物理の散歩道2008年11月22日 09時31分47秒


S.Uさま、DryGinAさま、天気管の記事にコメントありがとうございました。
コメントに返信を…と思っているうちに、ふと甦った記憶があり、独立した記事として書くことにします。(あ、夜更かしと…痛風にはお気をつけ下さい・笑)

  ★

天気管の仕組みというのは、いろいろ思考を誘います。
溶質が析出する量や、結晶の形態に影響する要因は何か?果たして天候の「予測」は可能なのか?

こういう話題を「物理屋」の方たちが語る…というシチュエーションが、昔読んだ『物理の散歩道』(全5 巻、岩波書店、1963~1972)を思い起こさせました。この本は小学生の頃、図書館で読んだと思います。もちろん小学生には部分的にしか理解できないんですが、でも「理で考える」というのはこういうことか!と、幼いながらも知的興奮のようなものを感じたのを覚えています。一寸大げさですが、私の人間形成に寄与した1冊かもしれません。(写真に写っているのは後に古本屋で買ったもの。手元にあるのは第1~3巻のみ。)

この本の著者、ロゲルギストというのは、物理学者の同人会の名称で、初巻発行時のメンバーは6人。身近な題材(物が切れるとはどういうことか?穴の開いた金属板を熱すると穴は大きくなるのに、穴の開いたかき餅を焼くと穴が小さくなるのは何故か?布団に入るとき裸の方が温かいという人がいるが本当か?…etc)を採り上げて、エッセイ風にまとめたり、メンバーの侃々諤々の議論を載せたり、今読み返しても本当に面白い本です。

こういう問に対して、「平成教育ナントカ」みたいに、ズバッと解説するのではなしに、「いや、こういうことも考えられる」「いやいや、微視的に見るとそれはおかしい」etc、結論が出るまでの議論や過程を愉しむ感じがいいですね。

さて、天気管の件もロゲルギスト的議論に発展すると興味深いんですが。

【Wikipedia の「ロゲルギスト」の項を参考に、記述を訂正しました。08.11.22 16:03】

  ★

ところで、杉並区立科学館の渡邊館長が「科学のタネ」という、これまたロゲルギスト的味わいの文章を連載されています。これは面白いと思って、プリントアウトして子どもたちに渡したんですが、どうも読んだ形跡がありません。何事も押し付けはいけませんが、しかし…

◆杉並区立科学館 http://www2.city.suginami.tokyo.jp/scied/index.asp
◆科学のタネ・バックナンバー http://www2.city.suginami.tokyo.jp/scied/news/index.asp

コメント

_ Gin ― 2008年11月22日 12時45分43秒

わぁ~良い本でお育ちになられましたねぇ! それにしても小学生の頃、図書館でこの本を手に取る感性は既にお持ちだった…。その“感性の起源”に迫ってみたいなぁ…。
  ◇  ◇
対談形式で組まれた解説は多々ありますが、安易さがザラつくこともあります。でも「物理の散歩道」は配役が個々に活きていて良いんです。そう…“ズバッと解説する”のは現代の“大人病”ですよね? 子どもは自分で気付く悦びを知っているし、我々“Young at Heart”もまた…。
    2008-11-22 DryGinA

_ S.U ― 2008年11月22日 15時11分19秒

おーっ、ロゲルギストが小学校の図書館にありましたか!? それとも市立の図書館? どちらにしても、すばらしいです。
 わけのわからない現象を何やかやと議論するのが、科学の教育や研究の原点ですし、なんと言っても楽しいです。多くの場合、こういう議論からは明瞭な結論や成果は得られません。が、たまには大発見のヒントがあるかも! 「天気管」の効用もここにあり、かもしれません。
 DryGinA 様、我々“Young at Heart”は、その名にかけて、性急な成果にこだわらず、うだうだと議論していきましょう!?
 
 杉並区の「科学のタネ」は、物理に真っ正面から敢闘していて、見ていてうれしいです。これを読んで「一人でも二人でも物理の面白さを」と思います。本当は「百人でも千人でも」と言いたいところですが、この路線ではなかなかそうはいかないのですよねぇ。

_ 玉青 ― 2008年11月22日 15時52分03秒

ロゲルギスト、今見たらウィキペディアでも独立した項目になっていて、ものすごく息の長いグループだったことを知りました。記事では適当なことを書いてしまったので、訂正しておきます。

月並みな表現ですが、『物理の散歩道』を読んで感じるのは、「瑞々しい好奇心」ですね。私もそんな永遠のYoung at Heartでありたいと思います。

(ちなみに、同書は近くの区立図書館で読みました。あそこには本当にお世話になりました。地階が専門書、1階が一般書、2階が児童書という分かりやすい区分で、地階に行くのが何となく誇らしい気分でした。)

_ S.U ― 2008年11月23日 05時36分38秒

なるほど。地階からの引力が働いたんですな。ほかにも書庫とか理科準備室とかいうものからは、強烈な引力が働くものです。

DryGinA 様もおっしゃっていたように、私も小学生の時によくぞこの本を取り上げられた、と心から思います。でも、本当は、いろいろな邪念に惑わされ、だまされるのは大人であって、純真な子どもは「黙ってホンモノを取り上げる」のかもしれません。児童文学者の今江氏は「大人をだますには舌の一枚も余分にあればよいが、子どもはそんなことでだまされない」と書いています。

 読書や学問については、「子どもの眼力」を信じるところから出発してもよいのだ、と確信するにいたりました。

_ 玉青 ― 2008年11月24日 17時35分46秒

S.Uさま、良いお言葉をありがとうございます。
「子どもの力を信じる」というと、「それは一種の子ども神話にすぎない」云々と批判する人がいます。もちろんリアリスティックな視点も必要でしょう。でも人を育むとき、それ以上に大切なのは、良きオプティミズムだという気が私もします。これは教育だけに限らないかもしれませんね。

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