年越し2016年04月01日 22時44分16秒

昔の人にとっては、年を無事に越せるかどうか、正月をちゃんと迎えられるかどうかが重大な関心事で、年越しをめぐる何やかんやの話題は、落語なんかでも面白おかしく語られます。

現代の一部の人にとっては、ちょうど年度の替わり目がそんな塩梅で、今の時期はあちこちで落語そこのけの悲喜劇が演じられたことでしょう。私の場合も、この一週間は本当にしんどかったです。幸い明日からは連休で、ちょっと一息つけます。

   ★

花を眺めながら、これから少しずつ調子を取り戻していきます。

コメント

_ S.U ― 2016年04月02日 07時32分16秒

>ちょうど年度の替わり目
お役所や株式会社の皆様は、ほんとうにたいへんのようですね。お疲れ様でした。(私も一応、人ごとではないほうの部類でしたが)

 この年度末というのは何のためにあるのか本当に不思議に思います。
今の日本では、お金の価値が3月末にリセットされるわけでもないし、借金とりが大挙して押し寄せるわけでもないでしょう。江戸時代の掛け売りは利息がなく年末を越すと一安心と言うことだったそうですが、今は日々の買い物さえ銀行口座で支払いが滞ると日歩がつきますので、年末も何も関係ありません。

 してみれば、これは、3月末に行政・経営状況を世に明らかにしてちゃんと会計をしていることを示すためにやっている、まさに経営陣の「性悪説」に基づいた苦労と言っていいのでしょうか。それにしても、3月末に無理矢理ケリをつけるのは、あまりにも苦労が大きく効率も悪いように思います。
 封建時代はこんなことはなかったのでしょうねぇ。まあ当時は不明朗でか放漫な経営が横行していたのでしょうけど、さりとて今はオープンになっていても依然として使い道の怪しい領域はいくらでもあるようですし、どんなもんなんでしょうかね。

_ 玉青 ― 2016年04月02日 09時59分20秒

帳簿付けは官民を問わず経営の基礎なので、会計を締める作業は今後もなくならないでしょうが、思うに、日本(の一部)では、会計の締めと人事異動が同じ時期に重なるから異常な繁忙が生まれるので、両者が半年ずれてると、もうちょっと楽になるかもしれないですね。

他国ではどうなのか、話を新規卒業者の就職に限定すると、要は学校年度と会計年度の関係ということになりますが、両者がピタリと重なる日本のような国は極めて例外で、たいていずれているようです。このあいだ話題に出たイギリスは、会計年度は日本同様4月スタートですが、学校は9月スタートですし、アメリカはかなり近接しているものの、それでも学校は9月から、会計年度は10月からと、ひと月のずれがあります。

まあ、その分ゴタゴタが済んだ後に眺める桜の色合いは格別で、万感の思いがこみ上げます(底の浅い万感ですが・笑)。

_ S.U ― 2016年04月03日 08時04分01秒

>会計の締めと人事異動
 そうなんですか。私のほうは、後者はほとんど関係ないので、その観点はありませんでした。
 大学院などでは、現在、欧米などの制度との関係で秋入学というのがあって、年に2度入学式があって面倒なことになっていますが、今のところ、関係する人数が少ないためか、それほどたいへんということも聞かないようです。

>桜の色合い
 個人的な趣味で言わせていただけば、世の中が変わっても、少なくとも小中学校の入学式だけは、桜の下を母に手を引かれて・・・、という光景がずっと引き継がれていってほしいです。

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