日本のグランドアマチュア天文家(1)2017年03月11日 08時17分30秒

さて、どこまで話を遡らせればよいか…。

これまで何度か言及した、アラン・チャップマン著『ビクトリア時代のアマチュア天文家』(産業図書)には、19世紀のイギリスを生きた、多様なアマチュア天文家が登場します。

彼らは、星に興味がある…という唯一の共通点を除けば、その社会的・経済的地位は実にさまざまで、まさに赤貧洗うがごときだった人もいれば、あきれるほどの富に恵まれ、巨大な機材を備えた私設天文台を作り、飽かず星を眺めた人もいます(チャップマン氏は、後者を「グランドアマチュア」と呼びます。即ち「大アマチュア」の意です)。

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そんな昔の天文マニアの生きざまに関心を持ち、キョロキョロしているうちに、かつての日本にも堂々たる貧窮スターゲイザーがいたことを知って、大いに勇気づけられました。それが、戦前に独学で詳密星図を作った草場修(1900-?)という人物です。

草場氏が活躍したのは昭和ヒトケタ、すなわち1930年前後のことで、英国ビクトリア時代の同輩と並べて論じるのは、いささか無理がありますが、氏の場合も、孤独な日雇い人夫として、さらには聾というハンデを持ちながらの活躍でしたから、まさに貧窮スターゲイザーの名に恥じぬ――というのは褒め言葉にならないかもしれませんが――あっぱれな御仁であったと言い切って差し支えありません。

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草場氏のことは、これまで何度も記事にしているのですが、下のページを足掛かりにして、前後をたどっていただければ、およそお分かりいただけると思います。

貧窮スターゲイザー、草場修(7)…カテゴリー縦覧:天文趣味史編

私はその一連の記事の中で、山本一清の内弟子のような格好で、京大のスタッフにまでなった草場氏に対して、いく分揶揄するような記事を、雑誌「天界」に投稿した「萑部進・萑部守子」という人物について言及しました。そのときは、「これは草場氏を排撃するための匿名記事であり、萑部云々は仮名だろう」…というようなことを書きました(当時はそういう記事がわりと多かったです)。

貧窮スターゲイザー、草場修(10)…カテゴリー縦覧:天文趣味史編

でも、それは私の完全な間違いでした。
この萑部(ささべ、と読みます)というのは、紛れもなく両氏のご本名だということを、上の記事のコメント欄で、青木茂樹氏にご教示いただきました。

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しかも驚いたことに、この萑部氏夫妻(進氏と守子氏はご夫婦です)は、草場氏とは対照的な、まさに日本における「グランドアマチュア」のような方だったのです。草場氏に注目したことで、期せずして、日本のアマチュア天文家の多様な姿を知ることができたのは、大きな収穫でした。

以下、萑部氏のことについて、今現在分かっていることを心覚えとしてメモ書きしておきます。

(この項つづく)


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▼閑語 (ブログ内ブログ)

安倍氏に対しては、何となく小物感を感じて、軽侮の念を抑えかねていました。でも、それは安倍氏にとって甚だ不本意なことでしょう。

ここはひとつ「平成の妖怪」と尊称すれば、氏としても、敬愛するお祖父さん(昭和の妖怪、岸信介)に大いに面目を施した形になりますし、さらに「平成の巨悪」として「平成の大疑獄事件」の果てに引退した…となれば、相当な大物感が漂いますから、氏にとって悪い気はしないはずです。平成の終わりが近い今、早く決断しないと、永遠にその機会が失われます。ぜひ英断を望みたいです。

…と、皮肉まじりに書くのは、私の信条に反しますけれど、でも安倍さんにはそんな矜持もないのかなあと、つくづく侘しく思います。

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