鉱石考2014年07月24日 14時19分04秒

(今日は夏季休暇なので、暇にあかせて長い記事です。)

名著『鉱物アソビ』の刊行以来、鉱物の魅力を追求してやまぬフジイキョウコさんの「鉱物Bar」が、今年も開催されると伺い、今年こそは何とか…と心中ひそかに期しています。

それについては、また近日中にお知らせするとして、フジイさんが、最近ツイッターで「鉱物」と「鉱石」の混同について注意を喚起されていたので、私も便乗して(最近便乗が多いですね)記事を書かせていただきます。

フジイさんが書かれた要旨は、「『鉱石 ore 』 は、『人間の経済活動において有益な鉱物』 と定義されており、『鉱物』 の言い換えとして 『鉱石』 を使うのは誤用であり、避けたい」ということです。私も両者を混用しがちな一人なので、大いに反省しつつ、そもそも両者の混用の根っこにあるものは何かを考えてみました。

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「鉱石とは『有用鉱物』を指す」と聞くと、鉱物ファンは自分のコレクションを思い浮かべて、「だったら、これとこれは鉱石だな。でもこれは鉱石じゃない。うーん、これはどっちかなあ…」という風に迷われると思います。

このように「鉱物」と「鉱石」の区別(=概念規定)が曖昧になっていること自体、自分自身も含め、今の人々の生活から「実用としての石」が遠くなってしまったことの反映ではないでしょうか。

昔の人にとって「鉱石」は非常に明瞭な輪郭を持った語でした。
ここでいう「昔」とは、古代世界から、鉱業が国の重要産業だった、ついこないだまでの時期を指します。往時の人にとって、「鉱石」とは鉱山で掘り出される金属原料となる岩塊であり、その色艶や匂いも含め、至極具体的なイメージを伴った語でした。当時は「鉱石」を含む「鉱物」のほうが抽象度の高い用語で、一般には分かりにくかったと想像します。

(大正時代の鉱物教科書より、鉱石の良否を選別する作業に従事する女性たち。出典:和田八重造著、『中等教育鉱物教科書』、大正4=1915)

今やそれが逆転した観があります。鉱物趣味が普及し、「鉱物」と聞けば、図鑑やショーケースを飾る色鮮やかな標本の数々が思い浮かぶのに、「鉱石」の方は非常にぼんやりしたイメージしか浮かばない…それが事態を混乱させているように思います。

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一気に3000年さかのぼって考えてみます。
ここでは分かりやすく中国をイメージしますが、たぶん西洋でも事情は同じでしょう。

その頃ももちろん石はあったので、「石」という漢字はありました。一部の石は切り出して建築材料にしたり、碑文を作ったり、有用素材という意識はあったでしょうが、たいていの石は、文字通り「石っころ」に過ぎず、特に関心を惹くものではなかったでしょう(奇石奇岩を愛でる「弄石趣味」が流行り出すのは、時代が下って中世以降のことと思います)。

例外的に珍重されたのが宝石で、これには「玉」という特別の字が当てられました。
そして、もう一つの例外が「鉱」です。旧字は「鑛」。

「鑛」の字は、今でこそ金偏ですが、古くは「石偏+黄」の「磺」(環境依存文字)と書き、意味は文字通り「黄色の石」または「あらがね(掘り出したままで製錬していない鉱石)」の意だそうです。
すなわち、本来は「鉱」という一字で「鉱石」の意味だったのですが、後に石偏が金偏に置き換わった結果、新たに「鉱石」という冗長な表現が生まれたと推測します。

歴史的にいうと、「鉱物の一部を鉱石と呼ぶ」というよりは、もともと人々の意識の内には「鉱石」しかなくて、後に他の「石っころ」も含めて「鉱物」という概念が成立した、というのが実態かと思います。

「あの向こうの山に埋まっているのは、ただの石っころではねえぞ。ありゃ特別な石だ。なんせ、山の衆があれをとろかして、大切な赤がねや、黒がねや、黄がねを採るげなで。」…という理解のもと、昔の人にとって「鉱石」は特に説明を要さない、自明の存在だったんじゃないでしょうか。

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明治になって新学問が入ってくると、「ore」に「鉱石」が、「mineral」に「鉱物」の訳語が当てられ、一応、概念整理はついたわけですが、その流れで考えると、「鉱石」と「鉱物」の混用は、「有用なものと、ただの石っころの混同」以上の問題を含んでいます。

上で、「鉱石とは『有用鉱物』を指す」とサラッと書きましたが、正確にいうと、「鉱石とは『有用鉱物、ないし有用鉱物を含む岩石』を指す」というべきで、鉱物と鉱石の混用が好ましくない、いっそう大きな理由は、それが「鉱物」と「岩石」という、次元の異なる概念の混用にもなっているかです。

よく言われるように、岩石とは鉱物の集合体です。
白黒まだらの花崗岩のように、それが肉眼ではっきり分かる場合もありますし、そうでなくても、仔細に分析すると各種の鉱物微晶が入り混じってできているのが岩石です。別の言い方をすると、化学的組成が均一なのが鉱物で、不均一なのが岩石。これは鉱物学の冒頭で教わることなので、石好きとして、両者を混同するのは避けたいところです。

(安東伊三郎著、『中学校鉱物学教科書』(昭和2=1927)前書きより)

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とはいえ―。
ふたつを混用する人の気持ちはたいへんよく分かります。
 
“字面から言うたら、「鉱物」は「物」やろ。「鉱石」は「石」やんか。わしが好きなんは「石」やから、「鉱石」の方がピッタリくるんや。”

…と、怪しげな関西弁になる必要もありませんが、「鉱石派」の心情を推し量ると、そういうことではないでしょうか。私もそんな気持ちで、しばしば「鉱石」を使います。

それに専門家も、けっこう融通無碍なところがあります。
たとえば、昔、保育社から出た『(正・続)原色鉱石図鑑(正編1957、続編1963)は、もともと企画段階では『原色鉱物図鑑』だったのが、「鉱物の真価を知って貰いたい」という著者のたっての希望で、鉱物を応用面から分類したために、書名を変更したそうです。しかし、「それと共に、多くの人々に鉱物の美しさを知って貰いたいと思った」と著者は述べており、結局、中身は鉱物図鑑のままです。これは、一般読書人レベルの用語として、「鉱物」と「鉱石」に互換性がある例証かもしれません。

(『原色鉱石図鑑』と著者の木下亀城(きのしたかめき)1896-1974)

なお、同図鑑の解説編から「鉱石」の語釈を読むと、その辺の融通無碍さが伝わってくるので、転記しておきます。

 「鉱物学で鉱石ore というのは自然金属および金属化合物のことで、利用益ということを考えに置かないが、鉱床学や応用鉱物学では利益を主眼とし、鉱物の集合体の中から金属を取り出して、利益のあるものだけを鉱石という。だから我々が鉱石と称するものの中には、所謂岩石も含まれる。岩石でも金属または目的物の含有量が多くなれば、鉱石として利用される。しかしこの利益という標準はいろいろの条件で変化するので、きのう迄は鉱石といえなかったものが、今日はりっぱな鉱石として用いられる例が少くない。また低品位で小資本では利用し得なかった鉱石でも、大設備で多量に処理すると充分採算の採れる場合もある。

 この様に従来無価値だった鉱物も、学問が進んだり値段が上ったりすると、りっぱな鉱石となることが少くない。そのため鉱石の種類は年々ふえている。なお鉱石という言葉は、一般に金属鉱物に限って用いられるが、広い意味に使う場合には非金属鉱物にも用いられ、硫黄鉱などいうことも稀ではない。」(上掲書、p.77)


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個人的折衷案としては、「minerals rocks 鉱物岩石」という言い方から推して、鉱物趣味の徒が使う「鉱石」は、「ore」の訳語ではなしに、この「鉱物岩石」の略なんだと考えてはどうでしょうか。

(岩崎重三編、『実用鉱物岩石鑑定吹管分析及地質表』第7版、大正6=1917のタイトルページより)

…と一瞬思ったものの、「minerals rocks」というのは、単に「minerals and rocks」の意味のようでもあり、この提案は引っ込めたほうが無難かもしれません。
ともあれ、個人的には、今後も「鉱石」をちょいちょい使ってしまうでしょうねえ…。

(長いわりに、例によって結論がはっきりしない記事ですみません。
今度フジイさんにお会いする機会があれば、ぜひグラスを片手に、石と人の関わりについて、ゆるゆるお話をうかがいたいです。)