天文の台2012年08月29日 20時43分14秒

(今日は、昨日の記事からの派生記事です。)

薩摩の明時館について説明する中で、参考図として浅草天文台の絵を掲げました。
でも、渡辺氏の本には、もっと適切な例が挙げられていたので、そちらも参考に掲げます。

それは薩摩のライバル、会津にありました(今もあります)。
会津の藩校・日新館の境内隅に設けられたのがそれで、完成は享和3年(1803)。

(↑会津日新館の中に築かれた天文台。出典:渡辺敏夫著、『近世日本天文学史(下)』、p.498)

サイズは、高さが6.3m(明時館は4m)、下辺は21m余り(同 7.2m)、上辺は10m(同 3.6m)で、会津の方が一回りか二回り大きいのですが、形状はよく似ています。

会津の天文台は、その後北半分を崩されて、今も原状をとどめているのは南半分だけだそうですが(↓の写真参照)、元は四面をガッチリ石で組んだ、台状の構造物でした。
 
(会津若松観光物産協会のサイトより。http://www.aizukanko.com/spot/148/

「天文台」というと、今では半球型ドームを連想しますが、元々は文字通りの「台」であったことが、これを見るとよく分かります。(「気象台」という名称も、由来はきっと同じでしょう。)
 
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(「いわゆる天文台」の絵葉書)

昔、リアル天文趣味に染まっていた頃、自宅の屋根に観測ドームを載せられないか、真剣に考えたことがあります。あの頃は、天文雑誌の広告や、某ドームメーカーの宣伝用ビデオにじっと見入って、果てることのない白昼夢にふけっていました。

まあ、それだけ天文台に憧れていたわけですが、上のような由来を知ってみれば、庭先の縁台でも、物干し台でも、ベランダでも、とにかく星を観測する台はすべて「天文台」と呼んで差し支えないのでしょう。

リアル天文趣味は薄まったとはいえ、私は今こそ胸を張って、「天文台オーナー」を名乗ろうと思います。