世界は渦巻く2017年05月20日 17時32分12秒



彼は例によってもじゃもじゃの頭を掻きながら、ぼそぼそ呟いた。

「そう、銀河全体のことを考えれば、地球という微粒子上の、さらに小さな一区画で何が起ころうが、あまり大した問題ではないんですよ。」

私が何か言いたそうにするのを見て、彼は続けた。

「ただ問題はね、うなりを上げて旋回する巨大な銀河よりも、コップの中の嵐の方が、コップの中の住人にとっては、はるかに大きな影響を及ぼすってことです。」

(この銀河模型については、http://mononoke.asablo.jp/blog/2010/06/16/5167091 を参照)

「それに―」と、彼はここで少し遠くを見るような目をした。

「このちっぽけなコップでも、そこに含まれる点の数は不可算無限であり、銀河どころか宇宙全体に含まれる点の数とも等しいのですよ。ええ、別に比喩的な意味じゃなしに、あなたが今手にしているコップ、そのコップでも同じことです。コップの中には嵐も吹くし、宇宙全体をすっぽり収めることだってできる。」

「なるほど。たかがコップ、されどコップってわけですか。」

「ええ、コップを侮っちゃいけません。」

   ★

…というようなことを考えたのは、一昨日、天文学史のメーリングリストで、銀河系を相手にした、ある天文学者の政治信条に関する投稿を目にしたからです。

話題の主は20世紀前半に活躍した、オランダのアントン・パンネクーク

その投稿は、「このリストメンバーの中には、興味を持たれる方もおありでしょうから…」という書き出しで、以下のページにリンクを張っていました。

チャオカン・タイ(著)
 「急進左派と銀河系: アントン・パンネクークにおける科学的価値と社会主義的価値との結びつき」 (Left Radicalism and the Milky Way: Connecting the Scientific and Socialist Virtues of Anton Pannekoek)

リンク先には学術論文のアブストラクトが掲載されており、学術関係者ならばその先も読みにいけるはずですが、私が読んだのはアブストラクトだけです。その内容を適当訳すると、

 「アントン・パンネクーク(Anton Pannekoek, 1873-1960)は、有力なマルクス主義者であり、且つ革新的な天文学者だった。本稿では、天の川の見え方や、銀河系内部における恒星の統計学的分布を表現するために、彼が開発した様々な革新的手法を、認識論的価値(epistemic virtues)という枠組みを用いて分析する。それによって、彼の天文学研究が持つユニークな側面が強調されるばかりでなく、そうした側面と、彼が背負っているマルクス主義急進左派という看板との関係も明らかになるだろう。

パンネクークの天文学的手法のきわめて重要な特徴は、天文学者が果たすべき能動的役割だった。天文学者は、天の川の外見的特徴に適合するように、データをまとめ上げる直感的な能力を求められると同時に、個人的経験や銀河系の形状に関する理論的予想の影響を避けねばならなかった。

この手法により、彼はカプタイン宇宙モデル〔我々の銀河系は、直径約 4万光年で、太陽は銀河系の中心近くにあるとする説〕に否定的な結果を導き出し、代わりにハーロー・シャプレーの大銀河系説〔同じく直径約30万光年で、太陽は銀河系の中心から遠く離れているとする説〕を支持する証拠を見つけた、オランダで最初の天文学者となった。 

本稿では、まずパンネクークのマルクス主義哲学を検討し、彼の天文学的手法と史的唯物論に対する解釈は、いずれも人間精神に対する彼独自の理解を、光学的に応用すべく発展させた方略と見なしうることを論じる。」

どうも、これだけだと要領を得ないところもありますが、タイ博士によれば、パンネクークの中では、その研究活動と政治的信条が、密接不可分に結びついていたようです。

   ★

銀河系の研究者といえば、常に広大な宇宙に心を浮遊させて、地上のことなど眼中にないんじゃないか…といえば、決してそんなことはなくて、中には積極的に政治にコミットした人もいました。もちろん、パンネクークのように、それがマルキシズムである必然性はありません。急進右派に向う人もいれば、中道に向う人もいるでしょう。

まあ、別にマルキストでもない「天文古玩」の管理人が、パンネクークを引き合いに出して力み返っても、いささか滑稽な感は否めないんですが、いずれにしても我々は(専門家も素人も)銀河の渦と同時に、コップの中の渦から逃れることはできませんし、両方に等しく関心を持って生きるのが自然ではなかろうかと思います。




コメント

_ S.U ― 2017年05月21日 06時15分52秒

マルクス主義の科学者というのはスターリン政権下のソ連の専売特許と思っていたのですが、オランダにもいたのですね。彼がソ連科学界の影響を受けているかどうかは問題になるところだろうと思いますが、私の手にはあまるので、これは保留にします。論文本体は、arXivページの右枠のDownload: PDF only からゲットできるようです。

 以下、寝言のコメントです。
 私は、マルクス主義は宗教であって科学ではないけれども、その資源環境学とか労働価値論とか、物理的、ダイナミズム的なものの捕らえ方はおおむね正しいと思っています。よく「どこどこが現代の理屈に合わないからマルクス主義は間違っている」という人がいますが、これはちょっと見当違いの批判であって、聖書の記述の一つが科学的に怪しいのでキリスト教が間違っているというようなものでしょう。もちろん、資本主義経済も科学的な宗教であると思います。こちらは、世の中は結局は金で動く、という教義なので、日本の道徳に合わず(おそらく米英でも同じ)、あまり宗教っぽくは受け取られていない、むしろ数理的経済学の装いで糊塗しているということではないかと思います。
 それから、「コップの中の嵐」で思い出したのですが、かつて天気のカオス的決定について、「ニューヨークでチョウが1匹ひらひら飛ぶと(その影響で何週間か何年かのちには)世界の(あるいは東京の)天気が変わる」ということが言われました。これは一種の都市伝説で、天気予報の難しさを表現したものに過ぎませんが、カオスというのは基本的にそういうものだということはよくわかります。政治や経済というものは人間の風評が動かすものであればカオスの部分は消えないでしょう。
 また、ここから大胆に話を進めますと、宇宙を支配している量子力学の法則によりますと、物理的実体は物質波のわずかの位相のずれで決定されたりされなかったりします(量子コンピュータ製作の理論を連想していただければ良いと思いますが)ので、原理的には空気がつながっていなくても、一部のカオスが全体を支配することになっているかもしれません。

 以上敷衍しますと、マルクス主義が天文現象を支配するという現代的議論もできるように思いますが、左翼的知識人においてもそれを手前勝手に個人の粛正に使ったスターリンがあまりに不人気なので今はこんな労をあえて執ろうという人はいないと思います。

_ 玉青 ― 2017年05月21日 21時16分50秒

なるほど、ひとつひとつ腑に落ちますね。
ええ、たしかにそうに違いありません。

>マルクス主義が天文現象を支配するという現代的議論

これぞまさに「君臣朝に乱れ、政令外に欠くれば則ち上って孛星となる」類の新たな天地照応説かもしれません。漢代の人は、意外にハイパーモダンだったのかも。

_ S.U ― 2017年05月22日 08時42分22秒

>孛星
 近現代の科学の最大の成果はエネルギー不滅の法則と反物質の発見とそれらを考慮に入れた物質粒子の不滅であると思うのですが、それによると経世済民の矛盾とそれを憤る民衆の感情が孛星に凝結するというのは弁証法にかなった説であり、いっぽう、ただいたずらに遠方空間から彗星物質が太陽近傍に無制限に落下してくるというのは排斥すべきブルジョワ思想かもしれません。

 寝言同士の会話も幼い兄弟姉妹ならかわいいのですが、我々では、ちょっとですな・・・

_ 玉青 ― 2017年05月23日 06時43分17秒

あはは。そうですね、そろそろ白々明けとなって参りましたので、寝言の応酬はまた別の夜に…

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