赤い惑星に命を灯して…カテゴリー縦覧:火星編2015年03月11日 00時02分06秒

午後からの雪で、庭木が季節はずれの雪帽子をかぶっています。
3.11の涙雪、というわけでしょうか。
ぐんと底冷えのする晩です。

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下に掲げたのは、戦前、東亜天文協会(現・東亜天文学会)が、「天界八景」と銘打って発行した絵葉書のうちの1枚。


スケッチを残した中村要(なかむらかなめ 1904-1932)は、東亜天文協会を主宰した山本一清の愛弟子で、火星観測に関しては、日本におけるパイオニアです。

彼は1922年、同志社中学卒業と同時に、山本が教授を務めていた京大宇宙物理学教室の門を叩き、18歳の若さで「志願助手」という身分で、スタッフに採用されました。

彼は生来の「星の虫」で、アカデミックなキャリアこそ乏しかったですが、まさに好きこそものの上手なれ、京大では手練れの観測家として、また反射望遠鏡の鏡面研磨の名人として鳴らし、多くの名鏡を世に送り出しました。


彼が最も火星の観測に力を注いだのは、1924年と26年の接近時で、雑誌「天界」に頻々と報文を発表し、そのスケッチは、アメリカの「ポピュラー・アストロノミー」誌でも紹介されたそうです。

   ★

溌剌たる20代を、愛する星に捧げ得た中村は、幸せな人だったと思います。

しかし、その幸せの絶頂の中で、彼は相次いで身内の死を経験し、さらに乱視により視力が低下して、思うように観測ができない状態に陥ってしまいます。自ら鋭眼を誇り、観測こそ生きがいであった人にとって、それがどれほど辛いことかは、察するに余りあります。

苦悶の末に、彼は郷里(滋賀県)の自宅で自ら死を選びました。
時に1932年(昭和7年)9月24日、享年28歳。

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この東亜天文協会の絵葉書セットは、昭和14,5年頃の発行とおぼしく、すでに中村の死から7~8年が経過していますが、故人のスケッチを、あえて絵葉書に含めたことには、深い鎮魂の意が込められていたのではないでしょうか。
深夜の雪を眺めていると、どうもそんな風に思えます。



【参考】
日本アマチュア天文史編纂会(編)、『改訂版 日本アマチュア天文史』、恒星社厚生閣、1995

コメント

_ S.U ― 2015年03月11日 19時55分43秒

 中村要の花山天文台での業績をWikipediaで見てみますと、きわめて多彩で重要な成果に関わっていますが、彗星の検出など実態がはっきりしないものがしばしばあります。特に、そこにある、小惑星エロスの形状が連星状というのが不思議な発見で、私のその方面への興味もあって気になります。真相はどうだったのでしょうか。

 今日、探査機の写真によれば、エロスはピーナツ(のさや)状(近年は「接触二重星」と呼ぶようです)で、日の当たり方によってはまさに連星に見えますが、これが当時の望遠鏡で本当にそう見えたものかどうか。中村要の鋭眼で見えたのかもしれないし、乱視による幻像だったのかもしれないと思います。

 1831年に小惑星エロスは地球に2300万kmまで接近しました。その連星状の間隔を現在の観測に従って30kmとしますと、0.27”角の間隔に相当します。これは、当時の花山天文台最大の46cmの望遠鏡を使ったとして、分離は無理としても、鋭眼なら横長か縦長に見えた可能性はあり、それを連星と記述したのかもしれません。当時の文献(IAU Transactions 1932)に、

An elongation of the planet was observed by Nakamura at the Kwasan Observatory, Kyoto, Japan in 1931 Jan. and Feb. with the 30-in. Cooke refractor (Bulletin 197).

という記述がありました。Bulletinは、Kwasan Bulletin のようです。

 やはり鬼才は不思議な観測を残すものですね。

_ S.U ― 2015年03月11日 20時04分55秒

あれ、今気づきましたが、30-in.とありますね。それでは、75cmの望遠鏡があったのでしょうか。ちょっと私にはわからないので、望遠鏡の口径については保留にします。

_ 玉青 ― 2015年03月11日 23時25分27秒

花山のクックといえば、(インチではなく)30センチ屈折のことと思うので、これは誤記じゃないでしょうか。
となると、ますます幻像っぽく感じられますが、中村氏の元々の視力は分からぬながら、中には異常な視力を持つ人がいて、視力2をはるかに超えて、まれに視力4とか5とかいう人もいるらしいです。視力すなわち分解能ですから、氏が異常な視力の持ち主だったとすれば、確かに何かを見た可能性も無くはないかも…。

_ S.U ― 2015年03月12日 06時26分51秒

30センチなんですか。それはなかなか厳しそうですね。それでも、当時、小さな小惑星が連星であるという先入観はまずないと思うので、気にかかります。

 中村要の鋭眼については、たとえばこの絵葉書の火星のスケッチにある特徴から、見る人が見ればかなりの判断ができるのでは無いかと思います。私には判断するだけの素養がありませんが、個人的には、正直な見えたままのスケッチで、結果的にも現在の地上望遠鏡からの高解像度の写真像に近いと思います。全体はおおざっぱなようで、サバ人の湾と太陽湖からの複数の突起などところどころに細かい特徴があって、あまり作為は感じ取れません。「その道」の人による論評がほしいところです。

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