暦のはなし(5)…文明開化の世なれども2009年01月07日 07時10分08秒

さて、徳川幕府が瓦解し、時代は明治。
写真は明治4年(1871)の暦です。(一瞬「‘未頒暦’って何じゃ」と思いますが、これは「明治4年、辛未の年」に頒布された暦ですね。)

お伊勢さんも大経師も消えて、「大学暦局」と大書されています。さすがは開化の世…とは、しかし、全然思えません。暦自体は江戸時代と全く変わりません。恵方や吉凶の情報がびっしりと書かれています。かつては、官が自らこんな暦を作ってたんですねえ。

  ★

そういえば、以前、上野の博物館にある「トロートン望遠鏡」の来歴を調べる過程で、こんな↓表を作ったことがありました。

■東京天文台:明治前期の歩み
 http://www.ne.jp/asahi/mononoke/ttnd/tokyo_observatory/table

これによると、明治3年(1870)2月に、天文暦道局の大学(現在の東大)所属が決まり、同年8月には天文暦道局が「星学局」と改称されたとあります。

写真では見にくいのですが、「大学暦局」の左下の朱印には、確かに「八月二十五日/改称星学局」と刻されています。これは明治4年の暦ですから、作られたのは当然明治3年で、ちょうど編暦業務をどうするか、新政府がバタバタしていた頃の品ですね。8月以前から来年の暦作りを始め、急に局名が変更となったので、慌てて訂正印をポンポン押した…のでしょう、きっと。

そして同年閏10月には、本格的な新天文台建設のために、巨費を投じてトロートン望遠鏡を購入する計画がスタートしました。

それまでと全く次元の異なる新技術の導入を計画するいっぽうで、足元は旧時代をそのまま引きずっているという、その落差がすさまじく感じられます。

コメント

_ S.U ― 2009年01月08日 05時38分10秒

玉青様、

>暦自体は江戸時代と全く変わりません。恵方や吉凶の情報がびっしりと書かれています。かつては、官が自らこんな暦を作ってたんですねえ。
 
 面白いですね。ところで、江戸期も明治も、民間が暦を勝手に発行することはご制禁だったと思いますが、明治初頭ではそれはどれほど厳しく取り締まられていたのでしょうか。
 もし、民間刊行の暦(いわゆる「お化け暦」)がないなら、大衆の需要に従って官暦にこのような暦注をいれざるを得なかったのかもしれません。また、民間暦が出まわっている場合はそれに対抗するためにはなおさら暦注が必要だったでしょう。頒暦もけっこう「人気とり商売」だったのでは、と想像します。

_ S.U ― 2009年01月08日 05時42分53秒

玉青様、"Wikipedia"でみますと、”いわゆる「お化け暦」”は、太陽暦制定後以降の民間刊行暦に限って、そう呼ぶ習慣のようですので、明治4年はこれに該当しませんので、訂正します。(江戸~明治5年までのものは何と呼ぶのでしょうか)

_ 玉青 ― 2009年01月08日 20時08分07秒

暦のことは全く無知なのですが(←それでも記事に書く厚顔さ)、明治の初め、暦版行の特許料(冥加金)は、歳入として無視できぬ額だった…と聞けば、やはりお上の取り締まりも相当厳しかったんじゃないでしょうか。何と言ってもお金が絡む話ですから。

その後、お化け暦が跋扈した背景には、暦注への大きな需要があったわけですが、「出せば売れる」ことがはっきりしていたのに、その誘惑をストイックに退けたところに、近代国家としての意志を感じます。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック