暑中お見舞い申し上げます。2016年08月05日 06時50分40秒


(昭和35年(1960)発行、 『しょうがくせいのりか(1ねん上)』、二葉㈱ より)

私は夏という季節は好きですが、暑さには弱いので、この頃はまったくダメです。
ずっと眠いし、だるいし、ぐったりしています。
冷たいものばかり飲み食いしているので、お腹の調子も悪いです。

そんなわけで、いったんは南極に向ったものの、何だか頭がボンヤリして、言葉がうまく綴れません。
でも、筆が鈍るのは暑さのせいばかりではありません。
ここ数日、ずっとモヤモヤしている原因が、やっと分かりました。

この「郷愁」をテーマにしているらしい、天文古玩というブログ。
でも、郷愁とは果たしてそんなに有難いものかね…という疑念が、心に影を落としているからです。そして、それは「郷愁の戯画」を、最近イヤというほど見せつけられたせいです。

もちろん、罪は郷愁にはなく、郷愁の向け方にあることは承知しているのですが、まあ、こんなふうに弱気になるのも、結句体力が落ちているせいでしょう。
ちょっとその辺から改善を図る必要があります。

皆様におかれましても、どうぞご自愛のほどを。

(同上)

コメント

_ S.U ― 2016年08月06日 06時28分32秒

 暑中お見舞い申し上げます。
 天文年鑑によると、今年は明日10時53分が立秋だそうです。
>郷愁の向け方にあることは承知~結句体力が落ちているせい
 そういうこともあるかもしれませんね。
 でも、私くらいのトシになると、郷愁に浸ったりその意味を考察するだけで、けっこう体力を使ってしまうというのもあります。玉青さんも郷愁疲れかもしれないと存じます。
 「三つ子の魂百まで」と申しますので、ご紹介のような小学理科の教科書は今も私の魂そのものであるはずですが、その時空の中で50年を往復するのはけっこうエネルギーを使います。
 してみれば、タルホ先生が晩年まで宇宙的郷愁とヒコーキ少年の夢を繰り返し分析したことは超人的な業と言わざるをえません。

_ 玉青 ― 2016年08月06日 15時02分20秒

>郷愁疲れ

あはは。そうかもしれませんね。懐旧の情とは、時空を往復するところに生じるものであってみれば、これは確かにエネルギーを消費しそうですね。これは目から鱗のご指摘。まあ、いっそ過去に行きっぱなしになればいいのかもしれませんが、なかなかそうもいかないしがらみがあって、難しいところです。

ときに「郷愁の戯画」ということ。
あまり記事本編に書いて、「ああ、またか」と思われるのも癪なので、寸止めで書きませんでしたが、ここで吐露してしまうと、最近、日本会議の人脈に絡む話題に接するたびに、どんどん気鬱になってきます。日本の伝統でもなんでもない、あのグロテスクな戦時下の日本を祭り上げる徒輩は、あえて「郷愁の戯画」と呼ぶほかなく、そもそも、あれこそ「国を滅ぼした時代」ですから、いやしくも愛国者を任ずる者であれば、決して容認できなかろうと思うのですが、その辺を自称・愛国者たちはどう考えているのか、まったく謎めいています。

_ S.U ― 2016年08月06日 17時37分38秒

>グロテスクな戦時下~「郷愁の戯画」
 そういうことでしたか。
 これぞ、日本の伝統を騙る「戯画」、「擬画」、「疑画」、「偽画」 ですね。
 日本の伝統にハッタリをかます必要などついぞなく、江戸期以前に連綿と輝かしい世界に誇る文化、科学、技術があることは明々白々なのに、どこに目をつけているのでしょうか。

>いやしくも愛国者を任ずる者
 しかも、その時代にともに国土を守るべく命をかけて戦った沖縄の同胞を、今になって見限るとは、ますます謎は深まるばかりです。

_ うり ― 2016年08月07日 17時51分26秒

こんばんは。

こちらの記事と、先日の私の体験が大変近いテーマでしたので
コメントさせていただきます。

先日、親戚の集まりがあり、みなさん80代前半から後半まで、
昔話に花が咲くと「昔はよかった、楽しかった」の大合唱でした。

ですが、ちょうど子供時代~青春時代を戦時中に過ごした方たち、
話が戦争に及ぶと
「兄が兵役で死んだ」
「友達が横で爆撃に合って殺された」
「兵隊になりたいと思っていたが、水兵が見せしめに後輩を
ボコボコに殴っているのを見て兵隊が嫌になった」
「学童疎開でさみしくつらい思いをした」
と体験者にしか分からない生の声を聞きました。

認知症を患っている88歳のおばが
「子供に辛い思いをさせて、
戦争なんてするもんやないわ」とぼそりと言っていたのが忘れられません。
戦時下の体験など知らない若輩者の私が言えることなど何もなかったのですが、
親戚の皆さんは、ほとんどの思い出を「美化」して思い起こしていても、
(もしかしたらそれが郷愁というものかもしれません)
「美化」してはいけない、
明瞭に見つめなければいけないこともある。
それが忘れてはならない、誠実な過去との向き合い方なのだと教えられました。

_ 玉青 ― 2016年08月07日 19時30分34秒

○S.Uさま

ありがとうございます。
沖縄のことも、心底怒りを覚えます。
私が怒っても「蟷螂の斧」かもしれませんが、子供の時にカマキリに指を挟まれた経験からすると、あれは相当痛いです。一匹の蟷螂といえど軽んじ召さるなよ…の気構えで対峙したいです。

○うりさま

心に響くコメントをいただき、とても嬉しく思います。
本当にそのとおりだと思います。

政治家でも、そうでない人でも、何か勇ましいことを言うと、自分が偉くなったような気のする人が大勢いるようです。その気持ちは何となく分かります。正直に言うと、私にもそういう瞬間があります。でも、後から振り返れば全く空疎だし、愚かなことです。その愚かさの自覚が持てない点が、彼らの怠惰で怯懦な点だと、私は思います。

戦争は殺し合いですから、もともと陰惨なものですが、先の戦争は悲惨な上にも悲惨な、国民の大半が「もうこりごりだ」と思った戦争でした。それでも70年も経つと、記憶の伝承は途絶えがちになるのだなあ…と、そのことを我々は今実地に学んでいます。

データのクラウド化が進んでいますが、技術の進歩によって人の記憶の共有と維持が可能になるには、もう少し時間がかかりそうです。それまでは、せっせと語ること、とにかく語り続けることが大事ですね。(でも、そんな時代が来たら、確実に過去の記憶を書き換えようとする者が出てくるので、個人が語り続けることの重みは一層増すかもしれません。)

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