6月はタルホの季節2015年06月07日 07時31分23秒

さて、2月から続けてきたカテゴリー縦覧も、十分ゴールが見えてきたので、この辺で少し一服します。

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稲垣足穂の自伝的小説、「弥勒(初出は1940年)。

明石・神戸で過ごした夢見がちな少年時代を描いた第一部と、後年上京して、物質的窮乏の果てに一種の「宗教的回心」を遂げるまでの心模様を描いた第二部を強引につなげた、なんだか不思議な結構の作品ですが、足穂にとっては、そこに確かな内的必然性があったのでしょう。

その中に、足穂(作中の江美留<エミル>)が6月の情調を感得した、以下のくだりがあります。

 〔…〕或る昼休みの教室の黒板に、I は「六月の夜の都会の空」という九字を走り書きして、直ちに消してしまった。「いや何でもありやしない」と彼は甲高い声で江美留に云った。「―でも、ちょっといい感じがしやしないかい?」

 なるほど! 六月の夜の都会の空

 この感覚は自分にも確かに在った。夕星を仰いで空中世界を幻視する時、そんな晩方はまた、やがて「六月の夜の都会の空」でなければならない。汗ばんで寝苦しがっているまんまるい地球を抱くようにのしかかっている暗碧の空には、星々がその星座を乱したのであるまいかと疑われるほど狂わしげな位置を採って燦めき、そして時計のセカンドを刻む音と共に地表の傾斜がひどくなって、ついに酸黎のように赤ばんだ月をその一方の地平線におし付けてしまった刻限には、昼間から持ち越しの苦悩に堪えかねた高層建築物たちは、もはや支え切れずに、水晶の群簇(ぐんぞく)のように互いに揺らめきかしいで、放電を取り交わしているのでなければならない。

(稲垣足穂「弥勒」、新潮文庫『一千一秒物語』所収)

「 I 」というのは、足穂と関西学院中学で同窓だった猪原太郎のことで、このエピソードはほぼ事実でしょう。後に足穂が文壇デビューしたのと同じ時期、彼も「猪原一郎」名義で、いくつかの作品を雑誌に発表したそうですが、作家としては大成しませんでした。しかし、その鋭角的な感性は、十代半ばの足穂を存分に刺激し、作家・イナガキタルホの誕生にとって、甚大な影響があったと思います。

(額に関学の三日月マークをつけた、18歳の稲垣足穂(後列中央) 出典:「ユリイカ」2006年9月臨時増刊号)

「弥勒」は、さらに次のような回想に続きます。

Ⅰの云い方を借りれば、その時刻には、どこかの地下室で、競走馬の頭巾のような白覆面の連中がニトログリセリンの桶を前に誓約を立てていることであろうし、またカレー氏の仮装舞踏会から美少年を誘拐した縞の仮面を付けた紳士が、オペラ座前の広場に全速力で自動車を飛ばせていることでもあろう。

 江美留自身に依れば、郊外の天文台の円蓋の下に微かな電流の音がして、老天文学者は久し振りで帰ってきた息子を前に、「この瞬間にも多くの世界が滅びまた生れている。わしは、お前のように地球上の人類のことのみを心配しておられぬのじゃ」と云い聞かせていることであろう。いやもっと近代的な大ドームの下で、怪物のようにひっ懸った大望遠鏡を取巻いて、「未来」たちが妖精(エルフ)のように飛び廻っているに相違ない。

― 午後の授業が始まるとすぐに、後ろの席から丸めた紙片が飛んできた。ひろげてみると、「六月の夜の都会の空」と題した詩が書いてあった。遣られた!と江美留は思った。「エーテルは立体的存在の虚空に七色のファンタジーを描き、球と六面体から成立した紳士は、リットルシアターの舞台で直角ダンスを演じて、弁慶縞の観客に泡を吹かせる」というような文句が、そこに連ねられていたからだ。

   火竜の乱舞
   月が笑う…
   生と死のたまゆらに遠い未来を望む飛行者よ

        
   ★

当時の足穂は、自らの奔放な思路に、友人の鮮烈なイマジネーションを同化させることで、急速に自らの内に「イナガキタルホ」を胚胎させつつありましたが、その重大な時期に、「六月の夜の都会の空」の一句が、彼に強烈に刷り込まれたことは、その創作活動に絶対的とも言える意味があった…と、根拠は薄弱ですが、何となくそんな気がします。

足穂の後の作品は、すべて「一千一秒物語」の註である…という、足穂自身による有名な言葉がありますが、実は「一千一秒物語」こそ、「六月の夜の都会の空」の謎を追った、足穂の註解ではなかったのか?

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…というわけで、6月は足穂の季節。
タルホと神戸の話をするには、これ以上ないタイミングです。
ブログの方は、しばらくその話題で続けることにします。

【付記】

神戸には、今もトアロードの西に「ロクガツビル」という不思議な名前の建物があります。そして、神戸のヴンダーショップ、Landschapboek(ランスハップブック)さんは、先日その地階に移転されたばかりで、その不思議なビルの名称の由来を、いつかオーナーの谷さんにうかがえればと思っています。

(そのランスさんも参加されているイベント、「博物蒐集家の応接間」は、明後日までです。)