ジョン・ハーシェルの手蹟2006年11月10日 20時19分38秒


一昨日のつづきです。こちらは息子にあたる、ジョン・ハーシェル(1792-1871)の自筆書簡。

「謹啓 お申し越しの意に沿い、亡父ウィリアム・ハーシェルの手になる紙片を同封いたしますので御笑覧ください云々」

…というような内容だろうと思うのですが、達筆すぎて読めません。昔の人は字がうまいですね。引き換え、海外から品物が届いたときなど「最近の人は、なんて字が××なんだ!」と、思わず叫ぶこともありますが、まあ、その辺は洋の東西を問わず一緒ですね。

ジョン・ハーシェルは、天文学の、さらには広く科学界の巨人として君臨した人物です。(詳しくは日本ハーシェル協会のサイト「ハーシェルたちの肖像」を参照してください。 http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/herschel/portrait-j.html

この手紙の差出日は「コリングウッド、1865年2月3日」となっています。

コリングウッドは、ロンドンの南東、ケント州にあったハーシェル家の広壮な邸宅の名です。父ウィリアムが死去してすでに40年余り経ち、息子ジョンも70歳を超えた頃合。窓の外は寒々とした冬ざれの景色。この手紙を書きながら、ジョンの胸中に去来したものは何か、いろいろ想像が浮かびます。

* * * * *

さて、先にお知らせしたように、明日、明後日は日本ハーシェル協会の年会に出席のため留守にしますので、ブログもお休みにします。

東大総合研究博物館 「驚異の部屋」 展のことなど2006年11月12日 21時08分42秒

↑ 東京大学総合研究博物館・小石川分館(旧東京医学校本館)

昨日はハーシェル協会の年会に出る前に、東大の総合研究博物館(本郷)とその小石川分館をはしごしました。現在、前者では「Systema Naturae -標本は語る」他、後者では「驚異の部屋 -The Chambers of Curiosities」展が開かれています。

●同博物館サイトより<現在の展示>を参照してください。
 http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/index_present.html

いずれも東大所蔵の学術標本(中にはずいぶん古いものも含まれます)が大量にディスプレイされ、理科室趣味の徒にとっては陶然となる空間です。

特に小石川はよかったです。

冷たい雨がしとしと降る日で、庭園の池には無数の波紋ができては消えていました。落ち葉でつまった雨どいから雨水がチョロチョロこぼれ落ちる脇を通って館内へ。

館内はしんと静まりかえり、入り口にも入館者ノートが置いてあるだけで、係の人もいません。

雨の音を聞きながら、ゆっくりと1時間ほどかけて館内を回りましたが、最初から最後まで、本当に観覧者は私一人だけでした。途中、「よくいらっしゃいました」と職員さんが窓ガラスを拭きに来られましたが、行き会ったのはその方だけです。「撮影もどうぞご自由に」という大らかさ。何か奇跡のような、本当にぜいたくな時間でした。


鉱石、貝、人体模型、骨格、壜詰め標本、古い版画、古風な机とキャビネット、真鍮製の顕微鏡と望遠鏡。館内に漂う微妙な標本の匂い。本当に夢のような空間です。

そのあとで見た本郷の本館の方は、展示内容はともかく、「空間の豊かさ」という点では小石川には及びませんでした。

しかし、しかしですよ。そこでなんとトコさんにばったり会って、初対面のあいさつを交わしました。考えてみれば、尋常でない経験ですね。これは偶然か必然か、いずれにしろ大いに不可思議な思いがしています。

東大 「驚異の部屋」 展のことなど…展示風景(1)2006年11月12日 21時27分51秒

タイトルどおり展示風景です。

フラッシュをたいたので、ちょっと画面が平板です。実際はもっと深みのある空間です。

東大 「驚異の部屋」 展のことなど…展示風景(2)2006年11月13日 20時50分15秒

今日も2連投です。

写真は、今回いちばん気に入ったスペースです。

小石川のこの博物館は、明治期の学校建築を改造したもので、元々あった大小さまざまな部屋を陳列室に転用しているのですが、その中でも小ぶりな部屋に、重厚なデスクと、たくさん抽斗のあるチェストやキャビネットを配し、巨大な化石骨やら何やらを並べてありました。

写真でも分かる通り、個々の陳列物には全然説明がなく(たまにあるものもありますが)、一見無造作に「モノ」が並んでいる様子がとても心地よかったです。個々の標本ではなく、それらが並ぶ空間そのものを鑑賞してくれ、というコンセプトなのでしょう。

高い位置に掛かった博物画も良い味を出しています。

いかにも「博士の部屋」という雰囲気。

東大 「驚異の部屋」 展のことなど…展示風景(3)2006年11月13日 20時54分59秒

理科室趣味の定番、壜づめの液浸標本です。
その下には、ボロボロに朽ちかけたエビ、カニ類の甲殻標本が並びます。

これぞ理科室。まさに理科室。どこから見ても理科室です。

東大 「驚異の部屋」 展のことなど…展示風景(4)2006年11月14日 06時09分14秒

ナマ物が続いたので、無機質なものも載せておきます。

写真はフラッシュをたいたので明るくみえますが、実際には照度をぐっと落とした、ほの暗い部屋の片隅の展示風景です。

望遠鏡、六分儀、顕微鏡、分光器…etc, の光学機器が静かに並び、窓の向こうの雨に濡れた緑との対照が鮮やかでした。

最近、この手のものを自嘲気味に「学術廃棄物」と言ったりするようですが、鈍く光る、古びた真鍮の色合いには、モノとしての圧倒的な存在感があります。かつての「科学する心」の魂が、まだ辺りに漂っているようです。

理系アンティークは、日本ではまだ市場が成熟していませんが、海外では専門の業者も多く、「げに、さもあるべし」と、こうした品々を見ると思います。

  ☆  ★

さて、同展のことはこれで終わりにしますが、お近くの方はぜひ直接ご覧ください。
(開館日を今一度ご確認ください。http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2006chamber.html

企画展 「星空にあこがれて ― プラネタリウムと天体望遠鏡」2006年11月15日 22時33分39秒


展覧会と言えば、今年の夏休みに、町田市立博物館でこんな展覧会がありました。
(以前、Akiyan さんにコメント欄でお知らせいただいた展覧会です。)

残念ながら、オフィシャルサイトのリンクは既に切れているようですが、先日、Nさんにパンフレットを頂戴し、改めてその内容の充実ぶりに驚いています。今となっては、まさに「釣り逃がした魚」ですが、こうしたクラシックな天文趣味に焦点を当てた企画は、また是非どこかで企画してほしいものです。

★パンフの被写体は、
 左:五藤光学製M-1型プラネタリウム(1959)
 右:ウイリアム・モギー社製10cm屈折望遠鏡(大正時代)

企画展 「星空にあこがれて ― プラネタリウムと天体望遠鏡」(2)2006年11月16日 06時07分10秒


さらにパンフレットより一部転載。

★中央:10センチ屈折(既出)
 左:中村要(なかむらかなめ)製屈折(昭和初期)
 右:オルバン・クラーク製12.5センチ屈折(大正時代)。

例えばアメリカあたりの人だと、真鍮製鏡筒はあくまでも金色にピカピカ光っているのが好きなので、メンテナンスに細心の注意を払って、場合によってはラッカーを塗り替えたり、いろいろ苦心しますが、日本人は古色好きなので、こういう煤けた風情にいっそう強く心惹かれるようです(あくまでも平均的な感性としてですが)。

たとえ理科趣味といえど、決してカルチャーフリーではない―というのは、考えてみれば当たり前の話ですが、つい忘れがちな点でもあります(それで頓珍漢な誤解をしたりすることもあります)。

企画展「星空にあこがれて―プラネタリウムと天体望遠鏡」(3)2006年11月17日 20時43分30秒


Akiyan さんに「驚愕の逸品ぞろい」「まさに弩級」とまで言われると、ぜひ見たかったという方も多いと思うので(私も見たかった口ですが…)、渇を癒すために出品リストだけでもご覧ください。

我が家のOCRソフトはあまり賢くないので、文字データにするのはやめて、とりあえずスキャンした画像データ(約0.4MB)を掲げておきます。(http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/machida2006/

上の写真は、同展パンフより併催の「特別企画・野尻抱影の世界」の紹介頁です。小さすぎて何がなんやら分からないと思いますが、翁のスケッチ、短冊、色紙、自筆原稿、初期の著作、愛用品等の写真が載っています。

ステレオ写真…「天文学の授業」2006年11月18日 19時57分06秒


この前アメリカから届いた、「Lecuture on Astronomy」と題したステレオ写真。
向かって右側の写真を拡大してみました。

メーカー名は不詳ですが、「Popular Series」と余白に印刷されています。
時代はほぼ確実に19世紀のものでしょう。

コミカルな場面に、こういうラッパ型の望遠鏡が登場するのを前にも見た記憶がありますが、それにしてもどこからこんな珍妙な望遠鏡のイコンが生れたんでしょうか? 現実にこんな形の望遠鏡が使われたとは思えませんが…。

先生役の子どもの装束や、擬人化された月や星を描いた掛図も気になります。

もちろん、作り手自身、これが戯画化された表現であることは百も承知だったでしょうが、それでも天文学というと、何か魔法めいた連想の働く時代が、19世紀後半まで長く続いたことを証しているようです。