タルホ的なるもの…ステッドラーの鉛筆(3)2016年05月07日 08時28分26秒



ステッドラーの鉛筆を探しているときに、こんなものを見つけました。


ご覧のとおり、普通の鉛筆削りですが、これぞ生粋のバヴァリア生まれ。
そもそも「バヴァリア」とは何かといえば、南ドイツの「バイエルン州」のことで、バヴァリアは、その古称に由来する英語名です。

(第1次大戦後にロンドンで出た地図帳より。東はチェコ、南はオーストリアに接するのがバヴァリア地方。)

バイエルンも、もちろんドイツの一部には違いありませんが、ドイツの他地域と比べてカトリック信者が多く、昔から自主独立の気風が強い土地と聞きました(プロイセンを盟主とするドイツよりも、歴史的には、オーストリアに親和性が高かったようです)。

なお、1つ上の写真で、バヴァリアの上に見える「D.R.G.M」というのは、「Deutsches Reiches Gebrauchs Musterschutz」の略で、「ドイツ帝国意匠登録済み」の意。


この鉛筆削りは、もちろんステッドラーのオリジナルです。
引き絞った三日月と、妙に指の長い手に、一寸妖しい気配があります。

空気が澄みきった夜明け前、この道具でカリカリと菫色のコッピー鉛筆を削れば、辺りに涼しげな針葉樹の匂いと、甘いリラの香りが漂い、そのまま銀色の月世界にだって行けそうな気がすることでしょう。

コメント

_ 蛍以下 ― 2016年05月07日 21時38分06秒

想えば、鉛筆に限らず文具というものは、自分と自分の内面とを媒介する存在のひとつ、というような気がしますね。
絵を書くとか、作文や感想文を書かされるとか。定規や分度器で抽象的な数の世界に触れるとかいった、幼少期の経験が思い出されます。
そこから更に新しい教科書や図書室の匂いといったものに繋がって・・・

_ 玉青 ― 2016年05月08日 11時00分08秒

文具は、文具を通してつながる世界への連想も働くし、文具自体の何とも言えない存在感もあるし、その魅力は多元的ですね。そして学校時代の郷愁をくすぐるものがあって、ついしげしげと手に取って眺めてしまいます。

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