明治改暦によせて ― 2022年12月04日 15時11分38秒
私の職場のエレベーターは、乗っている人を退屈させない工夫なのか、「今日は何の日？」というのがパネルに表示されます。それによると、昨12月3日は、明治改暦の日でした。すなわち、明治5年（1872）12月3日を以て太陰暦（いわゆる旧暦）を廃して、現在の太陽暦（グレゴリオ暦）に移行し、この日が明治6年（1873）1月1日となったのです。
「へえ、すると今日で太陽暦に移行して満150周年か。それは大きな節目だな」…と一瞬思いましたけれど、この12月3日は旧暦の日付ですから、そう思ったのは錯覚で、本当の150周年はもうちょっと先です。つまり、旧暦の明治5年12月2日がグレゴリオ暦の1872年12月31日に当り、翌12月3日が1873年1月1日なので、こんどの大晦日がくると旧暦終焉150周年、翌日の元旦が新暦開始150周年です。こんどの正月は、そのことを一緒にお祝いしてもいいですね。
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それで思い出したのですが、明治5年の「改暦の布告」の生資料が手元にあります。
（表紙＝p.1）
現在の埼玉県西部にあった「入間県」の「第7大区各小区戸長中」あてに送達されたものです。
当時の政府からのお達しは、まず郵便で各府県庁に送られ、受け取った府県知事は、それを当時の「大区小区制」にしたがって大区の「区長」に送り、区長はそれを管内小区の「戸長」に送り、戸長がそれを掲示板に貼り出したり、直接住民に申し聞かせたりして周知を図る…という形でした。「大区小区制」は明治初めのごく短期の制度ですが、小区はほぼ江戸時代の村に相当する単位で、戸長にはたいてい旧来の庄屋・名主が任命されたと聞きます。
（裏表紙＝p.6）
文書は2つ折りにした3枚の和紙をこよりで綴じてあります。こよりに割印しているのは、これが正式文書であることを示すものと思います。
ここには改暦の布告（11月9日付布告337号）だけでなく、その前後の「皇霊御追祭御式年」に係る太政官布告（11月7日付布告336号）や、「自今僧侶托鉢被禁候事」という教部省通達も書かれていて、区長は日付の近い文書をまとめて戸長に送っていたようです。
（pp2-3．改暦の布告はp.2から最後のp.6にかけて書かれています。）
改暦の布告は、京都府の例（※）のように独自に版本を作成して情報伝達した地域もあるので、入間県でもあるいはそうしたかもしれませんが、少なくとも小区レベルは、こういう書写本の形で情報が伝わっていました。
（pp.4-5）
ちなみに、改暦の布告は現在も生きた法令で、公式の法律データベース e-Gov（イーガブ）にも掲載されています【LINK】。
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で、あらためて手元の布告を見ると、いろいろ面白いことに気づきます。
まずは冒頭部分。以下、e-Gov掲載の原文は青字、手元の文書は赤字で表記します。
今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦御頒行相成候ニ付来ル十二月三日ヲ以テ明治六年一月一日ト被定候事
今般太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ頒行相成候ニ付来ル十二月（ ）ヲ明治六年一月二日ト被定候事
細かい文言の違いも気になりますが、何といっても注目すべきは、「一月一日」が「一月二日」になっている点です。その上の「十二月（ ）」が虫食いで読めませんが、筆勢からすると、やっぱり「三日」のようなので、これは完全な誤記です。
（下に白紙を入れて撮影）
これだと入間県のこの地区は、新暦でも旧暦でも、盛大に祝うべき明治6年の元旦がなかったことになります。（その続きを見ていくと、ちゃんと「一月〔…〕其一日即旧暦壬申十二月三日」とあるので、間違える人はいなかったでしょうが…。）
ほかにも時刻の定めとして、「今後〔…〕昼夜平分二十四時ニ定メ」とあるべきところが、「二十二時ニ定メ」になっていたり、「子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ 午前幾時ト称シ 午刻ヨリ子刻迄ヲ十二時ニ分チ 午後幾時ト称候事」とある箇所などは、「子刻ヨリ午刻迄ヲ十二時ニ分チ 午前幾時ト称シ候事」と、後半部分をそっくり写し漏らしています。
この文書は、入間県第七大区の区長役場で作成されたのでしょうが、書写した人は相当な粗忽者か、役場全体が大慌てだったか、たぶんその両方のような気がしますが、当時の情報伝達の精度という点でも興味深いし、慌てふためく世相が彷彿として面白いと思いました。
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150年前というと、さほど遠い昔のこととも思えないんですが、それでも今の自分の身の回りを眺めるとその変化に愕然とします。やっぱり150年は相当な昔です。
コメント
_ S.U ― 2022年12月04日 17時12分56秒
_ 玉青 ― 2022年12月04日 18時59分19秒
>150年
私の場合、50年前の記憶はごく鮮明で、「ついこないだ」のような気がします。だったら「ついこないだ」を3倍しても、「ついこないだ」に毛が生えたぐらいのもんだろう…と思うんですが、まあ客観的に見れば50年も結構な年月なのでしょう。
>太陰暦の終焉を当時の暦を使って偲ぶ
一瞬、S.Uさんの仰っていることが分からず、「？？」となりましたが、なるほど太陰暦の祥月命日は12月2日ですから、満150周年とは別に、今年は12月24日に150回忌の法要を営まないといけない理屈ですね。そして12月25日が旧暦で祝う新暦の誕生日…となるとまた頭がこんがらかってきますが（笑）、ちょうどクリスマスでもあり、日本におけるグレゴリオ暦の誕生を祝うにはいいタイミングかもしれません。
>書き方が雑
本当にものすごく雑ですよね。ホワイト（たぶん胡粉でしょう）で修正してあるのはまだしも、文字が無遠慮に加入してあったり、ぐちゃぐちゃ書き直してあったり。誤字の内容から、書き手が内容を理解せず書いていたのも確かでしょうし、内容が内容なので、とにかく大至急伝達するよう上から指示があったんじゃないでしょうか。そんなところに、明治5年歳末の空気を感じました。
私の場合、50年前の記憶はごく鮮明で、「ついこないだ」のような気がします。だったら「ついこないだ」を3倍しても、「ついこないだ」に毛が生えたぐらいのもんだろう…と思うんですが、まあ客観的に見れば50年も結構な年月なのでしょう。
>太陰暦の終焉を当時の暦を使って偲ぶ
一瞬、S.Uさんの仰っていることが分からず、「？？」となりましたが、なるほど太陰暦の祥月命日は12月2日ですから、満150周年とは別に、今年は12月24日に150回忌の法要を営まないといけない理屈ですね。そして12月25日が旧暦で祝う新暦の誕生日…となるとまた頭がこんがらかってきますが（笑）、ちょうどクリスマスでもあり、日本におけるグレゴリオ暦の誕生を祝うにはいいタイミングかもしれません。
>書き方が雑
本当にものすごく雑ですよね。ホワイト（たぶん胡粉でしょう）で修正してあるのはまだしも、文字が無遠慮に加入してあったり、ぐちゃぐちゃ書き直してあったり。誤字の内容から、書き手が内容を理解せず書いていたのも確かでしょうし、内容が内容なので、とにかく大至急伝達するよう上から指示があったんじゃないでしょうか。そんなところに、明治5年歳末の空気を感じました。
_ S.U ― 2022年12月05日 09時30分59秒
>太陰暦の終焉
天保暦の廃止は、ご紹介の通り新暦明治６年１月１日の直前ですが、そのすこし前に生まれた人は、誕生日や記念日や法事がどうなるのか困ったでしょうね。すべて新暦でやることが強制されていたかと思うと、どうもそうでもなかったようです。ウィキペディア「天保暦」によると、「明治42年（1909年）まで官暦（伊勢神宮から発行された本暦や略本暦）に記載されていた」と書かれています。これは国としてはどういう心なのでしょうか？ 岡田芳朗さんの本に載っているかもしれないので、また見ておきます。
>「ついこないだ」を3倍
確かに50年前は「ついこないだ」ですね。念のため、50年前の人がそのまた50年前のこと（今から見れば100年前）をどう覚えていたかを思い出してみると、例えば当時の作家の作品、井上靖でも稲垣足穂でもいいですが、子どもの時の記憶を生き生きと書いていて、現在でも100年前が眼前に浮かびます。そのまた50年前の作家で明治初めの頃のことを口語で生き生きと書いている人は、私は岡本綺堂くらいしかしりませんが、まあ事情は変わらないでしょう。大人の感覚的には、150年前はたいした昔とはいえないように思います。いっぽうで、社会情勢が大きく変化したことは、これはこれは事実で、大げさに言えば、個人と社会情勢の変化のギャップが人類の悲劇の一つの根源と言えるかもしれません。ぜんぜん、大げさではないようにも思えます。
天保暦の廃止は、ご紹介の通り新暦明治６年１月１日の直前ですが、そのすこし前に生まれた人は、誕生日や記念日や法事がどうなるのか困ったでしょうね。すべて新暦でやることが強制されていたかと思うと、どうもそうでもなかったようです。ウィキペディア「天保暦」によると、「明治42年（1909年）まで官暦（伊勢神宮から発行された本暦や略本暦）に記載されていた」と書かれています。これは国としてはどういう心なのでしょうか？ 岡田芳朗さんの本に載っているかもしれないので、また見ておきます。
>「ついこないだ」を3倍
確かに50年前は「ついこないだ」ですね。念のため、50年前の人がそのまた50年前のこと（今から見れば100年前）をどう覚えていたかを思い出してみると、例えば当時の作家の作品、井上靖でも稲垣足穂でもいいですが、子どもの時の記憶を生き生きと書いていて、現在でも100年前が眼前に浮かびます。そのまた50年前の作家で明治初めの頃のことを口語で生き生きと書いている人は、私は岡本綺堂くらいしかしりませんが、まあ事情は変わらないでしょう。大人の感覚的には、150年前はたいした昔とはいえないように思います。いっぽうで、社会情勢が大きく変化したことは、これはこれは事実で、大げさに言えば、個人と社会情勢の変化のギャップが人類の悲劇の一つの根源と言えるかもしれません。ぜんぜん、大げさではないようにも思えます。
_ 玉青 ― 2022年12月05日 17時45分02秒
>これは国としてはどういう心なのでしょう
おお！これは思考がシンクロしましたね。
ちょうど私もその件で話を進めようとしたところです。私のほうは渡辺敏夫さんの本からの引用になりますが、次回そっち方向に話を進めますので、またご教示いただければ有難いです。
>個人と社会情勢の変化のギャップが人類の悲劇
はるかな昔は、10世代ぐらい経過しても、ほとんど変化のない社会だったんでしょうが（微気象の変化とかはあったでしょうが）、今や1世代のうちに10回ぐらい滄桑の変が繰り返されていますから、人間本来の時間感覚もおかしなことになってきますね。これはたしかに悲劇であり、喜劇だと思います。
おお！これは思考がシンクロしましたね。
ちょうど私もその件で話を進めようとしたところです。私のほうは渡辺敏夫さんの本からの引用になりますが、次回そっち方向に話を進めますので、またご教示いただければ有難いです。
>個人と社会情勢の変化のギャップが人類の悲劇
はるかな昔は、10世代ぐらい経過しても、ほとんど変化のない社会だったんでしょうが（微気象の変化とかはあったでしょうが）、今や1世代のうちに10回ぐらい滄桑の変が繰り返されていますから、人間本来の時間感覚もおかしなことになってきますね。これはたしかに悲劇であり、喜劇だと思います。
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私が幼かった頃は、太陰暦廃止後90年少々でしたが、そのころは私の田舎では、旧正月というのは寺の祭礼（護摩たき）があり、学校は休みではありませんでしたが、家庭や地域では老人たちが昔を懐かしむふうがあり、なんとなくひなびたような華やいだような独特の気分があったものです。今いう「春節」とは違うもので、今ではまったく感じられないものになりました。
この文書の「一月二日」と「二十二時」は決定的な間違いで傑作です。書き方が雑なようですが、割印があるということは、これは区長の控えではなく配布された物なのでしょうか。小区がたくさんあってそのうちの１つを間違っただけなら仕方ないかもしれませんが、他の戸長に行ったのも軒並み間違えているかもしれませんね。ひょっとすると、入間県の元で間違ったかもしれず、もう１、２点、同様の文書を見てみたい気がします。でも、このような全国的に出回った布告が現代まで庄屋さんの家に残されていたとすれば、珍しいことではないでしょうか。