標本余話2010年07月19日 08時39分26秒

先日、透明標本の記事ではだいぶ煮詰まった感がありますが、あの後で1つ気付いたことがあります。博物趣味全盛の18~19世紀のヨーロッパにおける人々の意識の在りようについてです。彼らは、生物の遺骸を並べたてることに何の矛盾も感じなかったのか?といえば、まさにその通りで、なんとなれば、それは「神の御業(みわざ)を称える立派な行為」に他ならず、良心の呵責の起こりようがなかったからです。

精神分析学や深層心理学において、昔から日本人は超自我(良心)の形成が弱いという論を耳にしますが、それは「絶対神」という核がないだけのことで、実は我々は「瀰漫的にあらゆるものに良心の呵責を感じている」のかもしれません。ですから、「西洋人(←妙に時代がかった言い方ですね)は、神以外のものをおそれない、謙譲と畏怖の念に乏しい人たちだ」と切り返しても、たぶんよかったのでしょう。
(例によって話半分に聞いてください。別に世界は西洋と日本だけで出来ているわけではないし、西洋と日本の内実も多様なので、こういうスパッと割り切った議論は、必ずほころびが出るものです。)

そういえば、先月、日本の昆虫文化に取材したアメリカ映画の話題にも触れました。
アメリカと日本では、虫好きの比率が全然違うこともさることながら、上のことを踏まえ、「アメリカ人は、虫を恐れることはあっても、畏(おそ)れることはない」というテーゼを提出したいと思います。(つまり、アメリカ人にとって、虫は恐怖の対象とはなっても、畏怖・畏敬の対象とはならないということです。)

名和昆虫博物館訪問(2)2010年07月19日 08時42分30秒

暑いですね。
蝉も盛んに鳴いています。

さて、名和昆虫博物館(以下、昆虫館)のゲートをくぐり、中に入ります。
受け付けは5代目館長、名和哲夫氏がみずからされていました。
というよりも、訪問時には他に入館者がいなかったので、名和氏は私の姿を見つけて、「やあ、いらっしゃいませ!」と館内に走り込んで来られたのでした。そして、その足で「クーラーもつけましょうか」と、2階まで駆け上がって行かれたのには恐縮しました。

↑階段を駆けがある名和館長。

もちろん、昆虫館はいつもこんな風に閑散としているわけではなく、今はまさに嵐の前の静けさ。夏休みともなれば、多くの少年少女で大変な活況を呈するという話でした。昆虫館にこだまする子どもたちのにぎやかな声。想像するだけで、昭和のあの時代が思い出されて、ちょっとホロリとします。

階段の途中から見た1階全景。「身近な昆虫」、「世界の奇虫」、「美しくも奇妙な虫たち」…etc.

名和昆虫館の特徴は、生体の展示がほとんどなく、標本がずらりと並んでいることでしょうか。生態学よりも分類学志向ですね。フロアは細かく仕切られ、各コーナーごとにテーマを決めて標本が並んでいます。

2階は標本を使ったクイズコーナーになっています。「世界の珍虫・奇虫  昆虫でないのはどれ?」、「世界の美しいチョウとガ  ガを探せ!!」…etc.

昆虫館の2階から見た記念館。ここでアゲハの棟飾りに気付きました。


左手はオサムシの展示、「歩く宝石」。右手は「タマムシの美」。

瑠璃色に輝く玉虫は、どうも名前からして他人とは思えません。私の好きな虫です。
そういえば、熱心な昆虫少年だった手塚治虫(本名・治)も、その名前からオサムシを好み、小学生の頃から「治虫」というペンネームを使っていたらしい。奇しくもここに並んでいるのを見て、ちょっと嬉しかったです。

                                                           昆虫館を入ってすぐの売店脇に立つ柱。

「唐招提寺 金堂の柱/この円柱は奈良の唐招提寺の金堂に使われていた1200年以上前の桧材で、明治31年(1898年)、ヤマトシロアリの被害による修理の際に廃材となり、大正7年(1918年)当館を建設するにあたって、寄贈されたものです。/当館には3本使用されています。」

わざわざ白蟻被害材を建築に用いたのは、名和昆虫研究所がもともと応用昆虫学、すなわち害虫防除を専門にしていたことを物語っており、この柱自体が貴重な昆虫学の資料となっています。

同じく、ギフチョウコーナーに立つ古材。昔の寺院時代のほぞ穴等がよく観察できます。

こうして館内を一周した後はまた外に出て、次は「昆虫碑」を見に行きます。

(この項つづく)