読めない本の話2016年04月08日 21時23分04秒

昨日の玩具の動きを決定しているもの、それは「磁力」と「重力」です。

我々の宇宙を支配する「4つの力」のうち、マクロな感覚世界で作用するのは、電磁気力重力のみで ― あとの2つは、ミクロな素粒子の世界で作用する「強い力」と「弱い力」 ―、それを巧みに視覚化したところに、例の品の深みと面白みはあるように思います。

といって、現代物理学の話は私には分からないのですが、もっと素朴なレベルで考えても、磁力という「見えない力」の正体は何か、直接接触せずに作用する力とは何なのか、その力はいったい何が媒介しているのか?…こういう難問に、古代以来、人類がどう立ち向かってきたかというのは、とてもスリリングな話題です。

後に、重力が「発見」されたことで、問題はさらに広がりと深まりを見せ、そこから現代物理学の扉は開かれた…とすら言えるかもしれません。

   ★

いつか読みたいと思って、ずーっと手の届くところに置いているのに、未だにページを開いていない本があります。



■山本義隆(著)
 『磁力と重力の発見』(全3巻;1:古代・中世、2:ルネサンス、3:近代の始まり)
 2003、みすず書房


いつかは読みたいなあ…と思っていると、たぶん永久に読めないでしょう。
今は別の本を読んでいるので、それが終ったら…とも思うのですが、それだとちょっと危ないです。

読むためには、「思う」だけでなしに、何かアクションを起こすことが必要なので、とりあえず、すぐ通勤カバンに入れられるよう、第1巻にブックカバーを掛けました。(まあ、前途に暗雲なしとしませんが、まずはこれも前進です。)

コメント

_ S.U ― 2016年04月09日 07時46分32秒

>「磁力」と「重力」
 磁力と重力は、ご指摘のように物理学においてはともに基本的な重要な力で、日常における外見もよく似ていますが、その「発見」という意味ではまったく違いますね。

 磁力は昔から不思議な力で、今でも玩具として子どもに与えるとその不思議に嵌る人が多いでしょう。大人も「あの人には不思議な『磁力』がある」などと言ったりします。物の種類によって引かれたり引かれなかったりするから不思議なのでしょうか。地球全体が磁石になっているというのも相当荒唐無稽な事実です。

 いっぽう、重力は、ものが下に落ちるのは疑問を持つまでもない当たり前の現象で、それが万物普遍の「力」であることは、ニュートンに教えてもらうまで気づかないほどのことでした。今でも、「重さ」が力であるとは普段あまり意識しないし、万有引力の知識を聞いても、物同士が引き合うのは「兄弟親密の情」くらいに解釈するのではないでしょうか。両者の大きな待遇の差はとても面白いことだと思います。
  
 現代の物理学では待遇の傾向は逆で、「電磁気学」と「一般相対性理論」の親密度の違いは言うに及ばず、磁力はミクロの世界まで一応解明されてしまいましたが、重力についてはまだ完成していません。それが自然法則の根本の難易度に依るのか実験技術の難易度に依るのかまだわかりませんが、たぶん、重力のほうが難しい力なのでしょう。実験的には、電磁波は19世紀のヘルツの実験で確認されましたが、重力波の発見は今年までかかりました。

 この本は、私も気になりながらも、あまりに大仰に見えるのでちょっと手が伸びません。また読まれましたら、2つの力に関する歴史上の学者たち、著者の山本氏、それから玉青さんの着眼の概要をお聞かせいただければと存じます(ぜんぜん急ぎませんので)。

_ かすてん ― 2016年04月09日 09時32分53秒

別の本ですが、私も山本義隆氏の著書を老後の楽しみにとってあるのがあるのですが、現時点では永遠に読めないように感じています。しかし、ちょっとしたきっかけで読みたくなったりすることも考えられるので、やはり処分できません。

_ 玉青 ― 2016年04月09日 14時03分01秒

○S.Uさま

いやあ、何だか「力」というのは難しいものですね。
コンビニの雑誌コーナーに『Newton』の最新号が並んでいて、たまたま「4つの力」特集だったので買ってきたのですが、村山斉さんが、力というのは相互作用のことなんだ、そして力は4つに限らず「湯川力」というのがまた他にあって、それが少なくとも13はあるんだよ…というようなことを説かれていて、なかなか「ちから界」も賑やかだなあと思いました。こうなったらいっそ「兄弟親密の情」で、すべての力を統一的に記述する方が、エレガントではなかろうか…と濁った頭で考えましたが、記事の方は読みかけなので、もうちょっと頑張って読んでみます。

○かすてんさま

いやあ本当にこのままいくと老後の楽しみどころか、死後の楽しみになってしまいそうです。まあ、死後の世界があったら、時間を持て余してずいぶん退屈するかもしれないので、楽しみにとっておくのも手かもしれませんが…(笑)

_ S.U ― 2016年04月09日 20時42分44秒

>すべての力を統一的に記述する方が
ほう、「少なくとも13」とは多過ぎですね。
 これらは、クォーク(6)、レプトン(5か6)、ウィークボゾン(2)の質量の起源のことでしょうか。そうだったら、これらはつながっているはずですからきっと統一できると思いますよ。私には見当もつきませんが、アイデアを思いつかれたら教えてください。

 でも、統一ではなくて、「統二」か「統三」かもしれません。ミクロの世界は本当にくせ者です。

_ 玉青 ― 2016年04月10日 17時28分48秒

>質量の起源

そうです、そうです。記事の続きを読んだら、結局ヒッグス粒子と他の素粒子との相互作用(による質量の発生)のことを指して、力の頭数にかぞえているようでした。

(つらつら思うに、世の中には気力・体力は言うに及ばず、「女子力」とか「老人力」とか、いろいろ不思議な力がありますね。「人間力」なんていうのは、一見良さそうな気もしますが、政府がお仕着せで「人間力の涵養」とか言い出すと、またちょっと妙なことになってきます。ちなみ私がいちばん好きな力は「胆力」です。)

_ S.U ― 2016年04月11日 08時26分18秒

>結局ヒッグス粒子と他の素粒子との
ヒッグス粒をジャーナリズムでは「神の粒子」などと呼んでいるようですが、その本性、出身はわかっておらず、たまたまそういう技を身につけた職人の粒子なのかもしれないというのが現在の時点での物理学です。薬に喩えれば、存在と効能は確認されているが、薬自身の由来や成分はわかっていない、だから、効能の種類を数えるしかない、といったところでしょうか。
 ですから、最低13種の質量があれば、13種類の力を人為的に導入するしかないのでしょう。(これを業界用語では、「パラメータを手で入れる」と言うようです)

 でも、これはヒッグス粒子に限らず、現時点でこれ以上分析出来ない素粒子についてはおおよそすべてそうで、つまり、「力」はおおよそ基本的な素粒子の種類の数だけあるといってもよいようです。(この見解がNewtonの記述と矛盾していたら、私のほうを訂正して下さい)

 でも、これは素粒子に限らず、人間でもそうで、「女子力」、「老人力」・・・と、人間の種類だけ力があると考えてもよいのでしょう。

>いちばん好きな力は「胆力」
 いいですねぇ。私もそうありたいものですが・・・
 私の好きなのは、「継続は力なり」ということで、「持久力」ですね。でも、これは力の種類というよりは、それが時間的に長く続く状態をいうのでしょうか。

_ 玉青 ― 2016年04月11日 21時19分25秒

薬の効能のたとえで、何となく事態が呑み込めたような気もしますが、もちろんこれは「気がする」だけで、なかなか力の闇は深いです。

あまりS.Uさんのお手を煩わせてもいけませんので、以下は独り言としてお聞き捨ていただきたいですが、力というのは相互作用のことだよ…と言われると、何となく―何となくばかりですが―分かった気になるものの、でも力とは相互作用そのもののことなのか、相互作用に随伴するものなのか、あるいは相互作用をもたらすものなのか、はたまたその全てであるのか、よく考えるとやっぱり分からないです。

それと、力は素粒子が媒介するのだと聞くと、力を媒介する素粒子とそれ以外の素粒子との相互作用を媒介する素粒子がまた必要になり、さらにまたその素粒子と別の素粒子の相互作用を媒介する素粒子が…と無限背進に陥らないかとか、陥らないとすれば、力を媒介する素粒子とそれ以外の素粒子の相互作用はどうして可能なのかとか、素朴な疑問が次々に湧いて来て、ちょっとやそっとの胆力では動揺を隠せそうにありません。

_ S.U ― 2016年04月11日 22時34分19秒

そんなに難しいことはなくおっしゃる範囲で解けそうなので、簡単にお答いたします。(私の頭が単純なだけかもしれませんが)

>でも力とは相互作用そのもののことなのか
 「そのもの」です。相互作用≡力で、ただの言い換えですね。ただし、相互作用でも力でも、その分類は、それが働く物体の種類ではなく、力(相互作用)そのものの性質で分類します。薬に喩えると、皮膚の薬、肩こりの薬というふうにではなく、消炎剤、抗アレルギー剤 といった感じです。なお、この場合の力は、powerではなくforceと呼んでいます。英語では、powerとforceがふだんから区別されているのでしょうか。

>力を媒介する素粒子とそれ以外の素粒子・・・無限背進
 これは大丈夫です。力を媒介する素粒子そのものが一発で力を伝えますので、それをまた媒介する・・・は必要ありません。通常、「力を媒介する粒子」は、「それ以外の粒子」(力を感じる粒子)から発生したり吸収されたりするのです。
 例えば、玉青さんと私が相互作用するとします。玉青さんがカッコいいフェルトの帽子をかぶっているとしますね。それを玉青さんがおもむろに脱いで私に投げつけ、私がそれを受け取って頭に載せたとします。すると、お陰様で今度は私がカッコ良くなります(??、サイズが合わんだろうとか似合わんだろうとかは言いっこなし)。この場合の帽子が力(伊達男力?)を媒介する粒子です。

_ 玉青 ― 2016年04月13日 07時05分39秒

どうもありがとうございます。結局、お手を煩わせてしまいましたね。
でも、おかげで頭の中が整理されました。
(片付け下手なので、またすぐゴチャゴチャになるのが難点ですが・笑)
力と粒子のこと、おそらくまた疑問が生まれてくると思いますが、お時間があれば、どうぞ重ねてご指南ください。

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