日本のグランドアマチュア天文家(後日譚)2021年04月10日 09時37分59秒

「あれ?おかしいなあ。4月になったら余裕ができて、記事もバンバン書けるはずだったのに…」と首をかしげつつ思うに、確かに生業の方は若干余裕が生まれたものの、通勤時間が1時間余分にかかるようになって、時間的にはむしろ余裕が乏しくなったのでした。以前は文字通り「朝飯前」に記事を書いてましたが、今それをやろうと思うと、異様に早起きしなければなりません。でも、新しいリズムに慣れてくれば、その辺もまた変ってくるでしょう。

   ★

さて、本題です。
最近、すこぶる嬉しいお便りをいただきました。

これまた過去記事に絡む話題ですが、以前、日本のアマチュア天文史の一ページを彩る存在として、萑部進・守子(ささべすすむ・もりこ)夫妻という、おしどり天文家が、戦前の神戸で活躍していたことを、5回にわたって紹介しました。


神戸は今でも素敵な町です。さらに戦前の神戸となれば、その不思議な多国籍性が、とびきりハイカラで、モダンで、お洒落な香りをまとって、さながら稲垣足穂の『一千一秒物語』のような世界であった…と、この目で見たわけではありませんが、そんなイメージがあります。

(昔の神戸の絵葉書)

そのモダン都市・神戸の一角、六甲の高台に、萑部夫妻は瀟洒な邸宅を構え、私設天文台に据え付けた巨大な望遠鏡で星を追い、海を眺め、音楽を楽しんだ…という、本当にそんな生活がありうるのかと思えるようなライフスタイルを、上の一連の記事でスケッチしました。

(萑部氏の山荘風邸宅と天文台。上記「日本の…天文家(1)」から再掲)

最近いただいた嬉しいお便りというのは、神戸大学の青木茂樹氏からのもので、氏がさまざまな探索手法を駆使した末に、萑部氏の邸宅跡を発見・特定されたこと、そしてお二人の戦後の動向についても情報を得て、それらをまとめて紀要論文にされたという内容でした。

青木茂樹(著) 「六甲星見臺」址を探して
 神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要
 Vol.14, No.2, pp.85-89
 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/repository/81012658.pdf

そう、萑部氏の私設天文台「六甲星見台」は、本の中だけの存在ではなく、確かに「実在」したのです。そうであるならば、萑部氏の営んだ美しい生活もまた実在し、そして憧れの夢幻都市・神戸も、やはりこの世に存在したのだ…と、あえて断言したいと思います。

内容の詳細は、青木氏の論文を参照していただくとして、特筆すべきは、萑部夫妻の写真をそこで拝見できたことです。

(青木氏上掲論文より)

いずれも戦後のポートレートですが、お二人とも理知的で人間的な豊かさに満ちた素敵な面差しです。この写真から20~30年前の若き日のご両人を想像し、その六甲での暮らしを思うと、やっぱり夢幻的だなあ…と思います。

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しかし―と繰り返しますが、お二人は確かに現実の人です。

お二人の体温を直接感じるのは、何よりもその愛機(望遠鏡)です。拙稿では、その後紆余曲折を経て、それが神奈川県の横浜学園に所有されていることまでは触れましたが、青木氏の論文によれば、望遠鏡はそこからさらに四国に渡り、現在は香川県の「天体望遠鏡博物館」で大切に保管されている由。(事の顛末を、同博物館の白川博樹氏が、雑誌「天界」2020年5月号に発表されています)。

   ★

神戸は、そして世界は、今ウイルスの侵襲で大変なことになっています。
またコロナ禍とは別に、社会の在り様は、いささか無惨なものとなっています。

まあ冷静に振り返れば、無惨な社会の方が歴史的にはデフォルトなのかもしれませんが、かつて美しい町、美しい生活、美しい心根が存在したことも、また確かな事実です。そして、世界が人の心の投影であるならば、美しいものに対する憧れさえ失わなければ、夢幻世界は何度でもよみがえるに違いありません。

コメント

_ S.U ― 2021年04月11日 09時38分41秒

2017年にもコメントさせていただきましたが、46cm 径の巨大反射鏡を、苦労してイギリスから輸入した動機と経緯が気になります。
 46cmというのは破格の大きさで、望遠鏡を組み立てて設置し扱うだけでたいへんというのは読めていたと思います。当たり前ですが、大きい分だけ高価であったことでしょう。ハーシェルの40フィート望遠鏡もそうですが、趣味でも立派な「科学プロジェクト」ですから、導入方針がどうだったのか吟味したいところです。

 カタログを取り寄せて大艦巨砲主義でいちばん大きいのを選んだのかとか、たまたま46cmがワケあり激安で出ていたとか、そのへんはわかっているのでしょうか。

_ 玉青 ― 2021年04月11日 10時19分17秒

確かに破格のサイズですよね。たまたま出物があったのかどうか、萑部氏が46センチをチョイスした経緯は不明ですが、氏が大きさにこだわった背景を想像するに、氏が私設天文台を建てるとき、真っ先に相談したのはたぶん山本一清で、山本が氏を大いに煽ったんじゃないでしょうか。同時代の欧米の実情をよく知る山本として、大型反射望遠鏡を備えた施設の誕生は一大痛快事だったでしょうし、個人立とはいえ、それがお膝元の関西にあれば、いろいろ便利に感じたというのもあると思います。(すべては憶測ですが。。。)

_ aoki ― 2021年04月11日 16時47分10秒

紀要記事のご紹介を有難うございました。
リンスコット47cm鏡の話ではないのですが、紀要で紹介しました「六甲星見台よりのStatement」(上記URLにリンクしました)には、京大が輸入するトムキンス60cm鏡は三井物産大阪支店を介して輸入するとあります。何だか萑部氏が関与している可能性もあるように勝手に思っています。
リンスコット47cm鏡はそれ以前に入手済みのようですから、イギリス駐在から日本に帰国する際の自分へのお土産として奮発したとか、あるいは帰国前の駐在中にワタリがつけてあったものを帰国後輸入したとか。(勝手な妄想です)
ご長男がご存命だったら何か思い出話が聞けたかもと思うと、かえずがえすも残念です。

_ S.U ― 2021年04月11日 17時36分34秒

玉青様、Aoki先生、ありがとうございます。
 
 ご紹介の文献に依りますと、山本氏は気象条件のよい、例えば神戸の地で、天体写真で何らかの物理学志向の観測をすることを考えていたように見えます。当時の天体写真と言えば、少しでも大口径のほうが有り難かったはずで、「山本博士の大艦巨砲主義」が正解のような気がしてきました。

_ 玉青 ― 2021年04月12日 07時55分31秒

やや、これは!
適当に憶測で書きましたが、六甲星見台に対する山本一清の影響は予想以上に濃く(何せ名誉台長ですから)、またその指導のよろしきを得ていたのですね。

神戸の天文趣味家たちの名前が挙がっているのも、個人的に大層興味
深いです。やはりタルホの跳梁する夢幻都市・神戸はこうでなくては…

ときにこの記事は、守子夫人のことばかり書いていますが、「シグマ・サヂタリアス」なる匿名筆者は、夫君の進氏ということでしょうか?

_ aoki ― 2021年04月12日 10時38分47秒

私見ですが、「その名が表す射手座のσ星は南斗六星の中で一番明るい星で、ヌンキ『海のしるし』という固有名がある。船舶海運関係の職にあった萑部進氏のペンネームではないかと思われる。」と言い切ってしまいました。

_ 玉青 ― 2021年04月12日 10時50分54秒

あ、失礼しました。ご高論中にすでにその旨記載がありましたね。
それにしても、この筆者が進氏とすると、氏は相当な愛妻家だったんでしょうね。読む方がちょっと照れてしまうような(笑)。まあ、仲良きことは美しきかな、いかにも微笑ましいエピソードと思います。

_ Y ― 2021年04月30日 21時21分49秒

はじめまして。雑誌「天界」2020年5月号に載っているという「事の顛末」をぜひ読んでみたいのですが、その雑誌はどうやって入手できますでしょうか? 出版元のご連絡先や、蔵書のある図書館などご存知ありませんでしょうか? 検索してみましたが見つかりませんでした。その望遠鏡には、わけあってとても思い入れがあります。よろしくお願いいたします。

_ 玉青 ― 2021年05月02日 09時02分43秒

Yさま、はじめまして。
雑誌「天界」は東亜天文学会の会員向け機関誌で、たぶん一般には市販されていないと思いますが、バックナンバーはネットで公開されています。以下から、2020年5月号も見ることができますよ。
http://www.npo-oaa.jp/Tenkai/tenkai.htm

_ Y ― 2021年05月02日 23時37分10秒

玉青さま、早速ありがとうございました。ブログ上では詳しく書けませんが、望遠鏡が正しく活用されたようで本当に安心いたしました。また、「天界」の記事を読んで経緯がよくわかり、納得いたしました。コロナ渦の折、どうぞご自愛くださいませ。

_ ガラクマ ― 2021年05月03日 23時07分43秒

Y様。皆様。こんばんは。私の稚拙な文章をご覧いただき、ありがとうございました。現在は以下の写真のように、少し窮屈ではありますが、カルバー2台の横に展示しております。
http://yumarin7.sakura.ne.jp/telbbsp/img/12707_1.jpg
移動に支障が無くなりましたら、是非ともおいで下さいませ。

_ Y ― 2021年05月04日 08時59分41秒

ガラクマさま、ありがとうございます。今は香川の天体望遠鏡博物館にあるのですよね。松山までは毎年行っておりますので、コロナ渦が開けたらぜひ拝見しに行きたいです。のちほど博物館の「お問い合わせ」フォームからご連絡してみます。

_ 玉青 ― 2021年05月04日 15時18分32秒

○ガラクマさま

これは壮観ですね!「夏草や兵どもが…」の感慨もふと浮かびますが、いつかレストアが行われ、再び像を結ぶようになれば、これはむしろ幾たびも生え変わり、その生を謳歌する夏草のような存在となるかもしれませんね。今はしばし戦士の休息といったところでしょうか。

○Yさま

多少なりともお役に立てて幸いです。
私もいずれ香川にお邪魔したいのですが、そのためにも眼前の厄介ごとが早く終息することを祈ります。

_ TANKO ― 2021年09月03日 17時22分51秒

初めまして

本ブログ並びにAoki先生の論文情報を頼りに、先日、神戸の六甲星見台跡を訪れてきました。
天体望遠鏡博物館にちょくちょく出入りするようになり、ガラクマさんよりいろいろ話を聞くうち、私も古い天体望遠鏡に興味が湧いてきました。
六甲星見台が母校キャンパスのすぐそばにあったということを知り、神戸に出かけた際に立ち寄った次第です。
幹線道路から坂道を上がり、その先の石段を少し登っていくと、すぐに論文に掲載されていた石垣が現れてきました。
アマチュア天文家夫婦が90年近く前にこのような場所に私設天文台を建設し、天体観測されていたことに思いを馳せ、しばしの間、感慨にふけった次第です。

_ 玉青 ― 2021年09月03日 18時09分54秒

TANKOさま、こんにちは。コメントをありがとうございます。
六甲星見台に足を運ばれたのですね!拙ブログの記事が、その機縁の1つになったと伺い、光栄に思うと同時に、ここでも同好の士に会えたという思いで、本当に嬉しく思います。

現代のアマチュア天文家の皆さんが、その星を見上げる情熱のほんの一部でも割いて、天文学や天文趣味の過去の歩みに積極的に興味を向けてくれたら、天体そのものの見え方もちょっと変わると言いますか、奥行きや陰影がさらに増すのではないかなあ…と、そんなことを常々思っています。TANKO様におかれても、ぜひ周囲の方への宣伝に努めていただければと、お会いした早々お願いするのも図々しいようですが(笑)、よろしければぜひ!

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

_ ガラクマ ― 2021年09月03日 23時34分48秒

TANKOさん。ご無沙汰しております。私も最近、天体望遠鏡博物館に行けてないですが、明日久しぶりに、神戸からのお客さんを迎えに登館する予定です。
その方も相当なマニアな方なので、六甲星見臺、宣伝しておきます。

私は、(頭はありませんが)足で稼ぐ派だったのですが、ここ2年、今後もそれができませんので、お詳しい洞察をされる方と、地域の方々の方々に期待するのみです。

_ 玉青 ― 2021年09月04日 07時48分58秒

割り込みコメント失礼します。
ガラクマさまへ、私からもご無沙汰のご挨拶を申し上げます。
天上のコロナ―太陽コロナに南北のかんむり座―はどれだけ壮麗でも歓迎ですが、地上のコロナはそろそろ退場願いたいですねえ。王冠をかぶるべき「おつむ」の方が、先にやられてしまいそうです。
私の方は六甲星見台にも行けず、四国にも渡れず、鬱屈していますが、今はせいぜいこうしてネットで皆さんの近況を伺うのが心の慰めです。「宣伝」の方もぜひよろしくお願いします。

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