ウラニアの丘2014年09月28日 12時11分58秒

天気晴朗なれども、日本の真ん中にくすぶる山あり。
御嶽山の噴火に肝を冷やした方も多いことでしょう。

御嶽山では、1979年以降、間欠的に噴火活動が続いていることをニュースは報じていますが、この1979年の噴火は、有史以降初めての噴火だったと聞いて驚きました。
古今未曾有と言いつつ、歴史をさかのぼれば似たようなことはこれまで幾度もあった…という例は多いですが、正真正銘、古今未曾有の出来事もときにはあるものですね(まあ、人間が経験したごく短い「古今」に過ぎませんが…)。

山が早く落ち着きを取り戻しますように。

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さて、ウラニアをめぐる旅も、そろそろ終わりです。
今日はウラニアの故郷、イタリアに戻ります。

(1937年の消印あり)

上の絵葉書はイタリア中部、テラモの町にあるコルラニア天文台
長靴型をしたイタリア半島の「すね」にあるのがローマで、その反対側の「ふくらはぎ」にあるのがテラモの町です。

天文台名のColluraniaは、ラテン語のCollis Uraniæに由来し「ウラニアの丘」の意。

創設者のヴィンチェンツォ・チェルリ(Vincenzo Cerulli、1859-1927)は、イタリア天文学会々長も務めた人で、先輩に当たるジョヴァンニ・スキャパレリ(1835-1910)の火星の運河説に反対し、それが光学的錯覚に過ぎないと主張した…というようなことが、ウィキペディアには書かれています。

彼がそう主張する根拠となった観測の行われた場所こそ、ここウラニアの丘で、クック製40cm屈折を主力機材とする運用が始まったのは、1896年のことでした。

コルラニア天文台公式サイト(イタリア語)
 http://www.oa-teramo.inaf.it/ita/

(公式サイトより。重厚な魅力をたたえたクック製望遠鏡。
http://www.oa-teramo.inaf.it/galleria/INAF-OACTe%20Gallery/album/Museo/Cooke/slides/5_Cooke.html

チェルリはテラモの名門の出で、内福家だったのでしょう、コルラニア天文台も元来、彼の個人天文台として建てられましたが、その晩年に国家に寄贈され、現在はイタリア国立天体物理学研究所が運用している由。

(1953年の消印あり)

別角度からの1枚。針葉樹に囲まれた、気の置けない雰囲気ですが、遠くから見ると、この「ウラニアの丘」が、いかにもイタリアらしい乾いた風光の中にあることが分かります。


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遠いローマの昔、テラモの町は「インテラムニア」と呼ばれました。
それにちなんで、1910年にチェルリが発見した小惑星はインテラムニアと命名され、小惑星ウラニアと一緒に、今も小惑星帯を回り続けています。