アルカーナ2019年08月24日 18時10分51秒

家の改修やら何やらゴタゴタしているので、ブログの方はしばらく開店休業です。
そうしている間にも、いろいろコメントをいただき、嬉しく楽しく読ませていただいています。どうもありがとうございます。

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しかし、身辺に限らず、世間はどうもゴタついていますね。

私が尊敬する人たちは、人間に決して絶望することがありませんでした。
これは別に、偉人伝中のエライ人だからそうというわけではなくて、どんなに醜悪な世の中にも善き人はいるし、どんなに醜悪な人間の中にも善き部分はある…という、至極当たり前のことを常に忘れなかったからでしょう。(その逆に、どんなに善い世の中、どんなに善い人であっても、醜悪な部分は必ずあると思います。)

私も先人のあとを慕って、絶望はしません。
まあ、絶望はしませんが、でもゲンナリすることはあります。
醜悪なものを、こう立て続けに見せられては、それもやむなしです。
それに、このごろは<悪>の深みもなく、単に醜にして愚という振る舞いも多いので…とか何とか言っていると、徐々に言行不一致になってくるので、この辺で沈黙せねば。

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本棚の隅にいる一人の「賢者」。
彼が本当に賢者なのか、あるいは狂者なのかは分かりません。突き詰めるとあまり差がないとも言えます。今のような時代は、こういう人の横顔を眺めて、いろいろ沈思することが大切ではないか…と思います。

その人は、医師にして化学者、錬金術師でもあったパラケルスス(1493-1541)

写真に写っているのは、オーストリアのフィラッハ市が1941年、パラケルススの没後400年を記念して鋳造した、小さな金属製プラーク(銘鈑)です。フィラッハは、パラケルススが少年時代を過ごした町であり、郷土の偉人をたたえる目的で制作したのでしょう。

上の写真は、プラークを先に見つけて、あとからちょうどいいサイズの額に入れました。どうです、なかなか好いでしょう。

(プラークの裏面。購入時の商品写真の流用)

(仰ぎ見るパラケルスス)

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本棚ではたまたまユングの本と並んでいますが、ユングにはずばり『パラケルスス論』という著作があります。

(榎木真吉・訳、『パラケルスス論』、みすず書房、1992)

原著は1942年に出ており、内容は前年の1941年、すなわち手元のプラークが制作されたのと同年に、やっぱりパラケルススの没後400年を記念して、ユングがスイスで行った2つの講演(「医師としてのパラケルスス」と「精神現象としてのパラケルスス」)を元に書き下ろしたものです。

しかし、本書を通読しても、ユングの言っていることは寸毫も分かりません。
したがって、パラケルススその人のこともさっぱりです。

 「パラケルススは、〈アーレス〉に、≪メルジーネ的≫(melosinicum)という属性を与えています。ということは、このメルジーネは疑いもなく、水の領域に、≪ニンフたちの世界≫(nymphididica natura)に、属しているわけですから、≪メルジーネ的≫という属性に伴って、それ自体が精神的な概念である〈アーレス〉には、水の性格が持ち込まれたことになります。このことが示唆しているのは、その場合、〈アーレス〉とは、下界の密度の高い領域に属するものであり、何らかの形で、身体ときわめて密接な関係にあるということです。その結果として、かかる〈アーレス〉は、〈アクアステル〉と近接させられ、概念の上では、もはや両者は、ほとんど見分けがつかなくなってしまうのです。」
(上掲書 p.132)

私が蒙昧なのは認めるにしても、全編こんな調子では、分れという方が無理でしょう。
しかし、こうして謎めいた言葉の森を経めぐることそれ自体が、濁り多き俗世の解毒剤となるのです。そして、私が安易に世界に対して閉塞感を感じたとしても、実際の世界はそんなに簡単に閉塞するほどちっぽけなものではないことを、過去の賢者は教えてくれるのです。

ケミカル蛍狩り2019年08月14日 19時03分00秒

蛍狩りの時期はとうに過ぎましたが、棚の隅からこんなものを見つけたので、暑中に涼を求めることにします。


幅14.5センチの箱に書かれた文字は「蛍光物質」

「昭和40年 理振法」のラベルが貼られた、半世紀余り前の理科教材です。
今も甲府盆地の中央に立つ笛南中学校が、開校と同時に購入したもので、さすがに教材としては使用に堪えないので、廃棄されたのでしょう。メーカーは内田洋行科学教材部で、「Kent」はそのブランド名。


ぱかっと開けると、中に管瓶が5本並んでいます。
この赤ん坊の人差し指ほどの、ちっちゃな瓶に紫外線を照射すると、



…といった感じで、涼やかな化学の蛍を楽しめるのですが、でも、今も元気なのは、左の2本の「有機蛍光塗料」だけです。


真ん中の瓶は「石油」で、石油が蛍光物質とは知りませんでしたが、石油は可視光線を受けて暗緑色の蛍光を発するとあります。今では完全に揮発して、石油は影も形もありません。ただコルク栓に塗られた塗料が、鮮やかな蛍光を発するばかりです。

右側の2本は「ハロゲン化物」「炭酸カルシウム」で、紫外線を浴びると、オレンジやら何やらの光を放つはずですが、今はその能力を失い、単なる“白い粉”として、紫外線LEDの光で青っぽく見えているだけです。

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50年もたてば、「蛍雪の功」も、自ずと空しくなるのもやむを得ません。
古い理科教材を前に、わが身を省みつつ、まあそんなことも含めての「涼」ですね、これは。

石は物語を聴く2019年06月02日 07時45分18秒

人が石の物語に耳を澄ます一方、石の方も人の物語に耳を澄ませています。
そして石はそっと聞き取った物語を、再び人に語って聞かせてくれるのです。

これは比喩的な意味ではありません。実際、そうやって人と石が盛んにやりとりをしていた時期があります。


鉱石ラジオで用いられた、検波用鉱石各種(1920年代、アメリカ)。

空中をゆく電波は、アンテナによって微弱な高周波電流となりますが、それを物語として聞き取るには、さらに検波器を通してやる必要があります(それによって、高周波電流の中に埋もれている、音声に対応した低周波成分を取り出すのです)。



缶のデザインがなかなかいいですね。
この3~4cmの小さなブリキ缶の中に、さらに小さな鉱石が入っていて、当時の人はその表面を熱心にさぐり針で探りながら、検波に励んでいたわけです。


これは紙箱入り。中の鉱石は本当に小さくて、小指の爪の半分ほどです。


こちらのマイティ・アトム印のワイヤレスクリスタルは、ピンセット付き。
扱いに便利なのと、手の脂がつくのを嫌ったのでしょう。

商用販売された検波用鉱石の正体は、たいてい方鉛鉱で、上のもそうですが、小林健二氏の『ぼくらの鉱石ラジオ』(筑摩書房)によれば、検波に使える(整流作用を持つ)鉱物はほかにもいろいろあって、黄鉄鉱、紅亜鉛鉱、斑銅鉱、黄銅鉱、輝水鉛鉱、磁硫鉄鉱…etc.さまざまな名前が挙がっています。

どうやらこの惑星では、いろんな鉱物が、あちこちで聞き耳を立てているみたいです。中には宇宙からの声に気付いた石もあるでしょう。

究極のコレクション2019年01月23日 14時26分49秒

新年から張り切って記事を書いてきましたが、仕事が突沸するとどうしようもありません。人間が生きていくことは辛く、大変なことです。

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さて、世にコレクターと称される人は多く、そのコレクションの対象もさまざまです。
その中で、究極と言えるのは、なんといっても「宇宙のコレクション」でしょう。より正確に言えば「宇宙の構成材料のコレクション」、すなわち元素のコレクションです。こんなにファンダメンタルな蒐集はありません。何せ、他のコレクションは全てここに由来するのですから。

元素のコレクションとは何か?
たとえば、科学雑誌「ニュートン」のバックナンバーを引っくり返すと、こんな広告が載っています。

(2017年10月号)

常温常圧で恒常性があり、放射能や毒性がなく、手元に置いても安全なもの…という制限はありますが、そうした条件を満たす元素単体を瓶詰めにして、ずらっと並べて楽しもうという趣旨の商品です(お値段54万円というのが衝撃)。

たぶん関心のない人には、どこが面白いのか、さっぱり分からない趣向だろうと思うんですが、世間には元素コレクターという存在が確かにいて、みなコレクションの形成にせっせと余念がありません。(その証拠に、英語版Wikipediaには、「Element collecting」の項目がしっかりあります。)

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私自身は、別に元素マニアではないのですが、理科趣味に絡む、この「究極のコレクション」に食指が動くのは当然で、何十万円も支払う力はありませんが、もうちょっとリーズナブルな品がないかなあ…と、しばらく画策を続けました。

その結果、手元に呼び寄せたのがこれです。


黒いレザー貼りの箱をぱかっと開けると、元素サンプルがずらり。


箱の中には全50種がセットされており、下に出てくる追加16種セットと合わせて、合計66種の標本が、手元にあります。残念ながら、周期表とパラレルな配列にはなっていませんが、それでも宇宙の部品を一望するのは、辛い人生をいっとき忘れ、神様になったような気分がして、なかなか愉快です。




おなじみの金・銀・銅



ささやかな線条状プラチナに、リボン状のマグネシウム


妖しく輝くバナジウム(ただし青緑は酸化被膜の色)に…


真っ黒いのは、もちろん炭素です。


さらにこちらは、取り扱い注意の元素16種セット。
その多くは水と反応するのを防ぐため、油浸されています。


比重が小さいため、金属のくせに瓶の中でぷかぷか浮いているリチウム


20世紀最初の年、1901年に単離された、ヨーロッパを名に負うユウロピウム

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元素の中には、ばんばん放射線を出して危なかったり、目に見えないガス体だったりして、こんな風に眺めて楽しむことのできない元素もたくさんあるので、真の神様への道のりはなかなか遠いです。

でも、仮にそれらを全て手元に揃えることができたとしても、通常の物質以外に、ダークマターとか、ダークエネルギーとか、この宇宙には未知の存在がいろいろあるので、人類の「宇宙のコレクション」には、欠けたピースが依然としてたくさんあります。まあ、だからこそ人類の夢も当分続くわけで、それはそれで良いことだと思います。

元素早見盤2019年01月16日 07時15分10秒

周期表に関連して、ちょっと変わった品が手元にあります。


この品を正確に何と呼ぶべきかは分かりません。
でも、星座早見盤と同じぐらいのサイズ(直径は20.5cm)で、くるくる回して使うところも似ているので、「元素早見盤」と呼ぶのが、いちばんしっくり来ます。
1970年代にソ連で作られたものと聞きました(売ってくれたのはウクライナの人です)。


寄ってみると、「Au」はもちろん元素名で(“ЭЛЕМЕНТ”は“ELEMENT”ですね)、その下の「196.96」から順番に、原子量、原子価、密度、融点、沸点、原子番号…云々とデータが続いています。


こちらが裏面。
ざっくり言って、表面が元素の基本的諸元を載せているのに対して、裏面は各元素のイオン化傾向とか化学結合に関連するデータ一覧を表示しているのだと思いますが、詳しいことは不明。まあ、あまり血眼になる必要もないので、ここでは「こんな珍品があるよ」という紹介にとどめておきます。

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メンデレーエフの故国から飛来した円盤。
無骨さと同時に、その色使いには素朴な愛らしさが漂っています。そしてキリル文字から来る印象もあずかって、総じて共産圏テイストというか、往時の「ソ連科学」の匂いをそこに感じます。

周期表の世界に分け入る2019年01月14日 08時15分26秒

ある人が言いました。
「人間って、そんなに単純なもんじゃないよ。」
おっしゃる通り。
人間は、ある側面でスパッときれいに割り切れる存在ではありません。

別の人が言いました。
「原子だって、そんなに単純なもんじゃないよ。」
そう、原子もまた複雑なのです。

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周期表のことを分からない、分からないと言いながらも、あれから自助努力により、だいぶ「知の進化」を遂げました。「男子三日会わざれば…」というやつです。と言って、別にたいしたことをしたわけではなくて、「高校化学の基礎」という類のサイトを見て回っただけです。それでも、周期表について、だいぶ見通しが良くなりました。

その上で、周期表を見直してみます。

元素を原子量の順番に並べてみたら、そこに明瞭な規則性(=化学的性質の類似)が浮かび上がった…というのが、メンデレーエフの慧眼であり、周期表の手柄でしたが、なかなかどうして、それだけでは割り切れない部分が残ります。つまり、その「明瞭な規則性」には例外もいろいろあって、原子から構成される各元素は、原子量では割り切れない「ワケあり」の事情をいろいろ抱えているのでした。

たとえば、周期表の中央部、一等地を占拠している遷移元素たち。そして謎のアクチノイドランタノイド集団。あるいは表の冒頭に置かれた水素ヘリウム。これらはすべて全体の和を乱す曲者です。そして曲者がこんなに多くては、「周期表」の名が泣こうというものです。

ただ、そうした不規則性こそ、各元素の「ワケあり」の部分で、さらに一歩立ち入って、元素たちに自らの内情(原子構造)を語ってもらえば、「なるほど、それならやむを得ないね」と、その道の専門家なら納得が行くらしいです。不規則には不規則なりの理屈と言い分があるのです。

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 「でもさあ、それにしたって今の周期表は、あちこち継ぎはぎだらけで、スマートじゃないよね。もうちょっとどうにかならんかなあ」…と考えるのが賢人。そのため、周期表には昔からいろいろな代案がありました。その試みの一端を、以下のブログ記事で拝読しました。

■Chem-Station(ケムステ)  周期表の形はこれでいいのか?
 -その1:HとHeの位置編-
 -その2:ブロックの位置編-

記事中、「ジャネット周期表」というものが紹介されています。

これは今の周期表にひと手間加えて、そのいびつな形を、きれいな階段型に整形したものです。詳細は元記事をご覧いただきたいですが、ジャネット周期表自体は、1930年ごろにさかのぼる、かなり長い歴史を持つもので、その外観と作表原理は非常に洗練されていますが、同時に短所もあって、従来型周期表にとって代われないのは、そのデメリットがメリットを上回るからのようです。(縦の「族」はいいとしても、横の「周期」に新たな乱れを生じ、周期律の味わいを損ねるらしい。)

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さて、ここまでが長大な前置き。
ここまで調べて、ようやく手元にある品の正体が分かった…というのが話の眼目です。

(高さ約15cm)

(バラすと大小8枚の円盤に分かれます)

私の机の上には、5年前から「円柱型周期表」(Periodic Round Table)というのが、ずっと置かれています。モノとしては、同名のPeriodic Round Table社(米・バーモント)が1990年代に発売したものですが、これが一体何なのか、ずっと謎でした。でも、やっと胸のつかえが下りました。

(この表では、1974年に発見されたシーボーギウム(Sg、原子番号106)以降は、空欄になっています。また1970年に発見されたドブニウム(Db、原子番号105)は、当初アメリカが提唱したハーニウム(Ha)と記載されています。)

付属のパンフレットには、その基礎となる変形周期表が載っていますが、これは「ジャネット周期表」そのものです。そして、これを周期ごとに筒状に丸めて、円盤状にスライスしたのが、手元の「円柱型周期表」というわけです。まあ、そのことはパンフレットを見れば分かるのですが、その背景となる考えが皆目分からなかったので、結局正体不明のオブジェのままでした。


今では、この円盤ピラミッドの垂直方向の連なりが「族」に相当し、互いに似た化学的性質を示すことが、明瞭に分かります。さらに「知の進化」のおかげで、円盤の隅っこに書かれた「1s、2s…、2p、3p…、3d、4d…」の記号が、基底状態における各原子の最もエネルギー準位の高い電子軌道を指しており、化学結合する場合はここに電子が滑り込むのだ…といった、3日前の私にとっては、手ごわい事実も理解できるようになりました。

(この方向で重ねると、「族」がそろいます)

パンフレットの最後に、メリーランド大学で物理学を教えているジョセフ・サッチャー先生(Joseph Sucher)という人が、推薦の辞を寄せているので、適当訳しておきます。

 「もしメンデレーエフが生き返ったら、彼はこの『円柱型周期表』を見て、きっと喜ぶに違いない。この素晴らしい発明品は、地球儀と同じぐらい私室や書斎に似つかわしい。これを使えば、原子の電子的構造を、見慣れた周期表よりも一層ダイレクトに知ることができる。この品は、子供たちの好奇心を呼び覚ます教育玩具としても、また科学者のための優れた精神安定剤としても役立つだろう。」

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所詮は、焼き印を押した木切れに過ぎないとはいえ、その意味するところは、なかなか深遠です。さあ、私も今こそ周期表の世界に分け入る準備が整ったようです(三日漬けのくせに、だいぶ増長していますね。でも所詮は三日坊主でしょう)。


メンデレーエフ切手(その2)2019年01月12日 08時16分38秒

昨日のおまけ。
メンデレーエフは何せ国民的偉人ですから、ロシア(旧ソ連)では記念切手が繰り返し出ています。下は生誕150年を祝って、1984年に出た切手を使った初日カバー。

【訂正】 見直したら、これはソ連ではなく、ブルガリアの切手でした。したがって、オレンジ刷りの「CT13」の文字は、「額面13ストティンキ」の意味。たぶん同じ共産圏のよしみで、ソ連に迎合したのでしょう。


封筒の左下は、昨日も登場したメンデレーエフのオリジナル周期表です。


色も図柄もグラフィックで、カッコいい切手ですね。

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こうしてメンデレーエフを偲びつつ、1969年、1984年を経て、今や2019年に。
歴史というのは、こんなふうに一人の人間が生きている間にも、容赦なく歩を進め、変化していくものなのですね。

思えば、往時の帝政ロシアはソ連によって倒され、そのソ連もあっけなく倒れて、今や共和制ロシアの時代なのですから、泉下のメンデレーエフも、その転変に目を白黒させていることでしょう。(でも非凡な彼のことですから、ひょっとしたら、この複雑な歴史のパズルを解き終わって、今ごろ「歴史の周期性」をあの世で喧伝しているかもしれません。)

元素のクロスワードの150年2019年01月11日 19時31分38秒

この前新聞を見ていたら、今年は「国際周期表年」だという記事が載っていました。ドミトリ・メンデレーエフ(1834~1907)が周期表を発表したのが1869年で、今年は「周期表誕生150周年」に当たるのを記念して、ユネスコが決めたのだそうです。

ここで、手っ取り早くウィキペディアの周期表の説明を見てみます。

一読して、これを理解できる人は幸せです。
残念ながら、私は三読しても十分に理解できませんでした。

これはいったいどうしたわけか? 文系出身であるにしても、私だって高校で「化学Ⅰ」を習ったし、理科趣味を標榜するぐらいには、科学に親しんでいるのです。それなのに、生まれてから150年も経つ周期表のことが、さっぱり分からないというのは、人類の知の進化に、いささか疑念を抱かせる事態ではありますまいか?

(ウィキペディア掲載の周期表)

…と、手前勝手な愚痴が出かかりましたが、そんなことはありません。

こんな愚昧な私の目にも、周期表は十分に美しく映ります。何せ、このシンプルな表の中に、物質のふるまいの法則性――いわば化学のエッセンス――が凝縮されているのですから。これは「E=mc2」なんかと並んで、少数のことばで宇宙の成り立ちを表現することに成功した、人類にとって記念碑的業績であり、やっぱり人類の知の進化は偉大です。

そして、周期表の面白さは、それがアインシュタインのような異能者の卓越した才ではなく、どちらかといえば、日曜クロスワードパズル的な頓智の才によって導かれたということです(こう言ったからといって、メンデレーエフの才覚を貶めることにはならないでしょう)。「ひょっとしてオレにも…」と、人を前向きな気持ちにさせるところが、周期表の良さでもあります。

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上は1969年、周期表の誕生100周年を記念して、メンデレーエフの故国ロシア(旧ソ連)で発行された初日カバー(…というのは、記念切手の発行を祝して、記念切手と記念封筒、それに発行初日の記念消印をセットにした郵趣アイテムです)。


パズルを解こうと呻吟するメンデレーエフ。


こちらはメンデレーエフによるオリジナルの周期表手稿を取り入れた渋いデザイン。

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それにしても150年というのは、長いような短いような。
上の切手が出た当時、私は幼いながらも、世の中のことを記憶に残せる年齢になっていました。あれからあっという間に50年が経ったのですね。実に感無量です。

この先、さらに200周年を迎えることも、可能性として無くもないですが、まあ元素に還って、天地を自在に往還している可能性の方が高いでしょう。これ以上、個人的な知の進化も望めませんから(むしろ退化ですね)、それもまた良し、です。

ヴィクトリアン・サイエンスの夢2017年09月05日 07時23分18秒

知られざる理系アンティークショップは、まだまだ世界に多いな…と、下の写真を見て思いました。画像検索していて、偶然行き会った写真です。


有名どころの理系アンティーク・ショップは、それぞれ商品構成に特徴がありますが、こんなふうに、古風な電気実験機器をメインにした店は珍しいです。

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…というような想像が、私の脳内を一瞬駆け抜けましたが、その画像元を見に行ったら、これはショップではなくて、博物館のスナップ写真でした。その名も『ヴィクトリアン・サイエンス博物館』

Museum of Victorian Science(公式サイト)

こんな素敵な博物館の存在を今まで知らずにいたのは、私の無知のせいもありますが、そればかりではなく、この場所自体、かなりマイナーな珍スポットに属するという事情もあります。

グーグルマップでその場所を訪ねると、イングランド北部、リーズ北東70kmの草深い地に…



こんな看板がぽつんと出ているだけの施設です。
しかも、公式サイトを見ると、「見学は要予約。できれば数日前に予約されたし。16歳未満は入館禁止〔別の箇所には18歳未満禁止とも〕。質問は電話でのみ受け付けます。」と、相当な偏屈ぶりを匂わせています。

とは言え、トリップアドバイザーの該当ページを見ると、「旅行者の評価」は「とても良い」が45人で、「良い、普通、悪い、とても悪い」は0人。つまり、全員が「とても良い」を付けています。たいていの観光スポットは、「とても良い」「良い」「普通」にばらけるのがふつうですから、これは例外的な好評ぶりと言って良いでしょう。

口コミの冒頭にある、イギリス・インバネスから訪問した某氏のコメント(トリップアドバイザーによる機械翻訳をそのまま転載)。

「ビクトリアの科学博物館を見学します」
「では博物館は信じられないを訪れになりました。ありがとう!" 私たちはマルコーニでは、スライド、大砲は気に入りました!! ほぼ 2 つの砲弾獲れた! ウィムズハーストマシン素晴らしかったですthe 、私たちのお気に入りは、フランケンシュタインフィナーレでした!は、紅茶、ビスケットに感謝します。もよかったです。 私達は、本当に私たちはまた来ることができますここは私たちが今までに行ったことが今まで最高の博物館だったのでいつか行きたいです!もあり、科学に興味をお持ちでない場合は、この場所ととても魅力的であるがとても気に入りました。もします。 科学博物館の裏手にある歴史的背景もありとても気に入りました。 本当にありがとうございましたまた泊まりたいです!!!!!」

不思議な日本語はさておき、そのびっくりマークの多さに、某氏の感動と興奮がダイレクトに感じられます。

全体として、館長の個性が前面に出た、いかにもアクの強い個人博物館…といった趣です。そこにこそ、得も言われぬ面白さがあり、衝撃があるのでしょう。


さあ、あなたも“現代のフランケンシュタイン博士”、素敵な館長トニーの案内で、夢多きヴィクトリアン・サイエンスの世界へ!!!!!!

天と地にアークトゥルスが輝く夜2017年05月23日 06時43分33秒

春は北斗の季節。

北斗の柄杓の柄が描くゆるいカーブを、そのままぐっと延長すると、ちょうど北斗と同じぐらいの間を置いて、うしかい座のアークトゥルスに到達し、さらにその先にはおとめ座のスピカが明るく輝いています。この空を横切る雄大なカーブが、いわゆる「春の大曲線」

アークトゥルスは、日本では「麦星(むぎぼし)」の名でも知られます。
これは野尻抱影が、一時熱心に取り組んだ星の和名採集の成果で、当の抱影も、知人に教えてもらうまで、「麦星」のことはまるで知らずにいましたが、彼はこの名を耳にするや、いたく感動したようです。

 「わたしはこれを季節感の濃やかないい名だと思った。麦生の岡に夕ひばりが鳴き、農夫が家路につくころ、東北の中空で華やかな金じきに輝き出るこの星を表わして、遺憾がないし、麦の赤らんだ色にも通じていると思った。」 (野尻抱影、『日本の星』、中公文庫p.51)

たしかに、農事の土の匂いとともに、可憐な美しさをたたえた良い名前で、スピカの「真珠星」とともに、これぞ抱影のGJ(グッジョブ)。

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ところで、「アークトゥルス」の名を負ったモノで、土の匂いとはおよそ対照的な、硬質なカッコよさを感じさせる逸品があります。

それがアメリカで、1920年代後半~40年代初頭まで操業していた真空管メーカー「アークトゥルス」と、その製品群です。(ただし、真空管ファンは「アークチューラス」の呼び名を好むようなので、真空管を指すときは、ここでも「アークチューラス」と呼ぶことにします。)


単に真空管というだけでも十分カッコいいのに、この天文ドームと星々のイメージデザインは、何だかカッコよすぎる気がします。


しかも、上のアークチューラスは「ふつうの真空管」ですが、同社が真空管ファンの間で有名なのは、青いガラスを使った「ブルーバルブ」(バルブとは真空管のこと)の製造を手がけていたことです。

こうなるとカッコよすぎる上にもカッコよすぎる話で、いい歳をした大人が「カッコイイ」を連発するのは、あまりカッコよくないと思いますが、そんな反省をする暇もないほどです。

もちろん手元にはブルーバルブもしっかりホールドしていますが、それはまた別の機会に登場させます。