師走大放談2015年12月01日 20時53分46秒

今日から師走。
何だか冗談のようですが、本当に今年もあと少しで終わってしまうのですね。
大いに焦りますが、焦りついでに、この頃気にかかることについて、無責任な放談をしたいと思います。

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先日、神戸のイベントの打ち合わせのために antique Salon さんを訪ね、店主の市さんといろいろ話をした中で、次のようなことが話題になりました(今回に限らず、わりと頻繁に話題になることです)。

ひとつは、最近、あちこちで博物系のイベントをやっているけれど、こうなるとイベントを打ってもインパクトが弱まるし、独自性を出すのがだんだん難しくなってくるね」という話題。そしてもう一つは、アンティークと創作系の作品との関係で、この頃、博物系の作品を作るクリエイターさんが増えて、現代の作品とアンティークが競合する場面も出てきたね」という話題です。

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大局的には、いずれも博物系界隈の活況を意味することですから、本来喜ぶべきことなのでしょう。それに神戸のイベントにしたって、究極は商売向きの話ではあり、そのことに口をつぐむことはフェアではありません。でも、しかし―。

ひとつはっきりしているのは、余りにも「売らんかな」の姿勢で臨まれると、こちらも鼻白むことです。「売れるから資本を投下し、売れなくなればあっさり手のひらを返す」ような仕打ちが、もし仮になされるとすれば、この愛すべき趣味の小世界に、はっきりと悪影響を残すと思います。ソロバン上手な人の草刈り場にはなってほしくないなあ…というのが、一愛好家としての願いです。

そして、創作系の方に望むことは、当たり前の話ですが、ぜひオリジナリティを持っていただきたいことです。たとえば、天文系の品でもそうですが、19世紀以前の美しい星図や天文画を直接引用して事足れりとするのは、いささか安易に過ぎ、創作家としてのアイデンティティを放棄するものではありますまいか。

まあ、創作とは無縁の私がこんなことを言うのは、それこそ放談以外の何物でもありませんが、昔のイメージを記号的に参照するにとどまらない、新たな宇宙憧憬と美の表現をぜひ見てみたいという、これまた切なる願望です。

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…と、ここまでは市さんとも大方共通する意見ですが、ここから先は私単独の言い分になります。

今回、神戸のイベントに参加されるアンティーク・ディーラーの方たちの多くは、どちらかと言えば、アートと古物への趣味嗜好から出発されて、その美意識にかなうものとして、古風な博物学的品々に接近されたのではないか…と、私は勝手に推測しています。

一方、私はといえば、子供の頃の理科と理科室への憧れから出発して、郷愁を満たすものとして、博物趣味的品々に接近したので、出発点がちょっと異なります。(仮に本を編むとすれば、前者は美術史に、後者は科学史の棚に並ぶことになるでしょう。)

したがって、個人的な思いとしては、博物趣味的品々にオブジェとしての面白さ以上のもの、即ちその科学史的意味合いをどうしても求めたくなります。

それに―。
そもそも、科学は美と対立するものではなく、それ自体美しく興味深いものだ…と思うのです。ただ、そのためには、いろいろ額に汗して学ぶことが避けられないし、そうするだけの価値があるはずです。

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私の理想を言うならば、

  世界に対する博物学的関心を持ち、
  科学に対する豊かな素養を備え、
  科学という学問の美しさを知悉し、
  科学を生み出した人間そのものに深い興味と洞察を示し、
  芸術や文学に一家言持ち、
  歴史の何たるかを知り、
  モノに対する豊かな目を持ちながら、モノには囚われず、
  人生の重みと同時に軽みを知りぬいている。
  そういう人に私はなりたい。

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うーん…なりたいですが、まあ、なれないですね。
理想を一言でいえば、文武両道ならぬ「文理両道」ということで、これは言うは易く行うは難いことです。でも、人間いくつになっても理想は大切ですから、これをコンパスの指針として、これからも歩んでいきたいと思います。

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何となく来年に向けての抱負のようになり、これはこれで年末に相応しい話題かも…。
それにしても、上のことを思うにつけ、まこと賢治さんは偉大な人でありました。