タルホ的なるもの…ステッドラーの鉛筆(1)2016年05月05日 09時14分46秒



タルホ的なモノとして、まず鉛筆を眺めます。
ちょっとクダクダしいですが、今日はそのための前置きから入ります。

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今さらですが、稲垣足穂という人は相当変わった人です。

例えば、彼には「僕の“ユリーカ”」という作品があって、筑摩版の全集だと85ページほどの中編になりますが、その内容は、ガリレオやケプラーをはじめとする天文学の略史と、20世紀に発展を遂げた最新の宇宙論概説から成ります。

「第一部 ド・ジッター宇宙模型」や、「第二部 ハッブル=ヒューメーソン速度距離関係」といった章題を見ると、果たしてこれが本当に文学作品なのか怪しまれますが、初出は、昭和31年(1956)の『作家』(=名古屋を本拠とする文芸同人誌)ですから、これはたしかに文学作品として構想されたものです。

その根底には、天文学者や、物理学者や、数学者らの営みと、その学問的成果は、それ自体が美しい詩であり、時としてそれ以上のものなのだ…とする、足穂の感性があります。

 「天文学者はどこか芸術家と共通しています。二十世紀最大の数学者とも云われているヒルベルトは、ある時、人から「彼はどうして数学者にならずに、詩人になってしまったのでしょうか」と訊(たず)ねられて、「たぶん数学者になるには想像力が欠けていたのでしょう」と答えたといいます。」 (p.10-11. 頁数は「筑摩版全集・第五巻」による。以下同じ)

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そして、これが文学作品である確かな証拠として、難解な題材を扱う中にも、さかんに個人的回想がはさまっている点が挙げられます(作品タイトルに「僕の…」が冠されているゆえんです)。

その中には、「いかにもタルホ的」と思える品、おそらく稲垣足穂以外に、それを文学の叙述対象として認識できなかったろうと思える品が登場します。それが、今回のテーマである鉛筆であり、その鉛筆に小さな横顔を見せている三日月です。

 「一八二二年七月十二日は満月の夜になりました。この夜半のことです。東経二十度北緯四十八度と云えば、これは、年輩の人には学校時代に記憶がある筈の、あのナイフで削ると甘い香りのする赤い脆(もろ)い粉が零れる「コピエル・ロオト」でお馴染の、J・S・ステッドレル鉛筆会社の所在地です。月じるし鉛筆の広告画にあるような、湖水を囲んだ山々が、水面もろともに銀めっきになっていた刻限だったのでしょう。ミュンヘンの天文家グルイトウィゼンは、折しも子午線上に差しかかったまんまるな銀盤に望遠鏡を差し向けて〔…〕」 (p.31)

これは、グルイトウィゼンという人が、月面に城塞のような新地形を発見したことを叙すくだりで、ここにステッドラー社が登場する必然性は、まったくないのですが、突如彼の連想はそこに飛びます。

足穂の中では、月と鉛筆の結びつきは絶対的なもので、ステッドラーの広告画から連想される南ドイツの風景や、かぐわしい軸木の匂い、甘い芯の香りとともに、その記憶は足穂の中で、一箇の強固な観念を形成していました。

足穂の筆は、続けて別の話題を追うものの、しばらくすると、また月と鉛筆に帰ってきます。

 「次はお月様と鉛筆との関係です。年配のかたには憶えがあることでしょう。日本に今日のような良質の鉛筆が生産されなかった頃、どんな片田舎の文房具店を覗いても、そこには、赤と紫の二種の細軸色鉛筆を、ゴム紐でもってその頬っぺたに並べている厚紙製の半月がぶら下っていたものです。下線にそってMADE IN BAVARIAと記された紙の月は、向って右方を向いていました。花王の三日月はご存じのように左を向いています。同じ月じるしが東西どうしてこんなに違うのか、僕は些(いささ)か不審を懐いていましたが、ある夜明け方に気が付きました。それは午前三、四時頃に東方にあがってくるマイナスの三日月では、彼女の明暗境界線のジグザグが、宵月のそれに較べていっそう人間の横顔に似ているという一事でした。」 (p.34)

そしてまた…

 「―― 暁の半月は、四辺が最も静まり返っている時刻であるだけにいっそう印象的だ。これも僕は併せて知ることが出来ました。なるほど! あの鉛筆の軸木に使われる香り高い針葉樹が立連なっているバヴァリア台地の黎明(れいめい)に、こんな月を仰いだならば、捨ててはおけぬことだろうな。その月を見たのは、たまたま窓辺に立った夜っぴての従業員のひとりかも知れない。それとも情人の裏口から忍び出た若者だったろうか? 風流な、絵心のある夜盗であったのだろうか?」 (p.35)

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明け方に見える右向きの三日月の「発見」と、ステッドラーの結びつきは、昭和4年(1929)に発表された「鉛筆奇談」という掌編にも出てきます。

(マガジンハウス社刊、『星の都』より)

その結び。

 「――そう云ってAは指でもって短かい弧をえがきながらつけ足した。
 「云い忘れたが月のうごいたこのカーヴのまんなかにね、煙突があるのだ。しゃくれ顔だけの先生は僕の夢の間にここをすれすれに超えたわけであったが、この煙突がよく見ると六角の棒さ――まがう方もない大きな Staedtler’s Pencil であった」」
  (『星の都』 p.90)

さらに遡って、彼の処女作品集『一千一秒物語』には、空から赤いホーキ星が落ちて、一本の赤いコッピー鉛筆に化すイメージが描かれています。

足穂にとって、深更の月は一個の謎であり、それをまとった鉛筆もまた神秘のオブジェでした。それは時に地上にそそり立って、天と地を結ぶ存在ともなるし、ときには空からコトンと落ちた彗星の忘れ形見ともなるのです。

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ステッドラーは、1835年創業の老舗文具メーカーで、その商売は今も続いています。
したがって同社の鉛筆はいつでも買えるのですが、しかしそのロゴは、今や「右向きの三日月」から「軍神マルスのヘルメット姿」に替わってしまいました。原産地の表示も、「MADE IN BAVARIA」ではなく、ただの「MADE IN GERMANY」です。これではいけません。それに、モノも当たり前の鉛筆ではなく、削ると甘い香りのする「コッピー鉛筆」であってほしいのです。

…というわけで、要らざる頑張りを発揮して見つけたのが、冒頭の鉛筆です。

(長い前置きを終えて、この項つづく)

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