螺旋蒐集(2)…オウムガイとアンモナイト2013年12月29日 18時31分33秒

自然界の螺旋といえば、真っ先に名前の挙がるオウムガイ。


夢枕獏氏の『上弦の月を喰べる獅子』は、文体や結構に、実験的要素がふんだんに盛り込まれていますが、本来のストーリーの合間に「螺旋教典」という、コラム風の文章が挿入されているのもその1例です。そこでは螺旋をめぐる薀蓄が縦横に語られ、そこにオウムガイも登場します。曰く「オウムガイは、自らの身体を、宇宙の真理に最も近く刻みあげた生物である」と。

獏氏がこうオウムガイを持ち上げたのは、オウムガイの殻が見事な対数螺旋を描いているからで、オウムガイに近縁のアンモナイトが、いっときは繁栄しながらも結局滅びたのは、その螺旋が不完全だったからだ…と獏氏は言います。

美しい螺旋が生き残り、そうでない螺旋が滅びたのだ。つまり、完全な螺旋を有したものには、神の力が宿るのである。その神の力―螺旋力によって、オウムガイは未来を見ることができたのではないか
 
(オウムガイ=「良い螺旋」-獏氏談-)

(アンモナイト=「ダメな螺旋」-同-)

まあ、これは娯楽作品の一節なので、「神の力」をあまり真に受けるにも及ばないでしょうが、オウムガイとアンモナイトをじっくり見比べるきっかけにはなります。
アンモナイトの螺旋は円に近い。オウムガイの広がりのある螺旋に比べ、その螺旋は、同心円で同じ太さの縄を巻いたような形をしている」と獏氏は述べますが、確かにアンモナイトは蛇がとぐろを巻いた形によく似ています。実際、これを「蛇石」と信じて、蛇の頭を彫り付けた加工例が、化石の本にはよく出てきます。

(好んで蛇石の素材にされたアンモナイトの一種、ダクティリオセラス)

改めてウィキペディアの「渦巻」の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A6%E5%B7%BB)を見ると、オウムガイの「対数螺旋」(↓)に対して、アンモナイトの方は「アルキメデスの螺旋」(↓↓)に近い形状をしています。
 

 

さらに、螺旋はこの2つに尽きるものではなく、他にも「フェルマーの螺旋」とか、「双曲螺旋」とか、上記以外にもいろいろ種類のあることが知れます。そして、いずれも数学的に曖昧さなしに定義できるという意味では等価な存在であり、どれが「完全な螺旋」で、どれが「不完全な螺旋」か、という問いは意味をなしません。

   ★

それに― と、最後に話を引っくり返しますが、アンモナイトの殻もよくよく見れば、ピッチが小さい(巻きがきつい)だけで、やっぱり対数螺旋を成していることに変わりはなく、それがアルキメデスの螺旋に似て見えるのは「パッと見」の印象以上のものではありません。

仮にオウムガイが「完全で美しい螺旋」であるならば、アンモナイトもそう呼ばれる資格が十分あるわけで、彼らは決して「神の力」に欠けたから滅びたのではない…と思います。(まあ、異常巻きのニッポニテスとかは、いささか悪魔じみて見えますが。)

   ★

螺旋教徒タル者、師説ニナズムコトナク、
常ニ眼(マナコ)ト頭(コウベ)ヲ自在ニメグラシテ
対象ヲ観ズルベシ。  (『新・螺旋教典』より)

(この項つづく)