言の葉の森2021年08月13日 17時50分49秒

今日は雨。午後からはしばし豪雨。

近況です。せっかくブログを再開したのだから、もっとバンバン記事を書きたいのですが、なかなかそうはいかない理由があります。そのことを書きます。

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私の部屋の本棚には、読めない本がたくさん並んでいます。そこに書かれた言葉がさっぱり分からないからです。読めない本でも、手元に置くだけで心が豊かになることもあるので(日本語の本でもそういうことはあります)、これまではそれで良しとしていたのですが、一抹の寂しさや良心の呵責がなくもない…。というわけで、一念発起して語学の勉強を始めることにしました。


具体的にはドイツ語とラテン語です。
手にしたのは一番初歩の入門用テキストで、der、des、dem…とか、amo、amas、amat…とか、口をパクパクさせるところからやり始めました。でも、何せ若いころとは違って、一つ覚えると一つ忘れてしまうので、なかなか前途は険しいです。この調子だと天文古書を読めるようになるのは、いったい何時のことか…。正直、読めるようになる気がしませんけれど、努力するのとしないのとでは自分の中での納得感が大いに違いますから、結果はどうあれ、ささやかな自己満足のために、これはしばらく続けることにします。

ただ、語学の勉強は初歩でもそれなりに労力を要することで、ブログと両立するのはなかなか大変です。これが上で書いた「理由」です。まあ、いずれこの努力が天文古玩趣味に役立つことを夢見て、今日も口をパクパクさせることにします。

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こんなふうに恥を捨てて公言すると、自ずと勉強を続けないわけにはいきませんから、これもブログのひとつの効用でしょう。一種の起請文ですね。

コメント

_ S.U ― 2021年08月18日 10時08分59秒

おもなヨーロッパ言語には、ラテン系、ゲルマン系、スラブ系があり、これらの中では、日本人には、ゲルマン系が習得に易しく、スラブ系が難しいという認識で正しいでしょうか。それとも、どれも、大差ないと見るべきでしょうか。

 江戸時代から幕末期に、オランダ語、英語、ドイツ語で学問が勉強できたことはたいへんラッキーだったと思うのですが、明治以後の文学や思想は、けっこうフランス語やロシア語から入ってきていてちょっとわからなくなってきています。また、当時の知識人はみんな漢文が読めたはずなので、そちらの影響も考えるべきかもしれません。

_ 玉青 ― 2021年08月20日 18時41分38秒

まったく白紙の状態で、どの言語が習得しやすいかは判然としませんが、現代の平均的日本人は、「英語からの距離」で習得のしやすさを感じる人が多いのかな?と思います。そうなると語系を超えてフランス語がいちばん近いのかな?と思ってみたり(Googleの翻訳も英仏間は問題なさそうです)。ノーマンコンクエストの影響は歴然ですね。

一説によると、スラブ系言語がイタリック(ラテン)・ゲルマン諸語の共通祖先と分岐したのが6100年前、その後5500年前にイタリック系とゲルマン系が分岐したとかで、スラブ系は英語からするとラテン語よりも遠い親戚ということになります。そこからして、とっつきにくさはありますね。

ドイツ語はさすがに基礎的な単語の共通性(英語との)において際立っていますが、古英語までさかのぼれば兄弟でも、両者はその後だいぶ違う道をたどったので、言語としてはかなり異質感がありますね。むしろドイツ語は極度に保守的なのか、今せっせとやっているラテン語と意外に共通性が多くて驚いたりします(3性を保っているのもそうですし、前置詞の各支配の規則性もよく似ています)。

まあ、ドイツ語にしろラテン語にしろ、まだ中学校1年生レベルをやっているので、偉そうなことは全然言えないんですが、感触としては上のような感じです。

_ S.U ― 2021年08月21日 13時28分30秒

なるほど、ご感触の説明をありがとうございました。どれが難しいかは、一概には言えないようですね。

 私は、明治時代の比較的早い時期からロシア文学が翻訳されていることが驚いた発端だったのですが、あれは当時の政治的背景もあったのかもしれません。ロシア語も、案外、慣れてしまえばあとは進みやすいのかもしれません。とりあえず、結局は、個人の性格との相性によるということにしておきたいと思います。

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