世は麻の如し2017年02月04日 09時33分01秒

前回の記事の末尾で書いたように、最近は戦争のような日々を送っていますが、報道に接すると、本当に戦争でも起きかねない世のありさまです。

世界は本当にどうなってしまうのか?
どなたかが、「森を育てるのは大変だが、壊すのは一瞬だ」と呟いてらっしゃるのを見て、本当にそうだなと、深く頷きました。

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ルービックキューブのふるさと、ハンガリー生まれの「地球儀ルービック」。
冷戦期、1980年代の品と聞きました。

面白半分でガチャガチャ回しているうちに、完全に復元できなくなってしまいましたが、今の世界も高所から見れば、こんな状況かもしれません。


この国も、果たしてどこに向かおうとしているのか。


ルービックキューブを解くコツは、各面の中央にある不動の「センターキューブ」に注目することだそうで、この地球儀キューブでは、北極や南極がそれに当たります。

「混迷せるときは、まず不動のものに目を向けよ」とか言うと、妙に説教臭くなりますが、まあ、ご高説を垂れるのはパズルを解いてからにしてくれ給え…と言われるのが、この場合オチでしょう。

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一国の宰相を、いやらしいほどアメリカにすり寄らせる。
国民の間に、微妙な空気が流れたところで、彼の最側近が、突如公然と叛旗をひるがえす。それに呼応して、クリーンなイメージの若手が弁舌爽やかに登場し、新たな御輿に担がれ、アメリカ従属脱却と日本再軍備を高らかに宣言し、大喝采を浴びる…。

最近の動きを見ていると、そんな裏シナリオもありはせぬかと、ちょっと疑念に駆られます。

(記事の方は引き続き間欠的に続きます)

死者を照らす月2017年02月05日 14時00分33秒

今日は一日冷たい雨。

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心が索漠とした夜。
不安を抱えて眠れない夜。
そんなときは、そっと寝床を抜け出して、暗い世界に足を踏み入れ、闇の存在と言葉を交わす方が、いっそ気持ちが安らごうというものです。


深夜の散歩者を気取りたくなる、手彩色の幻灯スライドを手にしました。


時代は19世紀末、メーカーはおなじみのニュートン社。
(参照 http://mononoke.asablo.jp/blog/2014/02/10/7218715


被写体となっているのは、イングランド中部のレスターシャー州ラターワース(Lutterworth)の町に建つセント・メアリー教会。小づくりな教会ですが、現在の建物は13世紀にさかのぼる歴史遺産だそうです。

この教会では塔のある方角が西なので、満月の位置を考えると、現在の時刻は、未明から明け方に移る頃合い。我々の深夜の散歩も、そろそろ終わりが近いことを告げています。

それにしても、見るからにゴシック趣味に富んだ画題ですね。
工業化が日に日に進む社会を横目に、当時の人はこういう風情を愛でながら、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を読みふけったりしたのでしょう。

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余談ながら、わが家は隣が墓地なので、墓石ごしにお寺の本堂の屋根を見上げると、ちょっと似た構図になります。

墨染の雪2017年02月11日 15時36分38秒

寒いですね。
身辺は依然混沌としていますが、休みの日ぐらい記事を書いてみます。

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今日は典型的な牡丹雪で、差し渡し2、3センチもある大きな雪片が、フワフワと落ちてきて、地面に着くとすぐ消えることを繰り返していました。
暦を見たら、先週の今日がちょうど立春で、来週の土曜は雨水。
間もなく雪も雨と交代です。

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行儀よく並んだ3個の結晶。

(左右の幅は4センチ)

くるっとひっくり返すと、これは木製の下駄を履かせた、活版用の印刷ブロックなのでした。


黒インキで染まった中に光る銀色の雪。
深夜に音もなく舞い飛ぶ雪を思い起こさせます。



小さな大天文台 (附・ポスタースタンプの話)2017年02月12日 12時24分57秒

切手のようで切手でない「切手風シール」。
その実例として、以前、ドイツの地方都市の市章を刷り込んだシールを眺めました(http://mononoke.asablo.jp/blog/2016/09/30/8205443)。

あの手のものを、そもそも何と呼べばいいのか迷ったのですが、何でも英語だと「ポスタースタンプ」と呼ぶそうで、英語版Wikipediaに、その解説がありました。


冒頭の概要と「定義」の項を、適当訳してみます。

【概要】
 ポスタースタンプとは、普通の郵便切手よりもいくぶん小型の宣伝用ラベルで、19世紀半ばに登場すると、ただちに一大収集ブームを巻き起こし、第1次世界大戦まで大いに人気を博したが、第2次世界大戦がはじまる頃には、その人気も衰え、今や「シンデレラスタンプ」(※)のコレクターを除けば、ほぼ忘れ去られた存在となっている。

【定義】

 ポスタースタンプは公的存在ではないため、正確に何がポスタースタンプであり、何がそうでないかという点について議論がなされてきた。1つの定義は、「切手としての額面表示を欠き、郵便に使用できないラベル。宣伝用ラベルまたはチャリティラベルのこと」というものである。

〔※引用者注: シンデレラスタンプというのは、主に郵趣家サイドからの呼び方で、歴史的存在としてのポスタースタンプに加えて、現在も発行されているクリスマスシールなども全てひっくるめて呼ぶ言い方のようです〕

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アメリカで発行された、そのカッコイイ実例。


1888年に運用を開始した、カリフォルニア州ハミルトン山頂に立つ、リック天文台のポスタースタンプです。

アソシエイテッド石油(Associated Oil Company、本社・サンフランシスコ)が、1938年~39年に発行したもので、主に西海岸の風物に取材した総計100枚以上に及ぶシリーズ中、このリック天文台の絵柄は、通番46に当ります。


星月夜の天文台。
月の観測をする場合を除き、天文台にとって明月はあまり歓迎されない存在でしょうが、こうして眺める分には、実に美しいイメージです。
まさに絵のような、詩のような…。

小さな画面の向うに、無限の宇宙が広がっているという、その不思議なコントラストにも惹かれるものがあります。

(なお、下のスタンプはミシン目の位置がずれていて、普通の切手だと「エラー切手」として珍重されますが、ポスタースタンプの場合は単なるエラーです。)


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閑語(ブログ内ブログ)

サディスティックな「支配欲」はあっても、統治能力を欠いた為政者の下、人々の知的・道義的な退廃は急速に進み、外敵の侵攻を待つまでもなく、かつての大国は自ら衰亡の道をたどり、内部から崩壊した…

あのローマ帝国だって、そんな風にして滅んだのですから、我がニッポンが同じように滅んだって、全く驚くには当たりません。真顔で中国脅威論を振り回す人に対して、衷心から申し上げますが、日本は中国が(あるいはアメリカが)原因で滅ぶのではなく、我々自身の手で滅びの道を築きつつあるのです。

それを思うと、何だかひどく空虚な気持ちになりますが、しかし、国が滅んだって――まあ、為政者はしばり首になるかもしれませんが――別に民が滅ぶわけではありませんし、民は民の流儀で、しぶとく生き延びる算段をするまでです。

乳酪の道2017年02月15日 07時12分27秒

ポスタースタンプといえば、こんな品もあります。
年代ははっきりしませんが、雰囲気としてはこれも1920~30年代のものでしょう。


天の川は、空に乳が流れた跡だ…というのは、いにしえよりの見方で、そこから英語の「ミルキーウェイ」の称も生まれたわけですが、上のカードは、これを乳ならぬバターの道と見立てている――あるいは、天上から滴り落ちた乳が、地上にバターの道を描いている様を描いています。

(夜空にかかる「CUE BRAND」の文字。バターの商標でしょうが、詳細不明)

ここでバターを持ち出したのは、もちろんバターメーカーの商業主義のなせる業でしょうし、乳に比べていささか雅に欠けるきらいはありますけれど、夜空を虎たちがぐるぐる回る姿や、天上からパンケーキの焼ける匂いが漂ってくるところを思い浮かべると、少し心が温かくなります。

黴の如く2017年02月17日 07時26分45秒

以前、仏文学者の鹿島茂さんが、エッセイで以下のように書かれていました。

 〔「本を書かない」か「本を買わない」かの〕 どちらかを選ぶとなったら、私は躊躇することなく「本を書かない」ほうを選ぶだろう。なぜなら、本を書くのは楽しくないが、本を買うことは楽しいからだ。 (『子供より古書が大事と思いたい』 文春文庫)

私と鹿島氏とでは、身の置き所が異なりますが、それでも「本を書く」より「本を買う」方が、だんぜん楽チンだ…というのは、よく分かります。

確かに、お金さえあれば、モノを買うのは、わりと簡単なことです。
――いや、そんなことはない。モノを買うということが、いかに大変なことか…というのも真実ですけれど、そう思われる方は、たぶんモノとの付き合い方が、抜き差しならないところまで行ってしまった方でしょう。まあ、一般論として、単純にモノを買う方が、モノから何かを生み出すよりも楽チンなのは確かです。

いずれにしても、前提となるのは、「お金さえあれば」という点。
鹿島氏は同じ本で、こうも書かれています。

 だが、いずれ、この病も、裁判所の執達吏が癒してくれることだろう。どうやら、全快の日はそれほど遠くはなさそうである。

この子供より古書が大事と思いたいという、かなりえげつないタイトルの本は、1996年に単行本が出て(版元は青土社)、文春文庫に入ったのは1999年です。しかし、鹿島氏の期待も空しく、氏はその後、2003年にはそれでも古書を買いました(白水社)という、病勢がさらにつのった趣の本を出され、その中で「子供と本は黴のように貧乏の上で増えていく」と述懐されています。


あれから14年が経ちましたが、鹿島氏が本復されたという話はついぞ聞きません。

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「あの鹿島氏だって…」と、氏を引き合いに出すことで、自分の振る舞いが正当化されるわけではありませんし、今の世の中がそんな太平楽を許さない状況にあるのも痛感していますが、そこが宿痾(しゅくあ)の恐ろしさ。我ながら業の深いことだと、歎息するほかありません。

そんなわけで、記事を書くのをさぼっていても、モノを買うのは続いています。
こうしてモノは徐々に増えていきます。まさに黴の如くに。

…というような、愚にも付かぬことを書きながら、記事再開のタイミングを計っています。


ガリレオの瞳2017年02月18日 14時46分01秒

先日、ガリレオ(Galileo Galilei、1564-1642)の誕生日が2月15日だというので、いくつか関連の記事を目にしました。

ただし、ガリレオはユリウス暦とグレゴリオ暦の端境期を生きた人で、誕生日の2月15日というのも、昔のユリウス暦のそれだそうです。今の暦に直すと、1564年2月25日が誕生日。いずれにしても、彼は今月で満453歳を迎えます。

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ガリレオの名を聞いて思い出したのが、下のカメラ。
1950年代前半に出た、イタリアのフェラーニア社製「エリオフレックス」。


これも「クラシック・カメラ」と言って言えないことはないのでしょうが、戦後の量産品ですから、わりとどこにでも転がっています。それでも、これを購入したのは、その出自がやっぱり天文古玩的な色彩を帯びているからです。


それは、このカメラが、ガリレオの名を負っていること。
レンズの脇には「オフィチーネ・ガリレオ(ガリレオ製作所)」の名が見えます。


オフィチーネ・ガリレオは、1862年にさかのぼるイタリアの老舗光学メーカー。
今では光学機器にとどまらず、光電子機器の製造も行なっています。

光学機器メーカーとしてはちょっと異色ですが、オフィチーネ・ガリレオの創設者は、二人の天文学者、アミーチ(Giovanni Battista Amici、1786-1863)と、ドナティ(Giovanni Battista Donati、1826-1873)で、さらに遡れば、1831年にアミーチが職人たちをモデナから呼び寄せ、フィレンツェ天文台の隣に光学機器製造の工房を設けたのが、その淵源だそうです。当然、その社名は尊敬する大先輩のガリレオにちなむものでしょう。

(19世紀の広告カードに描かれた、往時のオフィチーネ・ガリレオの建物。中央上部にガリレオの肖像。「オフィチーネ・ガリレオ創立150周年記念展」の案内ページより。

同社の光学製品は、明治の日本海軍にも納入されたそうですから、日本との縁も浅からぬものがあります。そして、その後も長く軍用品の製造に携わったのは、同社の技術力の高さを物語るもので、同社はイタリア国内のメラーテ天文台や、アジアーゴ天文台のような、プロユースの大型望遠鏡も手がけました。

(eBayで見かけた、オフィチーネ・ガリレオを舞台にした戦前の労働争議の図。ジブリの「紅の豚」的光景。歴史が長ければ、それだけいろいろなドラマがあるものです。)

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そんなわけで、この安手のカメラは(今では埃にまみれているとはいえ)「ガリレオの瞳」を持ち、その向うにイタリアの光学機器製造の歴史が仄見えるのです。


なお、冒頭、このカメラをフェラーニア社製と書きましたが、同社の本業はフィルムメーカーで、オフィチーネ・ガリレオ製のカメラに、自社の名前を入れて販売していた由。つまるところ、このカメラは、ボディも含めて全てオフィチーネ・ガリレオの工場で生まれたもののようです。


【参考リンク】

1)オフィチーネ・ガリレオについて
Museo Galileo「Scientific Itineraries in Tuscany(トスカーナ地方科学の旅)」より
 「オフィチーネ・ガリレオ」の項

2)フェラーニア社とガリレオ社について
クラシックカメラの物語「デザインのイタリアカメラ」

パドヴァ天文台2017年02月19日 11時46分25秒

長靴型のイタリア半島の付け根、東のアドリア海に面する町がベネチアで、ベネチアの西隣に位置するのがパドヴァの町です。

ガリレオは1592年にパドヴァ大学に赴任し、1610年にフィレンツェに移るまで、この町で研究に励みました。彼の最大の功績である望遠鏡による星の観測や、『星界の報告』の公刊も、パドヴァ時代のことです。


上は、そのパドヴァの町にそびえる天文台。
1910年前後の石版刷りの絵葉書。緑のインキで刷られているところがちょっと珍しい。
左側にミシン目が入っていて、使うときは切り取って使ったものらしいです。

(一部拡大)

この塔こそ、ガリレオが星の観測に励んだ場所だ…というのは、ずいぶん昔からある伝承で、「そりゃ嘘だ。第一、時代が合わない」という声を尻目に、そう信じている地元の人も少なくないそうです。

その辺の事情を、INAF(Istituto Nazionale di Astrofisica、イタリア国立天体物理学研究所)のサイトでは、こう説明しています(以下、適当訳)。

パドヴァ天文台博物館 「ラ・スぺコラ」
 パドヴァ天文台1000年の歴史と250年の観測史

 多くのパドヴァ市民(や市外の人)に伝わる誤った伝承によれば、この天文台の塔こそガリレオの塔であり、高名な科学者は、この場所から素晴らしい天文学の発見の数々を成し遂げ、人類史上初めて、天空の裡に隠された星々の特異な性質を解き明かしたとされる。これらの発見によって、彼は天文学のみならず、科学全体に革命を起こしたのだ。

 このように広く信じられてはいるものの、パドヴァ天文台を、あの有名な科学者が訪れたことはない。なぜなら、この研究機関が設置されたのは(したがって、以前から存在したパドヴァの古城の主塔上に天文台が建設されたのは)ようやく1767年のことで、ガリレオがパドヴァを離れ、メディチ家の宮廷があったフィレンツェに移ってから、約150年も経ってからのことだからである。

 ガリレオ云々は「神話」に過ぎないとはいえ、スぺコラを訪ねる人は、決して失望することはないだろう。この場所は、多くの魅力に富み、歴史・芸術・科学にまつわる濃厚な雰囲気に満たされた場所だからだ。実際、パドヴァ天文台では1776年〔原文のまま〕以来、高い水準の研究が行われてきたし、1994年からは、その最古の部分を市民に公開し、塔屋部分は天文博物館に改装されている。現在では、過去何世紀にも及ぶパドヴァの天文学者たちの仕事部屋を縫うようにして、塔屋全体が博物館となり、昔の天文機器が展示されている。

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その「スぺコラ博物館」の内部の様子は、同じINAFの以下のページで少し覗き見ることができます。

■SPECOLA, THE ASTRONOMICAL OBSERVATORY OF PADUA

展示の主力は18世紀後半~19世紀の天文機材で、ガリレオ時代のものは仮にあったとしても、他所から持ってきたものでしょう。それでも、13世紀にさかのぼる中世の塔に、古い天文機材が鈍く光っているのは、なかなか心を揺さぶられる光景です。

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以下、おまけ。ちょっと角度を変えて撮った絵葉書も載せておきます。


こちらはリアルフォトタイプなので、1920年代ぐらいの光景だと思います。




天文台とは関係ないですが、添景として写っている少年たちの姿がいいですね。
こんな塔のある古い町で子供時代を送ってみたかったな…と、ちょっと思います。



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閑語(ブログ内ブログ)

沖縄のこと、福島のこと。
そしてまた南スーダン、共謀罪、森友学園の土地取得疑惑…と、政権周辺波高し。
にもかかわらず、またぞろ強行採決をもくろむとすれば、やっぱり現政権は●っているとしか思えません。でも、今日はちょっと違うことを書きます。

今朝、ふと菅元総理の「最小不幸社会」というスローガンを思い出しました。
あれは2010年のことで、その言葉がニュースで報じられるや、「なんで『最大幸福社会』と言わないんだ」と大ブーイングでした。

当時の言説をネットで読み返すと、「考えが後ろ向きだ」、「希望がない」、「覇気がない」、「敗北主義だ」とか、あまりにも感情的な言葉が並んでいるのに、ちょっと驚かされます。菅さんへの個人的好悪をさておき、私自身は、当時も今も「最小不幸社会」の実現は、政治家として至極真っ当な主張だと思っています。

金持ちがいっそう金持ちになるべく、欲望をぎらつかせることは勝手ですが、何も政府がその後押しをする必要はありません。お上は、もっと弱い立場の人に目配りしてほしい。幸福の総量が増すことと、その分配が真っ当に行われるかは別の問題ですし、仮に一部の者の幸福が、他の者の不幸の上に築かれるとしたら、それは不道徳というものです。

旅人、しばし本の町に憩う2017年02月25日 14時26分41秒

休みの日しか記事を書けないような生活は、いやだなあと思いますが、これも憂き世の定めで仕方ありません。

そんな中ですが、季節の移行は、確実に行なわれつつあります。
暗い地下では、根冠が目覚め、水をゆっくりと吸い上げ、
生体内の物質循環が再開し、枝先では若芽や花芽が膨らみ始めています。

人間界でも、春のイベントに向けて、孜々(しし)と準備が進んでいます。

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来たる3月、これまで多くの博物趣味の徒を惹きつけて来たイベント、「博物蒐集家の応接間」が、神田神保町の三省堂本店で開催されます。題して「旅の絵日記」。

(DMイラストはヒグチユウコさん)

■第5回 博物蒐集家の応接間 「避暑地の休暇 ~旅の絵日記~」
○会期  2017年3月25日(土)~3月29日(水)  10時~20時
○会場  三省堂書店 神保町本店(8階催事場)
       東京都千代田区神田神保町1-1
       MAP・アクセス→ https://www.books-sanseido.co.jp/shop/kanda/
○主催  神保町いちのいち、antique Salon
○参加ショップ
    Landschapboek、メルキュール骨董店、ORLAND、JOGLAR、piika、
    Ô BEL INVENTAIRE、antique room 702、sommeil、antique Salon
    (特別展示:天文古玩『空の旅』、協力:ヒグチユウコ) 
○DMより
    「避暑地への旅 滞在先での楽しい記憶 蒐集した品々 
    そんな思い出を絵日記にして」
    「2016年7月より池袋ナチュラルヒストリエにて展開してきました
    『避暑地の休暇』もいよいよ完結。
    神保町を舞台に旅の思い出をカタチにして、皆様をお待ちしています」

   ★

今回の参加ショップは9店舗。
その品目も、標本、剥製、天文、博物図版、オブジェ、人形、道具、宗教関連…と多岐にわたります。この並びを見ると、「お、ヴンダーカンマーだね」と思われるかもしれません。しかし、日ごろ「ヴンダーカンマーには美意識がない」と公言されている、antique Salon さんが主催者となれば、そこにひねりが加わらないはずはなく、その絵日記に、はたしてどんなストーリーが綴られるのか、大いに注目されます。

そして、臆面もなく…という感じで、天文古玩もお味噌参加していますが、私の方は「空の旅」と称して、人と星との遥かなかかわりを旅になぞらえ、古今東西を放浪することにします。

長い夏休みの終わりが、そのまま春につながる不思議さ。
博物蒐集の旅は、軽やかに季節の歩みをも跳び越えるのです。
次のシーズンも、きっと良い出会いがありますように。




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閑語(ブログ内ブログ)

それにしても、一週間というのは、いろいろなことが起きるのに十分な長さです。
例の森友学園の件も、ここに来てバケツの底が抜けたように、隠されていた事実が出るわ出るわ、本当に驚いています。さしもの安倍夫妻も、ここは逃げの一手。それがまた事件全体の薄汚さを強調しているようです。

ここは、トカゲのしっぽ切りで終わらせず、不正はしっかり糺してほしいものです。

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ときに、今回の一連の報道を見ていて、現代を生きる極右の人の頭の中身が分かったようで、その点興味深く思いました。

森友学園が開校を予定している小学校――当初、「安倍晋三記念小学校」として構想された学校――の教育の要なる案内資料を見ました。

同校は「神道小学校」と喧伝され、また創立者自身もそういう意識でいたと思いますが、改めて眺めると、その内容は、「教育勅語」を暗唱したり、「大学」を素読したりで、あまり神道教義とは関係がなく、この辺は「水戸学」を意識しているのかもしれません。

ちょっと目新しいのは、「般若心経朗唱」によって宗教的情操を育成しようというスローガンで、こうなると神・儒・仏同舟の、いわば虎渓三笑的光景で、それ自体は結構なことですが、まあ江戸時代の国学者が聞いたら、かなりしょっぱい顔をすることは間違いありません。(それに、狂信的な水戸学徒が現代に復活したら、親米を唱える輩は、みな誅戮の対象となるのではありますまいか。)

結局、籠池という人物の脳裏にあるのは、特定の思想なんぞではなく、何となく復古調のものなら何でも良かった…んじゃないでしょうか。そして、その行状を見るに、先人の言葉や思想はまったく血肉化していないとおぼしく、彼は己の支配欲を正当化するために、先人の言葉を切り張りしたに過ぎない…と、私には感じられます。

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とはいえ――。
中途半端な理解による過去への郷愁…というと、まさにこの「天文古玩」もそうですから、これは大いに他山の石とせねばなりません。


水色とオレンジの星図2017年02月26日 23時17分49秒

天文古玩の「本領」というか、このブログの肝は、やっぱり天文関係の古物です。
最近はそこから派生して、ちょっと天文趣味とは遠いものを取り上げることも多いですが、リアルな星に関わる品は、依然「天文古玩の生命線」。

まあ、あまり王道路線にこだわると、価格的にきびしいので、手にするのは駄菓子的な品ばかりですが、そういう他愛ない品には、他愛ない品なりの魅力というのが確かにあります。言うなれば、豪華な飾り皿にはない、日用雑器の魅力といいますか、「天文界の民芸品」的魅力といいますか。

普通の天文趣味人が、普通に使った品にこそ、その当時の天文界の空気がいちばんよく表れるものです。

下の星図も、そんな品の1つ。


Carte de Ciel:visible de l’Europe Centraire de l’Abbé Th. MOREUX.
   Girard et Barrère (Paris), c.1930.

モルー神父による、中部ヨーロッパ版星図。
ジラール&バレール社という、地図の出版社から出たもので、刊年記載はありませんが、1930年代のもののようです。



この星図は折りたたみ式になっていて、中身を広げていくと…




大きすぎて、私の机の上では十分広げることができませんが、73×64cmほどある大版の星図です。購入時の商品写真を使わせてもらうと、全体はこんな感じ。


載っているのは5等級までの星で、まあ、どうということのない星図ですが、明るい水色とオレンジの取り合わせがきれいで、こういうところはフランスっぽいなと思います。

(中央部拡大)

この星図に魅かれたのは、星図としての魅力もありますが、いちばんの理由は、何と言ってもモルー神父の名前があったからです。

テオフィル・モルー(Théophile Moreux, 1867-1954)という、この興味深い人物については、奇怪なイスラム風天文台の主として、また美しい星図を編み、科学奇書を著した人として、そしてフラマリオンの下に参じて師の衣鉢を継いだ者として、過去に三度言及しました。

■ある神父さんの夢の天文台
■モルー神父の青い星図
■フランス天文学会の門をくぐる

そして、この愛らしい星図も、やっぱり彼の不思議な天文台で作られたものなのでした。

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この星図の版元である、「ジラール&バレール社」について調べていたら、その所在地である「アンシエンヌ・コメディ通り17番地」のすぐ隣、同18番地は、ピエール・ジェラール・ヴァッサール(Pierre Gérard Vassal、1769-1840)という医師の旧居であり、彼はパリのフリーメーソン団体、「フランス大東方会(Grand-Orient de France)」の大立者であった…というようなことが、フランス語版のwikipediaに書かれていました。

まあ、そのことはモルー神父とは全然関係ありませんし、こういうのはパリや京都のように古い街なら、頻繁に起こる偶然なのでしょうが、でも、何となくモルー神父のことを思い浮かべると、パリの一角に漂う奇妙な「気」が、時を超えて引き合ったのかなあ…と思ったりします。