龍珠の伝言2023年07月27日 19時45分48秒

澁澤龍彦の『高丘親王航海記』
その見開きには、澁澤自身が描いた地図が印刷されています。


この図と、先にeBayで見た地図との類似に刮目しつつ、やっぱりあれは高丘親王の地図だったなあ…と改めて思いました。


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この作品はさほど長いものではありません。
雑誌「文學界」誌上で、昭和60年11月号(1985)から連載が始まり、昭和62年6月号(1987)で全7章が完結。同年10月に単行本化されました。
その間、昭和62年8月5日に澁澤龍彦は没し、本作が彼の遺作となりました。

この首尾が整っているような、整っていないような、全編が夢の中にあるような作品の中で、親王の乗った船は、ついにセイロン島のすぐ手前までたどり着きます。しかし、魔の海域に阻まれ、暴風で船が吹き戻された結果、親王は最後にマレー半島で虎に喰われて客死します。

といっても、不遇の死ではありません。
同地の虎は、空を飛ぶように天竺との間を往復していると聞かされた親王は、自ら虎に喰われることで、虎の肉体と一体化して天竺に渡ろうと計ったのです。その願いが叶い、親王の血に濡れた骨が山野に散らばっている上を、その身辺に仕えた侍童が、人面鳥身の迦陵頻伽と化して、親王の名を叫びながら天竺に飛び去る…という哀切な場面で全編は終わっています。

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親王にとって、天竺行は求法の旅のようでありながら、その実、父・平城帝の愛人にして、親王にとっては永遠の女性だった藤原薬子への思慕を遂げるためのものであったことが、作中繰り返し描かれています。

そして、藤原薬子を象徴するものとして登場するのが「珠」です。
本作は、珠を仲立ちにして母なる存在と合一するというテーマを描きつつ、そこに鮮血のイメージや、どこまでも続く海原といった「母なるもの」の象徴が幾重にも重なっています。私はそこからさらに謡曲「海士(あま)」を連想し、「海士」を愛した稲垣足穂のことも思い浮かべますが、そこまで行くとさすがに過剰解釈のそしりを免れないでしょう。でも、気になるイメージなので、こうしてブログの隅に書いておきます。


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作者とその作品を混同することは厳に慎まねばなりませんが、この場合、真珠を呑んで病を得た高丘親王が、咽頭がんに罹り「呑珠庵」と号した澁澤の分身であることは疑いようがなく、両者が死の間際に見たヴィジョンもまた共通するところが多いように思います。

そういえば、作家・澁澤龍彦の最初期の作品が「マドンナの真珠」(1959)であったことも、不思議といえば不思議なめぐりあわせです。

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