デ・ラ・ルーとその時代(4)2016年10月24日 06時59分20秒

さて、トランプの話題から、「天文家ウォレン・デ・ラ・ルー」の話題に移ります。

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ウォレンの父親である、トーマス・デ・ラ・ルー(デ・ラ・ルー社の初代社長)の方は、出身地ガーンジー島に同名の人気パブがあったり、また自治領発行の5ポンド紙幣に肖像画が描かれたりしたおかげで、今でも地元では有名人です。それにひきかえ息子ウォレンは、そのすばらしい科学的業績にもかかわらず、半ば忘れ去られた存在となっています。

…というのは私が言っているわけではなく、BBCのページにそう書かれていました。
まあ、BBCがそう言うのですから、ウォレンは一般には過去の人には違いないのでしょう。

(港の見えるパブ 「トーマス・デ・ラ・ルー」。
http://www.liberationgroup.com/pubs/thomas-de-la-rue

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しかし、ウォレンの名は、天文趣味の歴史において決して落とすことができません。
何と言っても、彼はアマチュア天文家として、天体写真の撮影に熱心に取り組んだ最初期の一人であり、現代の天体写真マニアにとって偉大な先達だからです。

ウォレンの名は、小暮智一氏の『現代天文学史』にも1か所だけ登場します。
それは1860年のスペイン日食の際の業績で、彼はこのとき得意の写真術を使って、太陽光球部の縁に「赤い炎」――すなわちプロミネンスを見出したのでした。
このニュースが、やはり当時はまだ一介のアマチュア天文家だった、ノーマン・ロッキャー(1836-1920)に、プロミネンスの分光観測を決意させ、やがて新元素「ヘリウム」の発見につながったのです(同書177-8頁)。

(ウォレンの写真を元にした石版画。アメデ・ギユマン『Le Ciel』より)
 

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そして、ウォレンの名をいっそう高めているのが、月面写真家としての顔です。

彼は太陽以前に、月の写真撮影に熱心に取り組み、それによって月面の地形変化を探ろうと試みました。その試みは必ずしも成功しなかったのですが、彼の手になる月写真は、19世紀人の嗜好に叶い、立体写真の形で一般にも広く流通しました。

月のステレオ写真というと、ヤーキス天文台の写真を元にしたキーストーン社のものがポピュラーで、ほかにも19世紀末から20世紀にかけて、いろいろなメーカーから出ていますが、1850年代(江戸時代!)にさかのぼるデ・ラ・ルーの月写真は、その嚆矢と言えるもので、歴史的に大きな意味があります。

(1910~20年代に出たらしい、キーストーン社のステレオ写真)

(長くなったのでここで記事を割ります。この項つづく)