いていて、光にかざすと星が光るようになっているのです。しかも、単純に穴を開けただけではなく、裏面から白い薄紙を貼ってあるのが、ケーニッヒなりの工夫です。そうすることによって、星の輝きが面的になり、穴の大きさによる等級表現が、より適切に行えると気づいたのでしょう。(この工夫は、後続の透過式星図にも受け継がれました。例外は、『ウラニアの鏡』で、同図は薄紙が貼られてないため、ろうそくのような点光源だと、かざす位置・角度によって、星の明るさが大きく変化してしまいます。これは『ウラニアの鏡』の欠点です。)
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透過式星図は、専門の天文学者でも、その周辺の人でもなく、一人の職業絵師・兼・透かし絵の興行者によって編み出された…という事実は、それが一種の「視覚的玩具」として同時代人に受容されたという、前回述べた仮説を補強するものだと思います。
(この項つづく)
コメント
_ S.U ― 2020年09月26日 11時38分59秒
_ 玉青 ― 2020年09月27日 07時25分30秒
しばし首をひねっているうちに、これは重要な論点だと気づきました。すなわち、おそらくその因果関係は逆で、透かし絵をはじめとする「光と影の魅力」に目覚めたからこそ、近代人はステンドグラスを復活させたのではないでしょうか。
ステンドグラスは17世紀以降、急速に時代遅れになって、教会を彩る新たな作品が作られることもなく、古ぼけた過去の遺物として放置状態にありました。それが力強く復活したのは19世紀のことで、その要因は例の中世ブームだ…というのは、前に記事で書いた気がします。
しかし、それだけでなく、同時代の「光と影に対する嗜好」というのが、さらなる背景要因としてあったろうというのは、大いに論ずべき価値がありそうです。(当時の人も明瞭に意識してはいなかったでしょうが、今から振り返ると、そういう構図がぼんやり見えてくる…というレベルの議論です。)
ステンドグラスは17世紀以降、急速に時代遅れになって、教会を彩る新たな作品が作られることもなく、古ぼけた過去の遺物として放置状態にありました。それが力強く復活したのは19世紀のことで、その要因は例の中世ブームだ…というのは、前に記事で書いた気がします。
しかし、それだけでなく、同時代の「光と影に対する嗜好」というのが、さらなる背景要因としてあったろうというのは、大いに論ずべき価値がありそうです。(当時の人も明瞭に意識してはいなかったでしょうが、今から振り返ると、そういう構図がぼんやり見えてくる…というレベルの議論です。)
_ S.U ― 2020年09月27日 07時52分03秒
>19世紀~同時代の「光と影に対する嗜好」
あっ、そうなんですか。そういやステンドグラスの復権、言及されていましたね。
19世紀はじめは、光の波の理論が近代的に復活し、のちの電磁波理論につながった時代でもあるので、案外、一般のブームにも、物理学(的思想)が厚くなった効果もあるかもしれません。また、注意してみます。
あっ、そうなんですか。そういやステンドグラスの復権、言及されていましたね。
19世紀はじめは、光の波の理論が近代的に復活し、のちの電磁波理論につながった時代でもあるので、案外、一般のブームにも、物理学(的思想)が厚くなった効果もあるかもしれません。また、注意してみます。
コメントをどうぞ
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西洋には、もっと昔から「ステンドグラス」というものがあって、「天の偉大さ」を透過光で見るということは広く体験されていたと思うのですが、それとこの考案の関係はどうなのでしょうか。たとえば、教会のステンドグラスと透過式掛け図星図の中間形態のようなものはないのでしょうか。