ケプラーの入れ子(後編)2016年12月16日 06時21分57秒

今回、ケプラーの太陽系モデルを注文したのは、現在ボストンを拠点に活躍している造形作家、バスシバ・グロスマンさんのサイトを通じてです。

Bathsheba Sculpture http://bathsheba.com/

バスシバさんは、数学や科学の世界に登場する不思議な「かたち」の数々を、金属やレーザークリスタルで再現した作品を手がけていて、数年前にもガラスの銀河系モデルを紹介したことがあります。


化粧箱を開けると、8センチ角のガラスキューブが顔を出し、ケプラーのモデルはその内部に存在します。


なかなかこれが写真に撮りにくいのですが、真横から見ると下のような姿です。


正多面体の入れ子と、それを覆う球殻層――キューブの右下に見られるように、このモデルでは、全球ではなく半球としてそれが表現されています――が、ガラスの中に浮かんでいます。


このモデルは、ちょうど上の図と同じ形になっていて、正十二面体とそれに外接する火星軌道までが表現されています。(さらに外側の木星と土星まで含めると、全体が大きくなり過ぎて、手で持てなくなるか、逆に中心部が小さくなり過ぎて、何だかわけが分からなくなるせいでしょう。)


微細な気泡が描く、ケプラーのイマジネーション。


裏返しにして、積み重なる球殻層を通して太陽系を眺めたところ。
なんと儚く、美しい宇宙モデルでしょうか。

400年前、天空を見上げるケプラーの目には、透明な球体と巨大な多面体がはっきりと見えていたはずです。

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【閑語】(ブログ内ブログ)

最近の日本を見ていて思い浮かぶのは、「自己家畜化」という言葉です。
「自己家畜化」自体は、ヒトという生物種の特殊性を説明するための概念で、別にシニカルな意味は含まないのですが、どうも今の日本ではその域を超えて、急速に家畜化が進んでいるのではないか…と気懸りです。

錬金術師の入れ子2016年12月17日 21時40分19秒



机の上に置かれた、小さな真鍮のバケツ。大きさは普通のぐい呑みほど。


ふたを開けると、中に同心円状のものが見えます。


中身を取り出して並べると、何だか錬金術師の実験道具のような風情です。

この可愛い金属カップの入れ子、最初は体積を測る計量カップかな?と思いました。でも、よくよく話を聞いてみると、同じ測るのでも、こちらを重さを測るためのもの――すなわちカップ型の分銅なのだそうです(手元のキッチンスケールで測ったら、いちばん小さいのが15グラム、いちばん大きいのが50グラムちょうどでした)。

重さを測る品なら、たしかに錬金術師が使っても不思議ではありません。


そこに薬匙を添えると、いっそうそれっぽい感じです。


でも、再びカップを重ねて、


パカッと蓋を閉めれば、妖しい錬金術師の影はたちまち消え失せ、バケツは何事もなかったように沈黙し…

天球の入れ子2016年12月18日 14時01分07秒



ちょうどミカンぐらいの大きさの、まあるい木の挽き物細工。


上下には太陽と月、側面には12星座が描かれています。


そして内面を彩る深い青と金の星。
さらに、この卵のような天球の中には…



太陽の卵と月の球(月は中身の詰まった木球です)が、マトリョーシカのような入れ子になっています。

本当は天球の外側を、地球をかたどった卵が包み込む4層構造になっていたはずですが、手元の品は地球を欠いています。

でも、これは無い方が意味が通ります。天球の外側に地球があるのは、いかにも不自然だからです。(ここは地球を中心に据えて、天球―太陽―月―地球とするか、あるいは系の階層を基準に、天球―太陽―地球―月とした方が素直です。)

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この民芸チックな品、ファッション用品やアクセサリーの通販会社、リリアン・ヴァーノン(ニューヨーク)が1980年代に扱っていたもので、今でもときどきオークションサイトで見かけます。さして古くもないし、他愛ない品ですが、いろいろカラーバリエーションがあって、味のあるとぼけた絵柄は、見ていて楽しいものです。

旋盤職人の入れ子2016年12月19日 20時20分45秒



いつもの机の上に載っている不思議な物体。



真鍮の立方体に丸い窓をうがち、その中に一回り小さい立方体が入っています。
そして、小さい立方体の中には、さらに小さい立方体が…という具合に、大小5個のキューブが入れ子になっています。


キューブ同士の接合部は、ほぼ点ですから、これは非常に正確な加工技術の賜物であり、切削機械の力を借りたとはいえ、1個の立方体からこれを削り出した職人の技量は、恐るべきものがあります。


そして、このキューブは軸受けにベアリングが入っていて、クルクルと軽やかに回転することで、目を楽しませてくれます。

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この品は、ドイツのヴォルフスブルグに住む人から購入しました。
ドイツ北中部にあるヴォルフスブルグは、新興の工業都市で、あのフォルクスワーゲンの企業城下町。この品は売り手の伯父さん(彼もおそらく同じ町の住人でしょう)が製作したもので、伯父さんはかつて旋盤工場を営んでいたそうです。


売り手の人も詳細は不明のようでしたが、銘板を見ると、おそらく1964年に創業した工場が、79年に創立15周年を迎えた記念として制作されたもので(79年9月31日とあるのはご愛敬)、友人・知人・関係者への配り物とされたのでしょう。と同時に、伯父さんは自社の加工技術の高さを、こうして目に見える形で残しておきたかったのだと思います。

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純粋なオブジェとしても面白いですし、あの名車ビートルの生産を支えたであろう旋盤加工の冴えを偲びつつ、伯父さんの職人魂に乾杯!…といったところですね。

ヤドリギのクリスマスカードと或る一家の物語2016年12月24日 15時38分35秒

テロに大火。世界も日本も惨事に見舞われています。
仕事が忙しいとか、大掃除が面倒だとかブーブー言ってられるのは、実に幸せなことだと思わないわけにはいきません。

ちょっと間が空きましたが、記事の方を続けます。

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今日はクリスマス・イヴ。そして、クリスマスといえばヤドリギ
生命、太陽、炎、雷電、天空…ヤドリギはそれら全ての象徴であり、大きな呪力を秘めたものとして、冬枯れ一色の世界の再生と、生命の復活を願って、古代から冬至の時期に祀られてきました。そのかすかな名残が、クリスマスのヤドリギです。


そのヤドリギを描いた美しいクリスマスカード。
このカードは、そこにベツレヘムの星をあしらって、クリスマスムード満点です。


文字も絵柄もすべて型押しで浮き上がっている、凝った細工。


星の脇にさらに星。


この星は、差出人のカールトン氏が自らの思いを告げるために留めたものでしょう。


受取人はペンシルベニア州マンシーの町に住む、ミス・レオラ・ヴァーミリヤ。
消印を見ると、このカードは1908年のクリスマスに、ニューヨーク州オールバニーから投函されたものです。

eBayで見つけた108年前のクリスマスカード。
その背景にある物語を私が知る由もありませんが、でも知っている人に尋ねれば、きっとこんな答が返ってくるでしょう。

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おお、懐かしい。レオラのことならよく知ってるよ。

1908年…といえば、レオラはまだ18か19の娘時分の頃だ。
何?オールバニーのカールトン?その男のことは知らんな。でも、レオラの祖父さんや祖母さんはニューヨーク州の出だからな、あっちには親戚や知り合いが大勢おったさ。

レオラの祖父さんは最初、家具職人だったが、ペンシルベニアのグローヴァーで雑貨屋を始めてな。石炭油から採った「何でも治せるヴァーミリヤ特製“命の油”」なんてのまで売り出して、なかなか繁盛したもんさ。

商売っ気が強いのは、息子のエドワードも同じでね。息子の方は、グローヴァーからさらにマンシーに出て、製粉所の権利を買い取って、それから株の取引所を開いたりして、町の議会や教会の顔役になるぐらいには羽振りが良かった。つまり、それがレオラの親父さんさ。

親父は、本当はチャールズ・エドワードという2つの名乗りがあったんだが、自分ではもっぱらエドワードと名乗ってた。1908年にはたしか41歳だったはずだよ。女房のアイダは一つ違いだから、ちょうど40か。

レオラはエドワードとアイダの惣領娘でな、下に弟が3人、妹が1人おった。
中でも末の弟のチャールズ・エドワード・ジュニアは、なかなか大した奴さ。あいつはペンシルベニアの人間としちゃ最初の飛行機乗りになって、シンシナチからシカゴまで飛ぶ郵便パイロットをやっとったんだよ。時にゃ自分ん家の近くの野原に飛行機で乗り付けて、実にさっそうとした若者だった。

だが良いことは続かん。1929年の11月、その年は吹雪が早くにやってきて、奴はそれに巻き込まれて真っ逆さまさ。まだ23の若さだった。マンシーの連中は、「我が町のリンドバーグ」なぞと褒め称えたが、親父さんとお袋さんの落ち込みようときたら、まったく見ちゃおれんかった。

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…というように、会ったこともない遠い国の過去の時代の人のことも居ながらに分かってしまうネットは怖い反面、その視界の広がりには本当に幻惑されます。

今、博物趣味と旅の関わりについて考えていることがあって、時間と空間を超えた旅の物語を、モノ自身に語らせるにはどうしたらいいか?と思案しているのですが、こんなふうにモノを通して過去の1ページを覗き込むのも、ちょっとした旅かもね…と思ったりします。


【参照ページ】
レオラの一家のことは、以下のページの、それぞれ726~27頁と、1076~77頁に出てきます。


歳末風景2016年12月27日 07時01分05秒

「師走は忙しい」という経験則の正しさは今年も証明されて、年末はやっぱり忙しいです。
記事の方は、年賀状を書き上げてから、おもむろに再開の予定。

古暦2016年12月31日 19時43分54秒

年賀状も書き、大掃除も済ませ、さてカレンダーを掛け替えようと思ったら、「そういえば、まだカレンダーを買ってなかったな」と気づき、買いに行ってきました。

何となく買い置きがあったような気がしたのですが、よく考えたら、それは一昨年の年末のことで、自分の頭の中では2年前と今の記憶がごっちゃになっていて、そんなことがあると、自分もいよいよか…と思います。

用済みの暦はそのまま捨ててしまいましたが、一年間世話になった古暦というのは、何となく人間臭さが伴うものです。俳句では歳末・冬の季語。

  引き裂いて鰯包むや古暦   高井几董
  古暦水はくらきを流れけり  久保田万太郎

古暦は過去の象徴として、懐かしくもあり、同時に振り捨ててしまいたいものでもあり、それはちょうど新しい暦が、期待と不安を感じさせるのと対になるものでしょう。

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気前よく鰯を包むのに使われたりする一方で、暦はお上から特に許しを得た版元しか発行できない時代が長かったので、貴重なもの、有難いものという観念も伴っており、昔は古暦を大事にとっておく人が少なからずいました。今でも昔の暦がたくさん残っているのは、そのせいでしょう(和紙が貴重だったということもあるかもしれません)。


上は嘉永二年(1849)の会津暦。
会津暦は会津地方で印刷された地方暦の一種ですが、暦の日付けそのものは、江戸の幕府天文方の暦算に拠っています。(脇に書かれた「江戸暦 鈴木より至〔到〕来」というのは、その辺の事情を何か伝えているのかもしれません。)

この年は酉年で、干支でいうと己酉(きゆう、つちのととり)。
干支は周知のように60年で一回りするので、1849年の次は、1909年、1969年…と来て、来年の次の酉年、すなわち2029年は再び己酉の年になります。前回の酉年のことを思うと、2029年の酉年も、きっとあっという間に訪れることでしょう、

「明治百年」の祝賀行事を記憶する者として、黒船の時代からもう180年か…というのも感慨深いですが、アポロの月着陸から数えてもう60年か…というのは、いっそう驚きです(いずれも12年後の話です)。そして、蒸気船から月ロケットまで、わずか120年で走り抜けた人類の速力にも改めてビックリです。


まあ、何にしてもそれほど遠い昔のことではないのですが、江戸の人はマゲを結って、こんな暦を使って、煤けた家に暮らしていたわけです。

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ときに、暦をめくっていたら、日食の記事があって「おや?」と思いました。
すなわち二月一日の項には、「日そく〔蝕〕九分半 五時三分右の上より欠けはじめ四時甚だしく四時八分左の上におはる」とあります。

Wikipediaを見たら、果たして「1849年2月23日(嘉永2年2月1日)江戸をわずかに外れて金環食が通った」とあって、煤けた家でマゲを結っていても、やっぱり幕末の人は、かなり正確な時の流れの中で生きていたのだなあ…と再び思い直しました。

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…と古暦を見ながら、いろいろ思いにふけっているうちに、いよいよ今年も終わりが近づいてきました。
今年一年、「天文古玩」にお付き合いいただき、ありがとうございました。
来たる年が、どうか皆さんにとって良い年でありますように!


【付記】

なお、上の暦に押された「禁出門 治三郎文庫」の朱印は、印刷業界人にして日本印刷史の研究家でもあった、故・牧治三郎氏(1900-2003)の旧蔵品であることを示し、虫喰い跡のある古暦を丁寧に補修したのも、おそらく同氏の仕事でしょう。