天文古玩趣味とは何ぞや2013年09月27日 20時10分28秒



近頃、どうも天文古玩が、天文古玩らしくない気がします。
それというのも、表看板であるはずの天文系アンティークの出番がいかにも少ない。
別にシガレットのパッケージが悪いと言うのじゃありません。でも、それはどちらかと云えば箸休めの品であるべきで、この頃のように、それが主菜化している現状はいささか考えねばならんのではないか…?

そう思ったのは、toshiさんの最近の記事を拝見したからでした。

泰西古典絵画紀行:仮想展覧会「天界の詩」(1)西洋編
 http://blog.goo.ne.jp/dbaroque/e/6665420d025709ea75fe8c3aa413a9c9

toshiさんは、近世オランダ美術を中心とする本格的な美術コレクターであり、元・天文少年であるとも伺っています。これら2つの興味関心が交錯する領域として、近年は天文モチーフの骨董・古美術の蒐集もされており、その精華が上記の仮想展覧会図録というわけです。

toshiさんの豪華なコレクションに触発されて、改めて「天文古玩趣味とは何ぞや」という点について、私なりに思いを凝らしてみました。

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無限の闇をバックに輝く白銀の、あるいは宝玉の色をたたえた星たち。
人々はいつだってそこに、美や、崇高さや、神秘を感じ取ってきたし、夜空との静謐な対話に言い知れぬ妙味を覚える一群の人たちは、いつの世もいたことでしょう。

天文古玩趣味というのは、そうした「天文趣味の歴史」を回顧しつつ、夜空に向けた古人の驚異のまなざしや、床しい心根を偲ぶところに成立するのだと思います。

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上で「天文趣味の歴史」と云い、あえて「天文学の歴史」と言わなかったのは、「天文趣味」は、時代に応じて濃淡はありながらも、常に科学、宗教、民俗、文学、美術…etcの混淆であり、その歴史は純粋な「天文学史」とは少なからず異なるからです。

もちろんその柱となるのは<科学>には違いありません。
ただ、いつの時代もそうですが、イマジネーションは常に現実の科学の先を行っており(想像力は科学の母だとも言えるでしょう)、古人の天文趣味が示す「科学的相貌」には、そうした空想科学的成分が大量に取り込まれているので、いきおいその歴史はイマジネーションの歴史であり、現代的観点から整理された「天文学史」とは、多くの場合ズレを生じているように思えるのです。その部分だけに注目しても、天文趣味の歴史というのは、それ自体追究するに値する、きわめて興味深い対象だと感じます。

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そうした天文趣味の歴史に、主にモノを通じてアプローチするのが、私が謂うところの「天文古玩趣味」です。

なぜモノにこだわるか?といえば、端的にいえばモノには力があるからです。
天文趣味の歴史と云い、イマジネーションの歴史と云い、いずれもいささか抽象的な存在であることは否めず、それをグイとつかみ出すためには、形あるモノがどうしても欲しいのです。(まあ、この辺は個人の傾性もあるでしょう。中にはモノを仲立ちにしなくても、抽象の世界に入り込める人もいるとは思います。でも、イマジネーションの歴史にイマジネーションだけで立ち向かうのは、いささか難しい作業ではありますまいか。)

そしてもう一つ、古いモノには工芸的に賞玩に足る品が多い…ということも付け加えておかねばなりませんが、この辺は古物趣味一般に通じることなので、ここで詳述することは控えます。

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では、天文古玩趣味的に意味あるモノとはどんなものか?
話の流れから言って、天空に向けた古人の心根を偲ぶ縁(よすが)となりうる品でなければならないわけですが、一口に「古人」といっても、そこにはいろいろな時代の「古人」がいるので、それに応じてモノも変わってきます。

たとえば、天文学と占星術の分化、望遠鏡の発明、ニュートンによる万有引力の提唱、ハーシェルによる恒星宇宙の探求… いずれも、その「前」と「後」では、天文趣味のありようも様変わりしたので、それを表象するモノの方も自ずと変化しているはずです。

それを考えながらコレクションを形成していくのが、また天文古玩趣味の面白さでもありますが、ただ、時代が古くなればなるほど、それだけモノは希少になり、価も高騰するのが天文古玩趣味の徒にとっては悩みの種。

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ここで冒頭のtoshiさんのコレクションに戻ります。

普通の天文古玩趣味の徒(自分基準)の主戦場は、19世紀前半から20世紀初めぐらいの時代でしょう。あるいはちょっと手を広げて20世紀中葉のスペースエイジ・グッズとか、18世紀末の天文古書とか。本当はもっと幅広く、各時代を経巡ってモノを渉猟したいところですが、価格の壁はいかんともしがたく、その前で足踏みすることが多いです。

しかし、toshiさんが力を注いでいるのは、15世紀から18世紀、時代で云うとルネッサンスからバロック・ロココ期にかけての天文骨董で、こうしたものを組織的背景無しに、純粋に個人の力で収集するのは、ものすごく大変なことだと思います。
それに誤解があるといけないので、あえて言い添えますが、これは資金が潤沢にあれば誰にでもできるというものではありません。知識も見識もなければ、天文骨董のようなヒネリの利いた分野に、そうそう容易に手を出せるものではない…と思います。

古典古代から中世を経て引き継がれた悠遠な天文学の歴史と星座神話、あるいは近代科学の黎明を伝える、古拙な木版画入りの書籍。繊細華麗な銅版画が描く星々の世界。科学と芸術が融合した美麗な天球儀の数々。まばゆい真鍮の光を放つ天文機器。

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秋の夜長、澄んだ空を静かに見上げる機会が増えてきました。
庭前にすだくに虫の声を聞けば、そぞろ昔も偲ばれます。
このブログも、タイミングを見て、そろそろ天文古玩の本道―と云うにはささやかですが―に立ち返る頃合いなのかもしれません。(でもしばらくは、箸休めが続くことでしょう。)