結晶海に漕ぎ出す(7)…ブラベー格子(後編の上) ― 2014年08月16日 14時33分15秒
(お盆で間が開きましたが、前回の続きです。)
私にとって数学の出てくる話は何であれ難しく、ブラベー格子も例外ではありません。
ただ、ブラベー格子の場合、それ以外の難しさがあるように思います。
ブラベー格子のことを本で読んでいて思うのは、説明図がとにかく分かりにくいこと。
それぞれの書き手が、工夫を凝らしているのは伝わってくるんですが、すぐに頭の中で線が入り乱れて、ごっちゃになってしまいます。
ああいうのは「概念そのものが高度で難解」というよりも、3次元図形を2次元で図示したり、それを頭の中で3次元に復元したりという、「入り口部分の難しさ」が大きいんじゃないでしょうか。言ってみれば、内容は単純でも、ドイツ語で言われると難しく感じるようなものです。脳内で3次元イメージを操作する能力は、個人差が大きいそうですが、平均的な人にとって、ブラベー格子の説明図は、かなり難しい部類に入ると思います。
ですから、こんなブラベー格子の模型↓を見つけて、こういうのを手にして説明を聞いたら、とても分かりやすいんではないかと思いました。
(http://www.helago-cz.cz/en/product/set-14-bravais-lattices/)
いや、実際本気で注文しようかとも思いましたが、税抜き価格で597ユーロ(約8万2千円也)と聞いて断念。でも、これって粘土と竹ひごで簡単に作れそうですね。
いや、実際本気で注文しようかとも思いましたが、税抜き価格で597ユーロ(約8万2千円也)と聞いて断念。でも、これって粘土と竹ひごで簡単に作れそうですね。
★
上の模型を見ると、ブラベー格子は、いわゆる分子模型にそっくりですが、前回も書いたように、ブラベー格子は、分子や原子の実際の配列を表現しているわけではありません。
前回のβマンガンの模型もそうでしたが、結晶中の原子・分子の配列は、多くの場合、もっとゴチャゴチャ・ウネウネしているものです。しかし、そこに見られる繰り返しのパターンに注目して、そこに格子状の網をかぶせると、全体の構造がすっきり見やすくなる…というのが格子説のポイントでした。
格子はあくまでも、結晶の分子配列に潜んでいる「パターン」を視覚化したものです。塩化ナトリウムのように、実際の分子の配列が、ストレートに格子の形と重なる場合もありますが、それは少数派です。
★
その格子のマス目1つが「基本単位格子」であり、ブラベー格子はその形を14種類に分類したものです。で、これまでのところでは、格子のイメージとして真四角(立方体)をイメージしました。
実際、真四角なブラベー格子の一群があります。
「立方格子」の仲間で、全部で3種類。
(「等軸格子(isometric lattice)」とも呼ばれます。でも何だか難しげなので、ここでは「立方格子」の称を採ります。)
いちばん左側のがベーシックな立方格子で、「立方単純格子」と呼ばれます。
ちょっと数学っぽく、下のように3次元座標を作って、たて・よこ・高さの3軸をa、b、cとし、それぞれの面がなす角度をα、β、γとすれば、立方格子は、a=b=cで、四隅はどこをとっても全て直角、すなわちα=β=γ=90°です。
この立方格子をズラッと並べると、結晶が備える構造パターンが浮かび上がります。具体的な鉱物種でいうと、「立方晶系(等軸晶系)」の鉱物がそれで、肉眼的にも立方体の形をとる岩塩とか、蛍石とか、黄鉄鉱は、まさに「原子の世界が肉眼化した」例ですね。
(真四角のスペイン産の黄鉄鉱)
(カクカクした中国産の蛍石)
それらの鉱物が、ときに正四面体や正八面体の結晶にもなるわけは、格子のワイヤーはあくまでも仮想的なものであり、実体がないからです。
つまり、生身の結晶は、この仮想の線に沿って割れたり、成長したりする「義理」はなくて、条件によっては斜めにサクッといくこともあります(図には表現されていませんが、個々の基本構造は、斜め方向にある他の基本構造とも手を取り合っていることに注意してください)。
★
「ズラッと並べる」というのは、数学的に言えば、基本単位格子を「平行移動」することであり、「並進操作」と呼ばれます。そして、出来上がった格子全体を眺めると、そこには基本単位格子1個分の距離ごとに、全く同じ形が出現しています(同じものを並べたのだから当たり前です)。立方晶系の結晶構造は「並進対称性を有する」わけです。
さて、そこで先の図の右側の2つ、「立方体心格子」、「立方面心格子」とは何ぞやということになります。
(再掲)
「体心」、「面心」とはまた耳慣れない言葉ですが、英語の「body-centered」、「face-centered」の直訳で、立方体の真ん中にもう1つ小球(基本構造)を置いたのが体心、6つの各面の中心に小球を置いたのが面心です(1の目ばかりのサイコロを想像してください)。
「体心」、「面心」とはまた耳慣れない言葉ですが、英語の「body-centered」、「face-centered」の直訳で、立方体の真ん中にもう1つ小球(基本構造)を置いたのが体心、6つの各面の中心に小球を置いたのが面心です(1の目ばかりのサイコロを想像してください)。
何でこういうものを考え出したかというと、「立方体心格子」と「立方面心格子」は、「立方単純格子」にはない並進対称性を有するからです。
ここから先は、私の言語能力と作図能力では説明不能ですが、要は、立方体心格子や、立方面心格子を並べると、基本単位格子1個分ずれた位置に加え、0.5個分ずれた位置にも、全く同じ形が出現するということです(元の角っこが新たな体心・面心になり、元の体心・面心が新たな角っこになります)。
何を言っているのか、自分でも分かりにくいですが、ノースカロライナ大学の Mark McClure 氏による下の動画をご覧いただくと、これまでの整理にもなってよろしいかと思います(4:05~5:20に注目)。
結晶海に漕ぎ出す(8)…ブラベー格子(後編の下) ― 2014年08月17日 08時28分55秒
さて、後はサラッといきます。
立方格子を縦に(高さ方向に)引き伸ばしたのが「正方格子」。単純と体心の2種。
立方格子を縦に(高さ方向に)引き伸ばしたのが「正方格子」。単純と体心の2種。
対応する鉱物は、正方晶系の魚眼石、ルチル、灰重石など。
★
さらに上底・下底の正方形も崩して、3辺の長さがばらばらの直方体にしたものが「斜方格子」。
斜方格子には、単純、体心、面心のほかに、「底心(base-centered)」というのが仲間に加わります。6つの面のうち、上底と下底のみ真ん中に基礎構造を付け加えたもの。
対応するのは斜方晶系の霰石、重晶石、葡萄石など。
★
ここで言葉にこだわる人(=私)のために補足。
▼斜方形というのは、いわゆる「ひし形」のことです。斜方格子のどこにもひし形は出てこないのに、なぜそういう名称になったのか?
▼それと、上の図で「斜方単純~」だけ、英語名が「orthorhombic~」で、あとは「rhombic~」になっているのはなぜか?
後の問は簡単で、私が見た本がそうなっていたからです。でも、体心・面心・底心も全部「orthorhombic~」とするソースもあるので(たとえば英語版Wikipedia)、この辺は結構ゆるい感じです。
問題は前の問。
「orthorhombic」は「ortho(正~、直~)+rhombic(斜方形の、ひし形の)」 という意味の合成語。日本語訳は、このうち「rhombic」の部分だけ取り出して、「斜方~」としたから分かりにくいのでした。
でも、さらにさかのぼると、この単語は「pseudoorthorhombic」という、いかにも長ったらしい、今は廃語となった用語の簡略形なのだそうです。
(←参照 http://en.wiktionary.org/wiki/orthorhombic)
となると、原意は「pseudo(偽の)+ortho(正~、直~)+rhombic(斜方形の、ひし形の)」、すなわち「直角ひし形もどき」の意味となり、斜方形とはますます意味が離れていきます。
本当は「直方格子」とか「長方格子」とすればいちばん良いのでしょうが、この辺はもう歴史的に如何ともしがたいところです。
本当は「直方格子」とか「長方格子」とすればいちばん良いのでしょうが、この辺はもう歴史的に如何ともしがたいところです。
★
あれ、変だなあ。
何がだい?
立方、正方、斜方の3つの格子の関係ってさ、斜方格子の特殊なパターンが正方格子だよね?
無限にバリエーションのある斜方格子のうち、たまたま「a=b」なのを正方格子と呼ぶ、と考えればな。
さらにそのうち、たまたま「a=b=c」になったのが立方格子だから、集合関係でいえば、「斜方格子 ⊃ 正方格子 ⊃ 立方格子」だよね。
うん、そうなるかな。
制限条件を強めることで、新たな並進対称性が生まれるなら話は分かるけど、実際には減っちゃうわけだ。つまり、斜方格子なら「体心・面心・底心」の3パターンいけたのに、正方格子になると「体心」だけになっちゃう。でも、それが立方格子になると、また「体心・面心」に増える。…いったい何がどうなってるんだろう?
「底心の立方格子と正方格子、面心の正方格子は何故ないのか?」
…うん、もっともな疑問だな。でも、別にないわけじゃないよ。たとえば、「立方底心格子」だってちゃんと図に描ける。でも、それって「ちょっと小ぶりの正方単純格子」と等価だから、独立したネーミングを与えるまでもないわけさ。他のもよーく考えてみるといいよ。まあ、俺はまだ考えてないけどな(笑)。
(上から見た「立方底心格子」の集合。点線のように結べば、実は「正方単純格子」と等価だと分かります。なお、上底と下底は小ぶりになりましたが、高さは元と変わらないので、これは立方ではなく、正方格子です。)
★
ここまでは、四隅がすべて直角でしたが、全体を斜めにクイッと傾けるパターンもあります。
斜方格子を一方に傾ければ「単斜格子」。
鉱物でいうと単斜晶系の孔雀石、石膏、氷晶石など。
★
更にクイックイッと傾けて、四隅からすべて直角をなくしたのが「三斜格子」。
三斜晶系には曹長石、ばら輝石、灰長石などが属します。
★
さて、残る2つが、「六方格子」と「菱面体格子」なんですが、ブラベー格子の中ではいちばん分かりにくい連中です。
六方格子の名の由来は、これを3つ集めると六方形(六角柱)になるから…らしい。
で、この辺から徐々に雲行きが怪しくなるのですが、どうもこの両者は、単純な並進対称性の話題に加えて、回転対称性の話題が加わるらしく、説明を凝視したのですが、正直よく分かりませんでした。
そして、晶系との対応も、他と違ってごちゃごちゃしています。
六方格子はもちろん六方晶系の鉱物に対応しますが、でもそれだけでなく、三方晶系の鉱物にも一部対応し、他方、三方晶系の鉱物には、菱面体格子のものもあり…という具合。ちなみに水晶は三方晶系の代表ですが、格子は六方格子だそうです。
そもそも上図の菱面体格子は、何だか意味不明で、作図を間違えているんじゃないか…と疑っていますが(この図は拾い物で、文字だけ私が貼り付けました)、でも、あまり自信はないので、そのままにしておきます。
★
というわけで、分からないところも依然多いですが、最初の頃に比べれば、ブラベー格子に一寸は親しみを感じられるようになったので、天文古玩的にはこれで十分です。
不明の点はあっさり諦めて、ブラベー格子の話題は、そろそろこの辺でお開きにしましょう。
結晶海からの帰還(土産話) ― 2014年08月18日 05時39分33秒
結晶海に漕ぎ出した…と思う間もなく、あっという間に沈没。
でも、いつもよりちょっと遠くの景色を目にできて良かったです。
さて、結晶海を後にして、ふつうの「天文古玩」の世界に戻りますが、最後におまけ。
でも、いつもよりちょっと遠くの景色を目にできて良かったです。
さて、結晶海を後にして、ふつうの「天文古玩」の世界に戻りますが、最後におまけ。
★
これまで結晶の「晶」の字は、ずっとこんなイメージを表す象形文字だと思っていました。
でも、改めて字書を引いたら、案に相違して、次のような記述があってビックリ。
(『角川 新字源』より)
おお、星が3つで「晶」。よって「晶光」は「きらめく光」であり、「晶晶」と重ねれば「きらきらと光るさま」を意味すると。むむむ、これはしたり。
すると「昌」は…
【昌】 日を重ねて、日光があきらかにかがやく、ひいて「さかん」の意を表わす。
なるほど!
そういえば、家紋にも「三ツ星」というのがあって、配列はまさに「晶」と同じ。
こちらはオリオンの三つ星を表わすそうですが(おそらく道教系の星辰信仰に由来するのでしょう)、「晶」の字は、特に具体的な星座との結びつきはないようです。
★
…というぐらいが、「天文古玩」的には無難な話題じゃないでしょうか。
どうも無理をすると、あちこちに歪みが出るので、あまりシャカリキにならない方がいいですね。
さあ、鉱物Bar へ ― 2014年08月19日 20時17分11秒
鉱石(イシ)をみながら酒をのむ―。
フジイキョウコさんプロデュースによる「鉱物Bar」の季節が今年もやってきました。
オープンは今週の金曜日。
フジイキョウコさんプロデュースによる「鉱物Bar」の季節が今年もやってきました。
オープンは今週の金曜日。
(DM画像より)
■鉱物Bar vol.7 「結晶実験室」
○会期 2014年8月22日(金)~31日(日) ※25日(月)~26日(火) は定休日
15:00~21:00(最終日 20:00)
○会場 GALLERYみずのそら
東京都杉並区西荻北5-25-2 [MAP]
最寄り駅 JR西荻窪
○参加クリエーター(敬称略)
鉱物アソビ/フジイキョウコ、 和菓子/なの、 料理/HOME. フルタヨウコ、
ガラス/HARRYS 土屋 琴、 古物/堤 純一、野田好美、le trot
○WEB http://www.mizunosora.com/event153.html
今年のテーマは「結晶実験室」。
鉱物標本や古びた理化学硝子が並ぶ不思議な空間で、「鉱物のような和菓子&酒肴」を楽しむという、まさに晩夏の宵に一瞬咲いた幻影のようなイベント。
★
個人的なことを書くと、これまで訪問の機会が得られず、ずっと寂しい思いを重ねてきましたが、今年はついに伺うことができそうです。何年越しかの夢が叶い、心底うれしいのですが、好事魔多しと言いますから、不測の事態が起きないよう、しばらくは身を慎みます。
賢治 vs. 諭吉 ― 2014年08月20日 23時10分23秒
昨日の「なんでも鑑定団」に、賢治関係の品が出ていました。
友人に宛てた自筆はがき2通と、彼が自ら描いた地質図1枚。
地質図のほうは、大正5年に公刊された花巻周辺の地図上に、地質分布を淡彩で塗り分けたもので、欄外に賢治の筆跡で注が施されています。
友人に宛てた自筆はがき2通と、彼が自ら描いた地質図1枚。
地質図のほうは、大正5年に公刊された花巻周辺の地図上に、地質分布を淡彩で塗り分けたもので、欄外に賢治の筆跡で注が施されています。
番組によれば、鑑定を依頼されたのは盛岡在住の方で、市内の旧家解体の際に出た紙モノを一括して譲り受け、そこから発見されたそうです。はがきの宛名は、いずれも賢治と中学~高校で一緒だった原勝成ですから、同人もしくはその親族の家に伝来した品なのでしょう。
(盛岡高等農林時代の写真。前列左から3人目が賢治、4人目が原勝成。出典:筑摩書房、『写真集 宮澤賢治の世界』より)
はがきの日付は大正7~8年で、賢治23歳のときのものです。
大正7年3月に盛岡高等農林を卒業した彼は、引き続き研究生として学校に残り、関豊太郎教授の下、稗貫郡(現・花巻市)の土性調査に従事し、その成果は大正11年に公刊されました。問題の品はこのとき(大正7年)の下図と推定されます。
(『岩手県稗貫郡主要部地質及土性略図』(大正11年)。出典:同上)
さて、その鑑定やいかに…?
★
鑑定に当たった、神田の扶桑書房店主、東原武文氏の値踏みによれば、葉書が2枚で200万円、地質図は150万円、〆て350万円ナリ。
以下は、東原氏のコメント抜粋。
「〔…〕賢治のはがき・書簡はだいたい500通くらい残されているので特に珍しいというわけではないが、旧友に宛てた手紙ということで良い評価となる。地質図(150万円)も賢治自筆の本物で、特徴のある字が二つある。〔…〕何よりもいいのは花巻の地図だということ。賢治が生まれた川口町も記載されている。これはおそらく大正7年ぐらいに書かれたものだと思われるが、稗貫郡土壌報告書の土台になったものではないか。これに類するものは他に一枚「稗貫郡西部山地の地質図」があるくらいで、花巻に関するものは依頼品しかないかもしれない。非常に希少性が高い。第一級の資料といえる。」
★
さてさて、ここで何とコメントすべきか。
その珍品ぶりに驚いてもいいし、新資料の出現を大いに喜んでもいいし、あるいは、農民救済を目指した賢治の志と、その遺品が現在思わぬ高値で取引されていることの対比に、憤りや滑稽味を覚えることも出来ます。まあ、ここではあまり皮肉をこめず、素直に「モノの価値とは何だろうか?」と自問するぐらいが無難かもしれません。
自分も含め、多くの人にとって、150万なんてハナから論外でしょうが、でも、もし棚ぼたで150万円が労せず手に入ったら、そのお金でこの地質図を買うでしょうか?買わないとしたら、それはなぜか?
私の場合、たとえ150万が自由になっても、たぶん買わない気がします。
それは、この地質図を手に入れたときの満足度と、他の使い方をしたときの満足度を比較すると、後者の満足度の方が大きいと思えるからです。では、満足度は何によって決まるのか?
さっき風呂の中で考えてみたんですが、これがよく分からないですね。
きっと人の数だけ答はあるのでしょう。でも、同じ私という人間でも、昨日の満足と今日の満足とは既に違うし、そもそも満足に形はありませんから、いかにも捉えどころがありません。
現実の社会は、「交換」という行為に注目して、粗っぽく価値を順序付けていますが、でもそれで全て解決がつくわけでもなさそうです。
M氏からの手紙 ― 2014年08月22日 21時48分55秒
珍しくて希少だから高価…とは限りません。
単に珍しいというだけなら、この手紙だってずいぶん珍しい。
単に珍しいというだけなら、この手紙だってずいぶん珍しい。
なんといっても、これはあのシャルル・メシエ(1730-1817)の自筆書状なのですから。
メシエの名は天文ファンにとってはおなじみでしょう。フランスのすぐれたコメットハンターで、星雲・星団を目録化した「メシエ天体カタログ」の生みの親。(M78とか、M31とかいうのがそれで、「M」はメシエの頭文字)
「Messier souhaite le bon-jour à la M. Tenon.(拙メシエ、テノン先生に一言ご挨拶を申し述べたく)」…で始まるこの手紙、自分のことを「メシエ」と三人称で書いていますが、これは当時のたしなみだそうで、内容・筆跡からみて、この書状はメシエのもので間違いありません。宛先の「テノン先生」とは、当時の高名な外科医で、科学アカデミーでは、メシエの同僚でもあったジャック・テノン(1724-1816)。
5月5日の日付が見えますが、年次は不明。でも、おそらく18世紀末、メシエ晩年のものだろうと思います。このとき、メシエは足を患っており、手紙の冒頭には、燻蒸消毒や安息香のことが書かれていますが、その効験は知らず、患部がはれたり、吐き戻したり、なんとも不快な夜を過ごしたことをテノン先生に訴えています。
名うてのコメットハンターも、老境に入るとなかなか辛いものがありますね。
筆跡を見るかぎり、日常生活に不自由はなかったろうと思いますが、晩年のメシエは、視力の衰えにより、かつてのように彗星と向き合うことができなくなっていたと聞きます。
★
…というわけで、天文と直接関係のない内容とはいえ、ある天文家の一生を考える上で、興味深いといえば興味深い。
例の賢治の地質図を買うお金で、こういうものが何十も買えるとなると、まあ、「モノの価値」の方は依然謎めいていますが、こと「お金の使い方」に関しては、はたして何が賢明な振る舞いなのか、大いに悩むところです。
青い彗星 ― 2014年08月23日 13時20分53秒
20世紀初頭、ベルリンのプロイセンゴールド社から出た、天文モチーフのシガレットカードには、彗星カードが5枚含まれます。No. 55-59の番号順に、ダニエル、モアハウス、ハレー、ドナティ、ボレリーの各彗星。
それにしても、この澄んだ青の色合いはどうでしょう。
18世紀の初めにドイツで発見された美しい紺青の顔料は、「プルシャン・ブルー(プロイセンの青)」あるいは「ベルリン・ブルー」と呼ばれました。日本の浮世絵で用いられる「ベロ藍」も、このベルリン・ブルーに由来します。
この青い空は、青の本場、プロイセンならでは色使いかもしれませんね。
重ね刷りされた街のシルエットは、光の反射でぼうっと輝く白い街にもなります。こういうのは、ディスプレイだと見落としがちですが、印刷物の持ち味として無視できないところだと思います。
★
青い空。
この列島に早く青い空が帰ってきますように。
そして、亡き人々が、澄みきった青い空を静かに歩まれんことを。
アオイカメラ ― 2014年08月24日 08時36分53秒
青い光を切り取るカメラが欲しいと思いました。
といって、カメラ趣味はないので、実際に切り取ることはしません。
イメージの中での話です。
といって、カメラ趣味はないので、実際に切り取ることはしません。
イメージの中での話です。
真っ青なボディの35ミリ二眼レフ。
旧ソ連(現ウクライナ)にあったカメラメーカー、FED(F.E. Dzerzhinsky factory)が、1959年に発売した普及機、「FED Zarya」をベースにした、スプートニク打ち上げ記念モデル。
スプートニク1号は1957年10月4日に打ち上げられた、人類初の人工衛星。
その製造年からいって、このカメラはスプートニク打ち上げと同時ではなく、それよりも後に作られたものと思いますが、いかにもその時代の空気をまとっている感じがあります。
その製造年からいって、このカメラはスプートニク打ち上げと同時ではなく、それよりも後に作られたものと思いますが、いかにもその時代の空気をまとっている感じがあります。
長野まゆみさんの『天体議会』の少年たちは、ぜひこんなカメラを手にして、ライカ犬のタバコをくわえながら、シャッターを切ってほしい。
愛しのツィオルコフスキー(1) ― 2014年08月25日 06時07分31秒
突然ですが、以下ウィキペディアから一部抜粋。
コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー
(Константи́н Эдуа́рдович Циолко́вский 、1857-1935)
帝政ロシアおよびソビエト連邦の科学者。
ロケット理論や、多段式ロケット、軌道エレベータなどの考案で知られ「宇宙旅行の父」「ロケット工学の父」と呼ばれる。科学啓蒙的なSF小説を著したことにより、SF史にも名を残す。
1857年9月17日、モスクワ南東のイジェーフスコエで生まれる。
1865年、9歳で猩紅熱にかかり、聴力のほとんどを失う。
1879年、22歳で教師の免許を取得し、ボロフスクの中学校で数学を教える。
1891年、流線型の金属飛行機を論文で発案。
教員としての勤務の傍ら、「月の上で」(1893年)、「地球と宇宙に関する幻想」(1895年)などのエッセイを著す。
1897年、「ツィオルコフスキーの公式」により、最初のロケット理論を完成。
1903年、液体水素と液体酸素を燃料とする流線型のロケットの設計図を発表。
ロシア革命後に初めて評価され、75歳の時に労働赤旗勲章を受章。
1935年9月19日78歳で死去、国葬が行われる。
★
ツィオルコフスキーが生まれたのは1857年。
日本で言うと安政4年ですから、ずいぶん昔の人です。そして、その生誕100年を記念して、1957年に宇宙に飛び立ったのが、あのスプートニク1号でした。
★
社会的・身体的に恵まれない条件の中、苦労の末に学問的成功を勝ち取ったツィオルコフスキーの経歴は、貧家の出で、中学校の物理教師をしながら動・植物の研究を続け、独力で世に出た、あのジャン=アンリ・ファーブル(1823-1915)を思い起こさせます。
ファーブル型の偉人を好む日本人のことですから、ツィオルコフスキーの名も、もっと知られて良いはずですが、少なくとも万人が知っている人物ではありません。(注)
★
しかし、彼の名が日本で非常にポピュラーだった時期があります。
それは1960年代、昭和40年を中心とする前後10年間ぐらいのことです。その頃出た「世界の伝記」「世界の偉人」の類には、必ずといっていいほどツィオルコフスキーが入っていました。そしてツィオルコフスキーその人の著作も、SF啓蒙小説っぽい作品がいろいろ訳出されて、世に流布していました。
当時の知識人は、ソビエトに対する親和性が高かったという事情もあるのでしょう。その後、ソビエトに対する幻滅と、左翼運動の激しい動揺が、日本の知識人に深刻なアイデンティティの危機をもたらしたという歴史的事実はあるにせよ、ツィオルコフスキーの存在までもが、それによって閑却されていいはずはありません。国家による偶像化の外被を剥いでも、彼は依然として偉大で、ユニークな人物だと思います。
★
…と偉そうに言う資格はなくて、正直なところ、私も彼のことはあまりよく知りません。
そこで、ここは「天文古玩」的に、モノからアプローチしようと思い立ち、「ツィオルコフスキーもの」を最近いくつか手にしました。
(この項つづく)
(注) この辺は日本の特殊事情もあって、世界的にはたぶんツィオルコフスキーの方が有名でしょう。英語版ウィキペディアの記述量(タイトルから外部リンクまで)をカウントすると、ファーブルは約1,400ワード、ツィオルコフスキーは約3,300ワードで、倍以上の開きがあります。さらに母国での知名度を比べれば、マイナー至極なファーブルと、国家の英雄・ツィオルコフスキーの差は(たぶん)歴然。一方、日本語版ウィキペディアだと、それぞれ8,400字、1,500字と、完全に扱いが逆転しています。
【さらに補記】
…と、ここまで書いて気になったので、フランス語版とロシア語版のウィキペディアも調べてみました。数字はいずれも概数ですが、
○フランス語版 ファーブル=14,000ワード、ツィオルコフスキー=890ワード
○ロシア語版 ファーブル=2,100ワード、ツィオルコフスキー=29,000ワード
という結果でした。
ロシアにおけるツィオルコフスキーの人気は、予想通りすさまじいですが、フランスのファーブルもなかなかのもので、「フランス人はファーブルを知らない」というのは、ひょっとして都市伝説かも?とチラッと思いました。
愛しのツィオルコフスキー(2) ― 2014年08月27日 06時13分25秒
ツィオルコフスキーの生地イジェフスコエ、最初の教員生活を送ったボロフスク、1892年以降、人生の大半を過ごしたカルーガ、そしてモスクワの位置関係。グーグルによれば、この順に車で回ると、総距離629km、所要時間8時間22分と表示されます。彼の一生は、ほぼこの範囲で営まれました。
ウィキペディアをつまみ食いして書くと、カルーガはカルーガ州の州都で、人口34万人。中世にさかのぼる小都市で、今は自動車関連が主要産業だそうです。
そして、カルーガにちなむ有名人といえば、何といってもツィオルコフスキーに指を屈し、町には「ツィオルコフスキー記念航空宇宙学歴史博物館」という立派な博物館があります。英語版公式サイトは以下。
そして、その一部門という形で、ツィオルコフスキーの旧居が保存・公開されています。
ロシア語版サイトには、そのヴァーチャルツアーも用意されているのを発見。
ツィオルコフスキーは、この建物に1904年(46歳時)から29年間住みました。
その後、市政府はこの偉人のために新しい住居を提供し、そこで1年間暮らした後、彼はこの世を去ったのでした。
この家は、現況でも大学者の家としては十分質素ですが、途中で増築する以前は、平屋建てで居間が一間きりという間取りだったそうですから、当時のツィオルコフスキーの生活態度がどんなものだったか、自ずと分かろうというものです。
★
このカルーガの町に立つ、ツィオルコフスキーのロケットをかたどったモニュメントと、それをミニチュア化したお土産は、以前も登場しました。
で、最近これはいいなと思ったのは、同じモニュメントをデザインした記念封筒です。
星明りに照らされた銀のロケットも素敵だし、
ツィオルコフスキーの旧居を模したスタンプも愛らしい。
1961年9月19日の日付が見えますが、これは彼の一周忌に合わせて旧宅記念館がオープンしてから25周年を記念して発行されたものです。
(この項つづく)
最近のコメント