実験の時間(3)2012年08月24日 22時05分49秒

↓は不思議な化学実験風景。
時代的には明治末~大正初め頃(1910年前後)の絵葉書です。

窓から入る光を受けて、9人ばかりの生徒が(1人は先生かもしれません)、黙々と実験を行っています。どうやら集気ビンを使って、気体の性質について学んでいるようです。


部屋は広いのに、実験卓は隅にちょっとあるだけなので、なんだか全体がガラーンとしています。しかも、この卓の小ささはどうでしょう。実験がやりにくいこと、この上ありません。右端の二人は、卓を挟んで思わずオデコをゴッツンしていますし、何よりもこれではすぐに器具や薬品を落っことしそうです。

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キャプションには「(東京市外堀之内)日本済美学校〔…〕生徒化学実験」とあります。

日本済美〔せいび〕学校は、明治40年(1907)に開校した私立学校です。
戦後になって、校舎と用地が杉並区に寄贈され、現在は済美小学校、済美養護学校、済美教育センターといった、一連の「済美」を冠した公立施設になっています。

明治の杉並といえば、完全に武蔵野の田園地帯ですが、そこに突如出現した済美学校は、なかなか大した学校だったようです。
創設者は、帝大出の教育者、今井恒郎(いまいつねお1865-1934)。彼は各地で旧制中学の校長などを務めましたが、それに飽き足らず、自らの理想教育を実現すべく、少人数の全寮制学校を東京郊外に開設しました。「直・剛・大」を旨とし、「田園教育」「博愛教育」の旗を掲げ、障害児教育にも積極的に取り組んだ同校は、後の大正自由教育運動のさきがけであり、その牽引役でもありました。(以上はネット情報の切り張りです。)

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100年前の理想教育の場で行われた化学実験。
生徒の数が10人足らずしか見えないのは、少人数教育のゆえでしょうか。
じっと見ていると、ハイカラな窓から射す逆光も、なんだか自由と理想のオーラのように思えてきます。(でも、実験設備としては、やっぱり一寸どうかと思います。)


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明日から小旅行に出かけるので、記事の方は3日ばかりお休みします。

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