第三半球物語…カテゴリー縦覧:稲垣足穂編2015年04月16日 05時42分00秒



足穂の初期作品集、第三半球物語』の復刻版が出ていると知ったのは、わりと最近です。出たのは平成24年10月ですから、はや2年半も前。

復刻を手がけたのは、以前『一千一秒物語』の復刻も出した沖積舎で、そのことはずっと以前に書きました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2007/12/09/2495793)。

(二重箱から出した本体)

(カバーを外した裸本の状態もカッコいい)

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ここで足穂の初期作品をおさらいしておくと、第1作品集である『一千一秒物語』が金星堂から出たのは、大正12年(1923)、彼が23歳のときです(その草稿を佐藤春夫に認められ、春夫の書生みたいな形になったのは、その2年前のことでした)。

その後、大正14年(1925)に『鼻眼鏡(新潮社)が、大正15年(1926)には『星を売る店』(金星堂)が出て、さらに昭和2年(1927)に出たのが、この『第三半球物語』です。版元はこれまた金星堂。(ちなみに、金星堂は大正7年(1918)創業の出版社で、今も神保町でそのまま営業している由。あまりその名を聞かないのは、戦後は文学から語学書に方向を転じたからでしょう。)

そして、これらの著作に、翌昭和3年(1928)に出た『天体嗜好症(春陽堂)を加えたものが、初期タルホ・ワールドの構成要素で、いみじくも佐藤春夫が評したように、ココア色の芸術の葉をペーパーに巻き、アラビアンナイトの荒唐無稽を一本のシガレットに封じ込めた」ような作品群です。

(目次より)


上は足穂自ら手がけた口絵、”A Night at a Bar”。
巻頭作品、「バーの一夜」のために画いたもの。


「この中に星が紛れ込んでいる!」の一言で始まった大騒動の結末は…?
下が巻末作品、「星同志が喧嘩したあと」です。


何だかんだ言って、やっぱり洒落てますね。
この「洒落」(fancy & wit)の要素は、足穂に終生ついて回ったもので、賢治にはない肌触りです。

「ユリイカ」 2006年9月臨時増刊号(総特集・稲垣足穂)を読んでいたら、あがた森魚さんが、賢治「20世紀の山村の少年博物学」であり、足穂「20世紀の都市の少年博物学」だと語っているのが目に留まりました。果たしてそこまで簡略化していいものかどうか迷いますが、一方の作品舞台が「森の中に立つ料理店」であり、他方は「都会の街角に立つバー」だと聞けば、たしかにそんな気もします。

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話が脱線しました。
ともあれ、タルホの世界を覗き見るには、当時のオリジナルを見るにしくはなく、タルホ好きにはお勧めの一冊です。

(奥付より。当時は「稲垣足穂」ではなく「イナガキ・タルホ」が正式な名乗りだっようです。)