年越し2016年04月01日 22時44分16秒

昔の人にとっては、年を無事に越せるかどうか、正月をちゃんと迎えられるかどうかが重大な関心事で、年越しをめぐる何やかんやの話題は、落語なんかでも面白おかしく語られます。

現代の一部の人にとっては、ちょうど年度の替わり目がそんな塩梅で、今の時期はあちこちで落語そこのけの悲喜劇が演じられたことでしょう。私の場合も、この一週間は本当にしんどかったです。幸い明日からは連休で、ちょっと一息つけます。

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花を眺めながら、これから少しずつ調子を取り戻していきます。

『鳥類写生図譜』の世界(1)2016年04月02日 09時48分39秒

ちょっと話がとん挫しましたが、気を取り直して続けます。

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「花鳥画」の名の通り、花と鳥は好一対。

花と鳥の取り合わせは、中国伝来の美意識で、さらに遡るとササン朝とか西域の影響もあるかもしれませんが、いずれにしても、すぐれて東洋的な感覚と思います。日本画の世界でも、花鳥画は歴史の中で独自の発展を遂げ、今に至っているようです。

他方、西洋では美しい鳥譜、花譜はたくさん編まれたものの、花鳥画が独立したジャンルとして存在しなかったので、両者の配合を狙った博物図譜も生まれようがありませんでした(「花の蜜を吸うハチドリ」のような、「花鳥画作品」はあったにしても)。

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そういう意味で、下の画集は、花鳥画の太い水脈を受け継ぐ「日本的博物図譜」として、特筆する価値があります。


■結城素明(監修)、小泉勝爾・土岡泉(共著)
  『鳥類写生図譜』、鳥類写生図譜刊行会(蔵版)

上の写真に写っているのは、「大鳥篇」と銘打たれた、縦37cm×横47cmの大判横長の画集です。さらにこれと対になる「小鳥篇」があって、そちらは縦42.5cm×横34cmの縦長の、これまた大きな画集です。


奥付がないので正確な刊年は不明ですが、本図譜の元は、昭和2年から13年(1927~38)まで、全4期・各12集にわたって、プレート(単独図版)形式で、予約購読者に頒布されたもので、おそらく昭和14年頃(1939年頃)に、今見るような形に製本されたものでしょう。

(桐に青鳩。「大鳥篇」所収)

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この図譜については、すでにespritlibreさんによる優れた論考があるので、関心を持たれた方は、まず以下をお読みいただくことをお勧めします。

■『鳥類写生図譜』の精緻・巧妙・優雅(1):玉乗りする猫の秘かな愉しみ
 http://furukawa.exblog.jp/6820935/

espritlibreさんは、上記の記事につづき、都合4回にわたって『鳥類写生図譜』と、その主著者である土岡泉(号・春郊)の伝についてまとめておられます(全4編は以下のページで一括表示されます)。

■カテゴリ:鳥類写生図譜  http://furukawa.exblog.jp/i24

以下、espritlibreさんに依拠しつつ、さらに若干の情報を付加しながら、この美しい図譜を紐解くことにします。

(この項つづく)

『鳥類写生図譜』の世界(2)2016年04月03日 09時57分38秒

まずespritlibreさんにならって、本書の書誌を記しておきます。

『鳥類写生図譜』の第1期・第1輯(昨日は「集」と表記しましたが、正確には「輯」です)が出たのは、昭和2年(1927)7月のことです。そして、翌年の昭和3年(1928)9月に第12輯が出て、第1期は完結しています。各輯には、それぞれ2種類(12輯のみは3種)の鳥が含まれ、第1期の収録数は全部で25種類になります。

(第1期収録の25種)

そして、それぞれの種類は、花鳥画の描法に則って描かれた「本図」と、鳥の細部を詳細に描いた「附図」の2枚から成り、第1期は都合25×2=50枚の図版を含んでいます(さらに解説のリーフが、各種に1枚付属します)。

(第1期第11輯よりジョウビタキの本図。花はマンサク)

(同拡大)

(ジョウビタキの附図)

(同拡大)

第1期が完結後、版元の鳥類写生図譜刊行会は、『鳥類写生図譜 第一集』と称して、全図版を帙入りのセットとして、あるいは大和綴じに製本した豪華版として、セット販売を行いました。これは各期についても同様です。

同様に、第2期は昭和4年~5年(1929~1930)、第3期は昭和5年~7年(1930~1932)、そして第4期は昭和8年~13年(1933~1938)と、配本間隔が次第に間延びしたものの、足掛け12年かけて『鳥類写生図譜』全100種200枚は、無事完結しました。

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…と、これだけでもかなり複雑な出版事情ですが、さらにややこしいのは、私の手元にある「大鳥篇」「小鳥篇」の成り立ちです。

(大鳥篇の扉。角印は「賜天覧台覧」。推薦・賛助者には、日本画家の川合玉堂や、「殿様鳥類学者」である鷹司信輔、黒田長礼らが名を連ねています)

この「大鳥篇」「小鳥篇」は、図版自体はオリジナル版(第1期~第4期)と同一で、各種類が本図と附図の2枚から成る点も共通ですが、オリジナル版が全100種であるのに対し、収録数は70種(大鳥・小鳥篇 各35種)と、若干切り詰められています。また、単に切り詰めただけではなく、オリジナル版にはない3種の鳥が加わっています。

結局のところ、大鳥・小鳥篇は、オリジナル版を再編集したコンサイス版で、それにちょっとオマケをつけたもの…というわけです。

(小鳥篇表紙)

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ここで煩をいとわず、収録の全種類を掲げます。
まずオリジナル版と大鳥・小鳥篇に共通するのは、全部で67種です。
(以下、50音順。種名は原本の表記にしたがいます)。

 あおげら、あおばと、あかげら、あかはら、いかる、いかるちどり、
いすか、いそしぎ、いそひよ、う、えつさい(雄。雌は「つみ」)、えなが、
おおよしごい、おしどり、おなが、おなががも、かいつぶり、かささぎ、
かしどり、かっこう、かわがらす、かわせみ、かわらひわ、きじ、きじばと、
きせきれい、ごいさぎ、こうらいうぐいす、こがも、さんこうちょう、
さんしょうくい、しゃも、じゅずかけばと、じょうびたき、しらさぎ、しろちどり、
せぐろせきれい、たげり、つぐみ、とび、とらつぐみ、なんようせいこう、
のごま、はいたか(雌。雄は「このり」)、はしぶとがらす、はっかちょう、
はっかん、はやぶさ、ばん、ひくいな、ひよどり、ひれんじゃく、ふくろう、
ぶっぽうそう、ほおじろ、ほととぎす、まがも、まみじろ、みそさざい、
みみずく、みやまほおじろ、むくどり、もず、やまどり、ゆりかもめ、
よしきり、らいちょう

次いでオリジナル版のみに含まれるのが、以下の33種。

 あおさぎ、あおばずく、うぐいす、うずら、うそ、おおたか、おおばん、
おおるり、かもめ、きびたき、きゅうかん、きんけいちょう、ぎんけいちょう、
こうらいきじ、こげら、こまどり、ささごい、さんじゃく、しじゅうから、
しちめんちょう、しまひよどり、すずめ、ちゅうさぎ、つばめ、ともえがも、
ひばり、ぶんちょう、べにましこ、まがん、めじろ、やまがら、やましぎ、
るりかけす

そして大鳥・小鳥篇のみに含まれるのが、次の3種です。

 うみねこ、おかめいんこ、きれんじゃく

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話が大分くだくだしくなったので、ここで記事を割ります。

(この項つづく)

『鳥類写生図譜』の世界(3)2016年04月04日 06時09分30秒

博物図譜の出来映えを左右するのは、絵師の腕前であり、印刷の仕上がりです。

(大鳥篇よりイソシギ)

絵師については、前述のespritlibreさんの記事中に、共著者である小泉勝爾(こいずみかつじ、1883-1945)と、土岡春郊 (つちおかしゅんこう、1891-1958)の伝が引かれているので、ご参照ください。

■『鳥類写生図譜』の著者について
 http://furukawa.exblog.jp/6827999/

それによると、二人はともに東京美術学校(東京芸大の前身)で、本書の監修者である結城素明(ゆうきそめい、1875-1957)に師事しています。そして春郊は、兄弟子である小泉にもついて学んでいるので、結局、本書は師弟関係で結ばれた彼ら3人の合作ということになるのですが、実態としては春郊の単著だったようです(鳥類写生図譜』の著者とその周辺 http://furukawa.exblog.jp/7247494/)。

春郊の伝のうち、鳥に関わる箇所を、espritlibreさんの記事から孫引きさせていただきます。

 「大正5年、同校〔東京美術学校〕卒業後、花鳥画家を志し、多くの鳥類を自ら飼育し、つぶさに観察、写生を続けるとともに広く愛鳥家とも交友、約10年鳥類の研究と花鳥画の制作を続けた。昭和2年、恩師結城画伯、当時の日本鳥の会の会長鷹司信輔氏らの推奨もあり、『鳥類写生図譜』の刊行に着手、昭和6年には鳥の会主催の展覧会で名誉賞を受賞、関係各会からの資金援助もあり昭和13年に完成。」

彼は画家であると同時に、根っからの鳥好きだったのですね。
春郊の名は、今ではほぼこの『鳥類写生図譜』によってのみ知られると思いますが、このMagnum opus (代表作、金字塔)の存在によって、「鳥の画家・春郊」の名は、いっそう人々の心に深く刻まれるのではないでしょうか。

(小鳥篇よりヨシキリ(オオヨシキリ)。周辺をトリミング)

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今、手元にこの図譜を紹介するパンフレットがあります。


最後の第4期刊行に先立ち、予約購読者を募る目的で、昭和8年6月に作られたものです。これを読むと、本図譜の出版にかける春郊の思いが、いっそうよく伝わるので、その一部を引いておきます(太字は原文における強調箇所)。


本写生図譜の特色 〔…〕写生の厳密  画家が自ら二十年に亘り鳥類の飼育上から得た経験と知識とを以て、厳密に生鳥より直接写生せる図譜であって、かの粉本剥製から来た標本図、又在来の絵画化された画帖の類とは全く質を異にしてゐます。」

既存の図譜に対する、強烈なプロテストと自負ですね。

実大と実色  本図譜の最大特色として誇るべきは、鳥類植物昆虫が凡て実物色で、特殊大鳥を除く外は実物大なる点で、淡彩略図に非ざることは勿論、更に雌雄羽毛の異なるものや幼鳥も亦精到に描写してゐます。 本図と附図  各鳥毎に本図附図に分ち本図は各鳥の最も自然な姿態を美術的に描き、これに其鳥と密接の関係ある花卉草木虫類を配せる高雅優美な花鳥図譜であります。附図は一チ一チ羽毛、翼、脚等を部分的に描写し、姿態の種々なる変化を、叮嚀親切に写してゐます。」

(大鳥篇よりオナガ附図)

(同部分。この訂正文に春郊の精確描写への意気込みが現れています)

春郊はさらに上の引用箇所に続けて、

「これは本図譜の尤も特色とするところで、美術、工芸、図案家又は刺繍編物等には、絶好の参考資料となり、別に添付せる鳥、植物、虫の解説は学術上の説明、飼養の経験は勿論、更には文学上のあらゆる伝説、詩歌、俳句を蒐めて興味多い読物であります。」

と書いています。
espritlibreさんは、本図譜の想定読者には鳥類愛好者以外に、着物デザインに関わる染色関係者がいたのではないか…と推測されていますが(鳥類写生図譜』の精緻・巧妙・優雅(2) http://furukawa.exblog.jp/6824437/)、その推測を裏付ける記述です。

なお、大鳥・小鳥篇の出版にあたり、図譜以外に別冊で解説篇も作られたはずですが、今手元にはありません。案内パンフレットにその見本が載っているので、参考として下に掲げておきます。



(この項さらにつづく。次回は本書の印刷について)

『鳥類写生図譜』の世界(4)2016年04月05日 06時48分55秒

本書は、大野麥風の『大日本魚類画集』のような木版画ではなく、印刷によるものです。だから古書価もリーズナブルで、私にも買えたのです。とはいえ、その印刷の質の高さは驚くべきもので、これまで掲載した少数の図版からも、それは十分伝わると思います。

昨日登場した「案内パンフレット」には、第1~4期の「体裁」が書かれているので、それを挙げておきます。

■第1期
「小鳥二十五種、配合植物二十五種、本附図各二十五枚、全五十枚並解説、大さは縦一尺四寸五分、横一尺五分、紙は最上の画学紙、印刷は本図十三色以上二十色に及び、附図は画学紙に七色以上の精巧なオフセット刷。」

■第2期
「小鳥中鳥二十五種、配合植物二十五種、本附図各二十五枚、全五十枚並解説、大さは縦一尺四寸五分、横一尺五分、紙は英国製極厚アート紙、印刷は原色版五六度刷、附図は最上画学紙に九色以上の精巧なるオフセット刷。」

■第3期
「中鳥大鳥二十五種、配合植物二十五種、本附図各二十五枚、全五十枚並解説、大さは縦一尺三寸二分、横一尺五寸二分、本図紙は越前手漉鳥の子透し込み文字入極厚、印刷は原色版七度刷、附図は最上画学紙に八九色以上の精巧なるオフセット刷。」

■第4期
「本図附図ともに縦一尺三寸二分、横一尺五寸二分 本図は越前手漉鳥の子極上極厚に原色版七度刷 附図は最上の画学紙に八九色以上のオフセット刷」

時期によって微妙に紙質や印刷の精度が異なりますが、要はその時々で最上の選択をして印刷したということでしょう。

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ここに出てくる「原色版」とは、デジタル大辞泉で次のように解説されています。

「黄・シアン・マゼンタの三原色インキ、またはこれに墨を加えて、原画と同じ色彩を出す網目凸版印刷。また、その印刷物。3枚または4枚の版を作り、3回または4回刷り重ねる。細密な色彩効果が得られ、美術複製に適する。」

普通なら3~4回刷りで済むところを、5回も6回も7回も重ねて刷ったというのですから、これが当時最高の印刷水準であったことは容易に想像されます。(三原色と墨版以外の版は「特色」といって、三原色の混色ではきれいに再現できない色を、別版に起こして刷り重ねるものです。七度刷りの場合、その「特色」を3枚余分に用いたことを意味します。)

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ここで、改めて印刷の細部を見ておきます。


まず原色七度刷りの第3期に含まれるオナガの本図です(紙は「鳥の子」と称する手漉き和紙)。


拡大すると網点が見えてきますが、普通に見る分には全くそれを意識させない、美しい図版です。


これも第3期のハヤブサ。こちらは附図なので、オフセット印刷です。


同図の拡大。ハヤブサ細部の名称が目を惹きます。
これでも十分美しい図に見えますが、美術印刷としては原色版のほうが「格上」で、仔細に見比べると、附図よりも本図のほうが一段と生彩に富んでいる気がします。


こちらは五六度刷りの第2期に含まれるイソヒヨドリ(単にイソヒヨとも。周辺部をトリミング)。羽毛はもちろん、若葉の微妙な色合いも見事に再現しています。


こちらは平滑なアート紙に刷られているので、斜めから写すと、光が反射しているのが分かります。

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こんなふうに一点一点見ていくと本当にキリがありません。
春郊は日本画家であると同時に、美校卒業後は、百貨店の宣伝部に籍を置く商業デザイナーとしても活躍した人で、そのせいか、この図譜にはデザインの巧みさを強く感じます。構図もうまいし、線もきれいだし、何より色彩に冴えがあります。

リアルな生態描写とアーティスティックな表現が融合した、精妙無比の鳥類図譜として、江湖諸賢に広くお勧めする次第です。

ちょこなんとした匙2016年04月06日 21時46分55秒

春が来た…と言っているうちに、いつの間にか若葉の季節になりました。
もう初夏はすぐそこですね。

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いろいろあって、何となく記事を書きにくい状態が続いています。
こういときは無理をしてもしょうがないので、徒然なるままに手近なモノをランダムに取り上げます。

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黄銅製の薬匙(「やくさじ」または「やくし」)。
ずいぶん昔に、「THE STUDY ROOM」のどこかの店舗で買った記憶があります。


普通の薬匙はもっと平べったい形をしていますが、これは計量器を兼ねているので、料理用スプーンを小さくしたような、半球状をしています。

この3本セット、写真を撮る向きによって、


こうも見えるし、


こうも見えます。
まさに遠近法のイリュージョン。

…というようなことは、薬匙そのものとはまるで関係のない感想ですが、いずれにしても、この三兄弟のちょこなんとした愛らしさは捨てがたいです。
それに黄銅の色合いや、ハンダ付けの手作り感には、何となく錬金術時代の化学の匂いもあって、机辺に置くとそこに一寸秘密めいた感じが漂う気がします。

黒く揺れるもの2016年04月07日 21時02分18秒

今朝は雨の音で目が覚めました。
花を散らす雨です。

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(高さは約23cm。例によって背景がごちゃついてます。)

これも特に古い物ではないですが、同じく「THE STUDY ROOM」で買った科学玩具。
今でも売ってるかもしれませんが、商品名は忘れました。

(ちょっと斜め上から見たところ)

ベースの黒い円盤(直径10cm)と、上から鋼線で吊るされた黒のキューブの内部には、それぞれ鉄板と磁石が仕組まれているはずです。さらにベースに張り付く強力な永久磁石が4個。


磁石を適当にセットしてキューブを揺らせば、キューブは磁石と引き合い、あるいは反発し合い、前後左右にゆらゆら、くねくね、カクカク、ピョコピョコと、まるで生き物のように複雑な動きを見せます。そして、磁石の配置を変えると、一転してまた別の動きを見せてくれます。



これほど単純な仕組みで、これほど込み入った動きを生み出す玩具を考案した人は、なかなか知恵者だと思いました。

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これを買ったときのことは、何となく覚えています。

勿論まだ「DARWIN ROOM」(2010年オープン)も無い頃の話ですが、雨が降ったり止んだりする暗い日に、下北沢の光に満ちた本店を訪れ、ショーケースの上に置かれていたこの品に目が留まったのでした。

「子供たちが喜ぶかな…」と思って買った、その子供たちも今は成人ですし、下北沢の店も2012年に閉店したと聞いて、時の歩みの速さを痛感する…というのは、月並みな感想ですけれど、齢をとると、そういう月並みな感想に灼け付くような実感がこもるものです。

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こうしてキューブを揺らすと、あの頃の気分がほんの一瞬甦ります。

読めない本の話2016年04月08日 21時23分04秒

昨日の玩具の動きを決定しているもの、それは「磁力」と「重力」です。

我々の宇宙を支配する「4つの力」のうち、マクロな感覚世界で作用するのは、電磁気力重力のみで ― あとの2つは、ミクロな素粒子の世界で作用する「強い力」と「弱い力」 ―、それを巧みに視覚化したところに、例の品の深みと面白みはあるように思います。

といって、現代物理学の話は私には分からないのですが、もっと素朴なレベルで考えても、磁力という「見えない力」の正体は何か、直接接触せずに作用する力とは何なのか、その力はいったい何が媒介しているのか?…こういう難問に、古代以来、人類がどう立ち向かってきたかというのは、とてもスリリングな話題です。

後に、重力が「発見」されたことで、問題はさらに広がりと深まりを見せ、そこから現代物理学の扉は開かれた…とすら言えるかもしれません。

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いつか読みたいと思って、ずーっと手の届くところに置いているのに、未だにページを開いていない本があります。



■山本義隆(著)
 『磁力と重力の発見』(全3巻;1:古代・中世、2:ルネサンス、3:近代の始まり)
 2003、みすず書房


いつかは読みたいなあ…と思っていると、たぶん永久に読めないでしょう。
今は別の本を読んでいるので、それが終ったら…とも思うのですが、それだとちょっと危ないです。

読むためには、「思う」だけでなしに、何かアクションを起こすことが必要なので、とりあえず、すぐ通勤カバンに入れられるよう、第1巻にブックカバーを掛けました。(まあ、前途に暗雲なしとしませんが、まずはこれも前進です。)

ヘルメスの術師2016年04月09日 13時56分11秒

ちょっと天文から遠ざかりますが、引き続き回顧モードで、机辺にあるものをランダムに載せます。


小さな箱に入って届いた、1933年結成の「アメリカ医療技術協会(AMST;American Society for Medical Technology )」(※)の徽章。
エナメルを施した銀のクロスの四方に粒真珠を嵌めた、なかなか凝った細工です。
そして、徽章本体に鋳込まれたデザインがまた凝っています。


顕微鏡、古風なレトルト瓶、そして有翼の杖に2匹の蛇が巻き付いた「ヘルメスの杖」。
黒ずんだ銀の表面に、医学・薬学のシンボルが凝縮されています。


それにしても、このバッジ。差し渡し約15ミリですから、本当に小さいんですよ。
この原型を作った彫塑師の腕前も大したものです。

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ときに「ヘルメスの杖」に関連してメモ書き。

もとは、伝説の名医・アスクレピオスが手にした、1匹の蛇が巻き付いた「アスクレピオスの杖」が医術のシンボルだったのですが、それがいつしか旅行と商売の神様・ヘルメスが手にする「ヘルメスの杖」と混同されて、ヘルメスの杖も医学関連の図像として使われるようになった…というのは、さっき検索して知ったことです。

(アスクレピオスの杖。ウィキペディアより)

さらにそこには、伝説の錬金術師ヘルメス・トリスメギストスの連想があり、彼が手にした不老不死の霊薬「賢者の石」のイメージが重なっているのも、まず間違いないところでしょう。そう思うと、このバッジが何か秘密結社のバッジのようにも見えてきます。

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ちょうど2年前、ちょっと薬学に入れ込んでいた時期があって、あまり記事には書いていませんが、かすかな「ほのめかし」は以下に書かれています。


この銀のバッジも、入手時期を考えると、その流れで手にしたものではないかと思います(わが事ながら、記憶が常にあいまいです)。

(※)現在は「アメリカ臨床実験科学協会(ASCLS;American Society for Clinical Laboratory Science)」に改称

紫煙と顕微鏡2016年04月10日 17時20分29秒

下に掲げたのは、イギリスのJohn Player & Sonsのシガレットカード。
「隠された美」と題する、1929年に出た25枚のセットです。
ご覧のとおり、顕微鏡観察をテーマにした、いかにも理科趣味に富んだシリーズ。


John Player & Sonsは19世紀の前半にさかのぼる古いタバコメーカーですが、1901年に他社と大同団結して「インペリアル・タバコ会社」を結成し、その子会社という位置づけになりました。

(常に絵になるボルボックス。英名は“Traveling Globes”)

1929年という年は、すでにヴィクトリア時代はおろか、エドワード時代も過去のものとなっていましたから、かつてイギリス中を席捲した博物趣味は影を潜め、辛うじてその名残が、こうして子供向けのシガレットカード(煙草を吸ったのはお父さんですが)から、かすかに紫煙のように立ち昇っているわけです。


カードの裏面、シリーズの第1番には「隠された美」のタイトルで、序文のようなものが記されています。

 「昼となく夜となく、我々の周囲には自然という絵本が常に開かれ、我々の美を愛する心に訴えかけている。そして自然の『限りなき秘密の書』の中に、その『隠された美』を覗き見ることも、我々には許されている。たとえ我々の目にはありふれて、些末で退屈なものに映ろうとも、顕微鏡で眺めると、そこにはしばしば思わぬ美しさが現れる。ヒキガエルの頭部に生ずるという伝説の宝石のように、『隠された美』は全く思いもよらぬ所に存在するのだ。」

さすがにもう「神の摂理」を云々する時代ではないですね。文章の書き手も、純粋に美的見地から顕微鏡趣味を語っています。

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このカードセットは、月兎社さんから青い箱に入って届きました。


シガレットカードの存在自体は、最初別の人から教えられたのですが、月兎社の主宰者である加藤郁美さんには、シガレット帖』(倉敷意匠計画室、2011)という美しい著書もあり、その不思議な魅力を教えていただいたのは、何といっても月兎社さんによるところが大きいです。

ちなみに、コレクター向けのカタログに記載された、このセットの2015年現在の評価額は7.5英ポンド、1,200円ぐらいだそうで、そう高いものではありません。手ごろな価格で楽しめるのも、シガレットカードの魅力の1つです。

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さて、今日のメモ書きは「顕微鏡の色」について。

19世紀の顕微鏡は、おおむね真鍮製で、表面はラッカー塗膜で保護され、まばゆい金色の光を放っていました。

その後、世紀の替わり目あたりから金属加工技術が様変わりして、各種の鋼材(鉄および鉄合金)が多用されるようになり、顕微鏡もアイアン・ボディに変身しました。同時に表面塗装も、ストーブ・エナメル(エナメル塗膜を加熱固化したもの)が主流になり、顕微鏡は金色から一転して「黒いもの」になったのです。(今では白い顕微鏡が主流ですが、ちょっと前まで、顕微鏡はおしなべて黒かったです。)

1920年代は、ちょうど真鍮と鉄が共存した時代で、黒いボディのあちこちに真鍮のパーツが金色に光っていました。そういう意味で、このシガレットカードに登場する顕微鏡の姿は、いかにも1920年代チックな感じがします。