足穂の里へ(3)2011年09月02日 20時08分30秒

夏を吹き飛ばす台風がやってきました。
台風が去った後には、きっと秋の高い空が広がっていることでしょう。

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経歴にアヤシサのつきまとう利吉ですが、彼が幼い一人娘(足穂の母)を近所に預け、猿を連れて旅回りをしていたのは若いころの話で、足穂が見知った祖父の姿は、あくまでも「入れ歯屋」のそれでした。

「祖父の旅廻りが止されてからは、三十年以上になっていたろう。〔…〕祖父はともかく天井の低い二階を改造して、一人の書生を助手にして、彼のクレオソート臭い店を開いていた。近在からワラジがけで、また対岸の淡路島から舟に乗ってお客がやってくるような仕組で、つまり「入れ歯屋」である。それらのおとくい連は祖父の許に一泊し、午前中に彼らの歯並を取揃えて家路につくならいであった。町の人々はしかし、この入れ歯屋を未だに「猿屋」と呼びならわしていた。曾て真向かいの浄行寺の土塀ぎわに設けられた止り木に、いつも数匹のエテ公が日向ぼっこをしていたことによるらしい。しかし、おしまいまで居残って玄関に繋がれていた「三吉」も、いまは家人の思い出話に上るにすぎなかった。」 (「雪融け」)

足穂がはじめて天文趣味に目を開かれたのも、この漁師町時代にさかのぼる…というのも注目すべき事実です。

「俺の天文学趣味は、あの羊助〔註:利吉の作中での仮名〕の書生の購読していた講義録の挿絵がきっかけだ。竹筒の台ランプの下で、あの晩初めて見て驚嘆したのは太陽の黒点だった。巴形の襞に囲まれた真黒い孔々は、いずれもお日様の肛門のように受取られたものだ。」 (「地球」)



(↑いずれも横山又二郎著・早稲田大学出版部発行 『天文講話(訂正五版)』、明治41より。足穂が見たのがこれかどうかは分かりません。)

彼の機械趣味のルーツについても同様です。
彼は飛行機狂となる以前は自動車に、さらにその前は船舶に強い興味を向けていました。

「明石へ越してからは、波止崎に立って眺める大船・小船がいかほど私を魅了したことだろう。〔…〕ある日、私が色鉛筆で描いた千島丸のおしりの所へ、新規の友が8の字を書きそえた。その8のまんなかから短い柄をつけて、いうのだった。「蒸気にはみんなスコロクというものが付いとる。スコロクがないと船は走らへん。あとで浜へ行って、巡航船のおしりをよく見てみイ」〔…〕友が帰ってから私は裏口を出た。ペンキとチャン〔註:アスファルトの類〕の匂いがしている所に、お尻を海に向けてならんでいる明社丸・天神丸・琴平丸等々において、私は間違いもなく、これらの船のおしりに付いている真鍮製のスコロク、乃至そのスコロクを差し込む孔をみとめたのだった。」 (「明石」)

太陽黒点にも、スコロク(もちろんスクリューのことです)にも、お尻の穴を見て取るところが足穂らしいですが、私もスコロクを見に、足穂旧居の裏手に回ってみました。



今でも船はずらりと並んでいます。が、残念ながらお尻にささったスコロクは見られませんでした。(足穂のころの海岸は砂浜で、船体は岸に引き上げられていたのでしょう。)

(↑船だまりで見かけた「明石丸」。「明社丸」だとなお良かった。)

(この項つづく)