星座絵の系譜(6)…鯨と蟹は星図の素性を語る(下)2020年07月24日 10時25分55秒

(前回のつづき。今日は2連投です。)

しかし、16世紀のくじら座が「怪魚型」ばかりで占められていたとすると、バイエルはどこから「海獣型」を持ってきたのか?彼の異才が、オリジナルな像を作り上げたのか?…といえば、やっぱりお手本はありました。

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それは、1600年にオランダのフーゴー・グロティウス(Hugo Grotius、1583-1645)が出版した『アラテア集成(Syntagma Arateorum)』で、これは非常に古い歴史的伝統を負った本です。

題名の「アラテア」とは、紀元前3世紀のギリシャの詩人、アラトスの名に由来します。アラトスが詠んだ『天象詩(ファイノメナ)』は、ローマ時代に入ってたびたびラテン語訳され、そこに注釈が施され、愛読されました。それらの総称が「アラテア」――「アラトスに由来するもの」の意――であり、一連のアラテアをグロティウスがさらに校訂・編纂したのが『アラテア集成』です。(以上は千葉市立郷土博物館発行『グロティウスの星座図帳』所収、伊藤博明氏の「「グロティウスの星座図帳」について」を参照しました。)

注目すべきは、そこに9世紀に遡ると推定される『アラテア』の古写本(現在はライデン大学が所蔵し、「ライデン・アラテア」と呼ばれます)から採った星座絵が、銅版画で翻刻されていることです。『アラテア集成』所収の図と、ライデン・アラテアの原図を以下に挙げます。

(1600年、グロティウス『アラテア集成』より)

(9世紀の写本、「ライデン・アラテア」より)

いかにも奇怪な絵です。そこに添えられた星座名は、かに座は普通に「Cancer」ですが、くじら座のほうは、現行の「Cetus」ではなく「Pistris」となっています。ピストリスとは、本来、鯨ではなくて鮫(サメ)を指すらしいのですが、サメにも全然見えないですね。海獣というより、まさに「怪獣」です。

そして、これがバイエルに衝撃とインスピレーションを与え、3年後に「海獣型」のくじら座が生まれたのだろうと想像します。

(画像再掲。1603年、バイエル『ウラノメトリア』)

さすがに「首の長い狼」的上半身だと、怪魚型との乖離が大きすぎるので、バイエルなりにドラゴン的な造形で、バランスをとろうとしたんじゃないでしょうか。(哺乳類と魚類のキメラ像としては、すでに「やぎ座」があるので、絵的に面白くない…というのもあったかもしれません。)

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こうして俯瞰すると、海獣型のくじら座をポピュラーにしたのはバイエルの功績であり、直接それを模倣したわけではないにしろ、海獣型を採用したフラムスティードは、やっぱりその影響下にあります。そして19世紀の『ウラニアの鏡』からスタートした星座絵のルーツ探しの旅は、一気に中世前半にまで遡り、おそらく古代にまでその根は伸びているでしょう。文化の伝播とは、かくも悠遠なものです。

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最後におまけ。ヘヴェリウスやヨアン・ブラウの「くじら」の鼻先が、マレーバクみたいにとがっているのが気になったのですが、あれにも理由がありそうです。

(左:ヘヴェリウス、右:ヨアン:ブラウ)

下は紀元前1世紀、ローマ時代の著述家ヒュギヌスによる『天文詩(Poeticon Astronomicon)』の刊本に載った挿図です。

(ヒュギヌス『天文詩』、1485年ベネチア版)

(同、1549年バーゼル版)

バーゼル版の方は『アラテア』と同様、「Pistrix(サメ)」となっていて、こちらは確かにサメに見えます。そして、デューラーの「怪魚型」のルーツも、おそらくはこうした刊本や、その元となった古写本でしょうし、この象の鼻のようにとがった口先が、後に海獣型に採り入れられて、あの不思議な鼻になったのだろうと推測します。

(この項おわり)

コメント

_ S.U ― 2020年07月24日 16時15分14秒

星座絵の変遷はおもしろいですね。
 はじめのほうで問題になった「とかげ座」は新しい星座ですが、私の気に入っている星座なのでちょっと調べて見ました。創設者のヘヴェリウスの星図の絵がはじめからいけないようです。頭は爬虫類のようですが、腰や尻のあたりは哺乳類です。ボーデがついついこれにキツネのような耳をつけてしまったのではないでしょうか。
 こういうのは、画家の、動物の種類に対するセンスというか、潜在的な得手不得手によるのかもしれないと思います。

_ 玉青 ― 2020年07月25日 08時35分52秒

画家もさることながら、それを良しとする天文家も天文家ですよね。空ばかり見上げて、地上のことに疎くなっていたんでしょうか。でも、古代ギリシャのタレスの頃より、天文家は空を見上げて溝に落ち、人に嗤われるのが常とはいえ、そういう人もこの世には必要なんだろうなあ…と思い返してみたり。

となると、やっぱり画家の責任は重いですね。
試みに「lizard painting renaissance」で画像検索したら、カラバッジョの「トカゲに噛まれた少年」をはじめ、写実的なトカゲ画は昔からいろいろ描かれているようで、いやしくも画家を名乗るなら、言い逃れはできんぞと思いました。

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